3話
降り始めた雨が、廃都の石畳を黒く染めていく。
崩れかけた時計塔の影に潜み、レオンは荒い呼吸を殺していた。
「……はぁ、はぁ、……っ」
右腕が、熱い。
皮膚の下で暴走する魔力が、出口を求めて神経を焼き続けている。レオンはその痛みを無視し、広場の中央を睨みつけた。
そこには、かつての「俺の」パーティがいた。
正面に構えるのは、後輩のカイン。
対峙するのは、廃都の守護者『ライトニング・ガーディアン』。
(見てろ、カイン。お前みたいなひよっこじゃ、その一撃で砕かれる。……そうすれば、エリアスだって嫌でも思い出すはずだ。俺がいなきゃ、何も始まらないってことをな)
レオンは歪んだ期待に縋り、唇を噛んだ。
だが、現実はレオンの願いを無慈悲に踏みにじる。
「カインくん、来るよ。……右、三センチ。魔力を三割、足首に回して」
――エリアスの声だ。
雨音に消されそうなほど穏やかで、しかし驚くほど明晰な指示。
次の瞬間、レオンの時が止まった。
カインが動いた。いや、何かに「導かれる」ように、その剣が空を裂いた。
(……なっ、ぜだ。あんな動き、あいつにできるはずが――!)
◇
【エリアス視点】
視界に広がるのは、世界を構成する魔力の糸。
僕は指先を僅かに動かし、カインくんの神経系へと自分の魔力を滑り込ませる。
「うん、いいよ。カインくん、そのまま。僕が『熱』を逃がすから、君はただ『振る』ことだけに集中して」
カインくんは素直だ。僕の魔法を「信頼」して、その身をすべて預けてくれる。
かつて、この感覚を別の誰かと共有していたような気がした。
一瞬、カインくんの背中に「別の誰か」の影が重なり、僕の指先が僅かに震える。
(……いや。今は、集中しないと)
僕はその微かな迷いを、雨音と共に心の奥へ沈めた。
カインくんの剣に、僕の魔力を重ねる。
座標を固定。衝撃波のベクトルを反転。
――ズ、ドォォォォン!!
ガーディアンの鋼鉄の胸部が、鮮やかに粉砕された。
かつてレオンと三日かかった相手を、僕たちはわずか十五分で圧倒していた。
「お見事。カインくん、今の踏み込み、今までで一番良かったよ」
「本当ですか!? やったぁ、エリアスさんのおかげです!」
カインくんが子供のように笑い、サイラスとミラが歩み寄ってくる。
「カイン、いい一撃だった。……ああ、無駄な怒声が聞こえない戦いってのは、こんなに集中できるもんなんだな」
「本当に。ミラ、君の索敵も完璧だったわ。……さて、雨が強くなる前に街に戻りましょうか」
四人は談笑しながら、広場の出口へと向かう。
僕は一瞬、瓦礫の陰に「何か」があるような予感がして足を止めたが、すぐに首を振った。
「エリアス、どうした?」
「……ううん、なんでもない。風の音かな」
僕は一度も、振り返らなかった。
◇
【レオン視点】
レオンは、震える手で泥を掴んでいた。
目の前を、彼らが通り過ぎていく。
エリアスは一度も、こちらを見なかった。
ただ、本当に、気づいてすらいなかった。
「あ……、あ……」
声にならない吐息が漏れる。
カインの動き。あれは、かつての自分の動きそのものだった。
……だとしたら、俺の「特別」は、どこにある?
……俺じゃなくても、あいつがいれば、誰でも……?
認めたくない思考が、泥のように頭の中を支配していく。
だが、右腕の激痛が、容赦なく現実を突きつけてくる。
「冷却」のない右腕が、ついに限界を迎えた。
自食現象による魔力の暴走。皮膚が焦げ、肉が裂け、焼けつくような煙が上がる。
「が、あああああああ!!」
レオンは堪らず、広場に転がり出た。
だが、そこにはもう誰もいない。
雷鳴が轟き、激しい雨がレオンの無様な姿を叩く。
大剣を杖代わりに立ち上がろうとするが、指に力が入らない。
カラン、と、父の形見が手から滑り落ちた。
「……はは、……なんだ、これ……。重い……。俺の剣、こんなに、重かったのか……」
レオンは冷たい泥の中に顔を埋め、泥にまみれた右手を無様に伸ばした。
何かに、縋りたかった。
自分を最強だと言ってくれた父の言葉か、自分を支えていたエリアスの手の温もりか。
だが、その指が掴んだのは、冷たい石くれと、汚れた泥だけだった。
それでもレオンは、その泥を強く握りしめたまま、意識を失っていく。
雨音の向こうで、無骨な足音が近づいてくるのが聞こえた。
「……おいおい、こんなとこに『特級の粗大ゴミ』が落ちてやがる。邪魔だなぁ」
見上げると、そこには煤まみれの古い鎧を纏った、初老の男が立っていた。
男はレオンの横に落ちている大剣を、つま先で軽く突いた。
「おい、死んでるか? ……返事もねえか。その立派な包丁も、これじゃただの漬物石だな」
「……だ、れ……だ……」
「通りすがりのゴミ拾いだ。……運ぶのは面倒だが、そこの漬物石を売れば一晩くらいは飲めるか」
男はぶつぶつと文句を言いながら、レオンの襟首を乱暴に掴んだ。
「おら、行くぞ。泥啜って生きてえなら、少しは自力で踏ん張りやがれ」
レオンの視界が、そこで完全に闇に落ちた。
壊れた心。砕かれた自尊心。
それでも泥を掴んだままのその手が、この男の目にどう映ったのか、今のレオンはまだ知らない。




