ヴィーグとジルキスの暇つぶし。 後編
「それで、一体どうしたんですか?」
もくもくと料理を頬張るフィフィの正面に腰掛け、ルキセオードは頬杖をついてそう訊ねた。フィフィは行儀が悪いと思いながらも、もぐもぐしながら返事をする。
「それがさ、ヴィーグとジルキスって知ってるか?」
「ヴィーグとジルキス……ですか?確か、王師団員では?」
「そーそー。そいつら今日は休みらしいんだけどさ、暇つぶしにかなり面倒くさい事を…」
ごくごくと勝手に飲み物も飲み干して、フィフィは幸せに頬を緩めた。
(ごちそうではないけど、やっぱ食べるって幸せ…)
と、ここでやっと気付いた。
「わ、悪いルキ!全然食べてなかったよな?」
慌て始めたフィフィを見て、ルキセオードはくすくすと笑う。
「全部平らげた後で、今更ですね…。」
「わ、悪い…」
「いえ、いいんですよ。クルス嬢に昼食を没収されたのでしょう?」
一瞬どうして知っているのかと思ったが、そう言えば以前、話したのだった。
「そうなんだよ…。あ、でもルキも食べないとな。今から…」
「外へ出てはまずいのでは?」
「………そうだった。はあ…」
がっくりと肩を落とすフィフィに、ルキセオードはもう一度訊ねた。
「それで?何がどうなっているんですか?」
「ああ…その二人が暇つぶしに賭けをする事にしたらしくて。」
「賭け、ですか?」
「そ。俺が女だったらそそられるかどうか。」
「………フィースが女性だったら、ですか?」
言いながらルキセオードが視線を宙で止めた。おそらく想像してみているのだろうが、なんとなく想像出来ないのではないかと思った。
「それにしても、どうしてその賭けでフィースが逃げ回っているんですか?」
「ああ…その賭けをするのに、魔薬を調合してもらったんだと。」
「魔薬ですか…大掛かりな暇つぶしですね…」
呆れた声音にフィフィは笑った。
「だろ?しかも試作品飲めって言うんだぞ?」
「試作品ですか?怖い事を…それで逃げていたんですか。」
「そうなんだよ…!あいつら猟犬みたいに鼻が利いてさ…」
思い出して遠い目をしたフィフィに、ルキセオードは笑いながら言った。
「…それは、あながち間違っていないかも知れませんよ。」
「え?」
首を傾げるフィフィに、笑いながらも言う。
「以前オルクス様が仰っていたんです。“王師にはよく鼻の利く犬がいる”と。」
「犬…」
「追跡部隊に回せば確実に探り当てると褒めていました。勘がもの凄く鋭いのでしょうね。今フィースを追いかけ回しているのは、その二人の事かも知れませんね。」
「……こえぇ…。」
両腕を抱きしめてぶるりと身震いする。
「それで、どうするのですか?」
問われて、困ってしまった。
「どうするかなぁ…一日逃げ回るわけにもいかないだろうし…」
「持ち前の鼻で探り当てられそうですしね。」
「うぅ……」
どうするか。どうしたらあの二人は諦めるだろうか。
「…試作品じゃなきゃ、飲んでやってもいいんだけどな…」
「え……フィース、女性になってみたいのですか?」
目を丸くして言われた台詞に、フィフィは苦笑する。
(うーん…こう言われると微妙な心境だな…)
なってみたいも何も。だがまあ、疑われずに済んで良い。
「性別変わる事は、別にいいんだ。でも寝込むとか中途半端になるとかは嫌だ。」
「…性別が変わってもいいとは…面白い事を言いますね。」
「そうか?」
首を傾げるフィフィに笑って、ルキセオードは席を立った。
「さて、いつまでも一カ所にいても嗅ぎ付けられます。アシュリー様の回廊へ逃げた方がいいのでは?」
「…あっ、そうか!回廊は許可がないと入れないもんな!」
ぱあっと表情の明るくなったフィフィに、ルキセオードは苦笑して付け足した。
「ですがフィース。それは二人も承知している筈です。待ち伏せされている可能性もありますよ。」
「あ……」
フィフィは頭を抱えて唸った。なんて厄介なやつらだろう。
その頃。
アシュリーはお茶を飲み干して立ち上がった。
「じゃあ、帰る。」
一言告げると、短い返事が返ってくる。
「ああ。」
リディオスと視線を交わしただけで、アシュリーはすたすたと部屋を後にした。リディオスの部屋の扉を閉めた直後——。
「「ウィルレイユ様!」」
「!?」
猛然と向かってくる二人に、アシュリーは驚き固まった。扉にへばりつくような形になる。
「ウィルレイユ様!フィアニス様を見かけませんでしたか!?」
「えっ…い、いや…」
「どこかお心当たりはありませんか!?」
「さ、さあ…?」
びびっているアシュリーに望みはないと思ったのか、二人はがばりと頭を下げると猛然と走り去って行った。
「…………」
それを見送り、アシュリーは呆然と呟く。
「…一体、何してるの…?」
さっき走っていたのは逃げていたのか、と今更気付いた。
ルキセオードの助言もあり、ひとまず回廊に戻ろうと考えたフィフィは、こそこそと城内を移動していた。
(どうか見つかりませんように…)
こそこそと移動して、そうっと廊下の角を覗いた。
「っ——!」
そこには、にっこりと怖い笑みを浮かべるヴィーグとジルキスが立っていた。
「ここにおいででしたか、フィアニス様!」
「探しましたよ?」
「っ!」
何か言葉を返すよりも早く、フィフィは脱兎の如く駆け出した。
「「お待ち下さい!」」
言葉は丁寧だが耳に届く声は怖い。
「誰が待つか!」
立場としてはフィフィの方が上であるが、単純に実力だけで言えば二人には敵わないだろう。正攻法なら。
(こんな風にしっかり捕らえられてちゃ、マジで逃げ隠れすんのが難しいっ…)
猛然と走りながら、ちょこまかと進路を変えて惑わしてみるものの、さすがは(推定)犬。ぴったりと付いて来て離れない。
(早く!早く回廊に戻んなきゃやばいっ!)
