6話
修行開始から、二度目の冬が明けようとしていた。
レオンの体躯はかつての虚飾が削ぎ落とされ、研ぎ澄まされた猟犬のようなしなやかさを備えていた。右腕の熱を意識の深淵へ沈め、循環させる。その作業を繰り返した指先は、絶えず微かに震えていた。
「……ガリウス。もういいだろ。俺はもう、自分を焼くことはない」
剥き出しの荒野で、レオンは大剣を振るう。
その軌跡に、かつてのような無駄な魔力の飛沫はない。
だが、焚き火に薪を放り込んでいたガリウスは、一度もレオンの方を見ようとしなかった。
その時だった。
風に乗って、焦げた臭いと、かすかな悲鳴が届いた。
岩陰から立ち上る黒煙。それを見た瞬間、レオンの心臓が不規則に跳ねた。
「――行くぞ」
大剣を背負い、駆け出そうとするレオン。だが、その肩をガリウスの無造作な手が掴んだ。
「待て。今のテメェが行けば、助けるフリして殺すだけだ」
「……っ、どけ。分かっている、もう昔の俺じゃない」
レオンはガリウスの手を乱暴に振り払った。その瞳には、かつての余裕などない。
「……大丈夫だ。俺はできる。もう、失敗はしない……!」
それは自分自身の不安をかき消すための悲鳴だった。
「最強」という言葉を失った自分が、何者であるかを証明するために。レオンは地を蹴った。
現場は凄惨だった。
数体の大型魔獣が、逃げ惑う旅人の馬車を囲んでいる。
レオンは迷わずその中心へと飛び込んだ。
「……下がっていろ。今、終わらせる」
『覇王の心』を起動する。
修行の成果は確かにあった。レオンは、エリアスがかつて提示していた「最適解」を脳内で必死になぞった。
この角度、この出力。あいつなら、こうして敵だけを仕留めたはずだ。
――だが、一撃で仕留めきれなかった魔獣が、少女の方へと跳ねた。
「……ッ!」
追撃の一太刀。修行通りの出力を出そうとした刹那、レオンの目に、衝撃の余波に巻き込まれそうな少女の姿が映った。
――今、これを振れば、少女は死ぬ。
その直感が、レオンの腕を強引に止めた。
ぐ、あ……ッ!!
行き場を失った膨大な魔力が、右腕の中で逆流し、内側から筋肉を焼き千切るような衝撃が走る。
レオンは激痛に顔を歪めながら、剣の軌道を無理やり空へと逸らした。
黄金の光は空を裂いただけに終わり、レオンの右腕はだらりと垂れ下がった。
「……っ、あ……が……」
一歩、後退る。
剣を止めたことで少女は無事だったが、代わりにレオンは「無防備な肉塊」へと成り下がった。
眼前に迫る、魔獣の顎。
助かったはずの少女は、自分に歩み寄る魔獣よりも、隣で「力を御しきれず苦悶する怪物」のようなレオンの姿に、目を剥いて恐怖していた。
――カラン。
乾いた音と共に、魔獣の眉間に小石が突き刺さる。
絶命し、崩れ落ちる魔物。
「……だから言ったろ。テメェのは『助けるフリ』だってな」
隣に立っていたガリウスが、次の小石を指先で弄んでいた。
レオンは、震える手で自分の右腕を掴む。
「……俺は……止めた。エリアスなら、もっとうまく……正解を……」
「正解? バカかテメェは」
ガリウスが冷たく吐き捨てた。
「あのアホみたいに賢い坊主はな、一度だって同じ答えなんて出しちゃいねえよ。あいつはその場、その時、お前の気分ひとつで『正解』を書き換えてただけだ。……お前が信じてる『固定された正解』なんて、最初からどこにもねえんだよ」
レオンは返事ができなかった。
「……お前は何を守ろうとした?」
ガリウスの問いは、刃物よりも鋭くレオンを刺した。
ガリウスは、恐怖で泣きじゃくる少女を一度だけ一瞥し、背を向けた。
「計算をなぞって、誰かの正解を真似る。……そこに『テメェ』はいねえ。……そんな虚ろな力で、誰の隣に立てるってんだよ」
レオンは返事ができなかった。
少女の怯えた視線が、いつまでも背中に焼き付いている。
自分はまだ、誰かのための力を持てる器ですらない。
「……クソが」
漏れたのは、自分への、どうしようもない嫌悪だった。
「帰るぞ、ゴミ拾い。……明日からは、剣は置け」
レオンは、泥にまみれた膝をついたまま、ガリウスの背中を見送った。
「最強」という言葉の、底知れない冷たさ。
自分が信じていた「正しい強さ」が、ただの不恰好な暴力でしかなかった事実を。
レオンは、本当の意味で初めて知った。