角を曲がると、求めていたアシュリーの回廊が見えてきた。
(見えた!)
その扉を今まさに、アシュリーが開けようとしていた。
「アシュリー様っ!」
フィフィはあらん限りの力を込めて叫んだ。するとアシュリーが飛び上がって驚いていた。
「なっ、何!?」
「開けて!」
「はっ!?」
「駄目です、ウィルレイユ様!」
ヴィーグが叫ぶとフィフィがそれに被せるように叫ぶ。
「いいから開けて!助けて下さい!」
負けじとジルキスも叫ぶ。
「むしろ中に入って閉めてしまって下さい!」
「なっ、は!?」
口々に叫ばれてアシュリーは混乱している。フィフィは渾身の思いを込めて叫んだ。
「開けて!助けて下さい!」
「えっ、ちょっ、待っ…」
「いいから!」
三人が全速力で突っ込んでくる。この状況で扉を開けるのは危険だ。が、あまりに必死な様子に僅かに扉を開きかけた。
「よしっ!」
「待っ…!」
扉に体当たりするついでにアシュリーも回廊へ押し込んで、フィフィは回廊の中へダイブした。
「いっ!?」
床に倒れ込む時にアシュリーの頭をしっかりガードする。しかしそんな状態を確認する暇なく、後ろからヴィーグとジルキスの手が伸びてきた。
「「逃がすかっ!」」
「捕まるかっ!」
二人は回廊に足を踏み入れる事が出来ない。しかし腕を伸ばす事くらいは出来るので、フィフィは慌てて回廊の扉を閉める。もちろん、二人の手が届かないように気をつけて。
「フィアニス様!飲んでくれてもいいじゃないですか!」
「そうですよ!」
「飲んで欲しいなら完成品持って来い!もちろんお前らで試した後でな!」
「「フィアニス様!」」
「じゃーな!」
嫌みな笑みを浮かべて、フィフィは回廊の扉を閉ざした——。
「「………」」
閉ざされた扉を見つめ、二人は顔を見合わせて笑った。
「逃したな。」
「ああ、しっかしフィアニス様…すげぇ勢いで逃げ回ってたな!」
「ほんとにな。魔薬なんて冗談だったのに…」
本当に賭けていたのは、フィフィが二人の悪ふざけに取り合うかどうか、だったのだ。当然魔術師の知り合いで性転換の魔薬を作ってくれるような悪友はおらず、もしもフィフィが“飲んでやる”と言ったのなら、ただの水を渡す予定だった。
魔薬の存在を信じた時点で賭けの勝敗は決まっていたが、逃げたフィフィを全力で追いかけたのは、単にヴィーグとジルキスが暇で退屈だったからに過ぎない。本当に、暇だったのだ。
「それにしても…俺たちが魔薬を持ち歩いてない事すら疑ってなかったよなぁ…」
「言う事を素直に信じて…これは、恰好の暇つぶしになるな!」
肩を震わせて笑う二人は、どこからどう見ても悪巧みする質の悪い大人だ。しかしそんな質の悪い企みに勢いで乗るのが、王師だったりする。
「こりゃあ“取り合う”に賭けた奴らがぼろ儲けだな!」
「必死で逃げ回ってたからなぁ…!」
もちろん賭けの勝者には二人も含まれている。笑いながら回廊を後にする二人の背に差す日の光は、もう夕暮れを告げていた——。
翌日。フィフィはクルスにこっぴどく怒られた。礼儀作法を教えているのに城内を走り回るとは何事か、と。だってあの二人がと抗議をしたら、逃げ回る他にも対処出来ただろうと怒られた。エウェラに力を借りるとか、取り合わないとか。しょんぼりしたフィフィにクルスはにこりともしないでこう言った。今度走ったらニルヴァーナ様に罰を考えて頂きますよ、と。青ざめたフィフィを見て、これが一番効くわねと記憶したクルスだった。
数後日、迷惑を被ったアシュリーから苦情の申し立てを受け、主犯であるヴィーグとジルキスは罰として“オルクス直々の猛特訓”を受けた。その後三日間倒れ込んだらしい。なんでも早朝から夜まで休憩なしで行われたそうだ。
それを聞いたフィフィは強く思った。ざまあみろ、と。
その横でアシュリーは思っていた。フィフィが側にいるとろくな事がない、と…。
単なる大騒ぎでした。お付き合い頂きありがとうございます。




