第42話 「沈黙の凱旋と、虚ろな偶像」
【王都・北区画 廃ビルの屋上】
夜風が、傷ついた体に冷たく突き刺さる。
俺は全身を黒いボロ布で覆い、屋上の縁から眼下のメインストリートを見下ろしていた。
左腕はまだ感覚がなく、固定されたままだが、痛みよりも胸のざわつきの方が強かった。
「……来るぞ。あれが、新生した『英雄様』たちだ」
隣で同じように街を見下ろしていたジャックが、顎でしゃくる。
街道の向こうから、無数の松明の明かりと、重々しい馬蹄の音が近づいてきた。
昼間、北の森に現れた「オークの大群」を討伐しての帰還らしい。
沿道には、不安をかき消すように集まった市民たちが、割れんばかりの歓声を上げている。
「カイル様ー! ありがとうー!」
「さすが英雄様だ! 俺たちを見捨ててなかった!」
「万歳! アンリミテッド・ゼロ万歳!」
熱狂的な声援。舞い散る紙吹雪。
光と熱に包まれたパレード。
だが、その中心を行く馬上の4人が近づくにつれ、俺の背筋に冷たいものが走った。
『……レイ。あれ、変よ』
フードの中で、ルミナスが声を潜めて囁く。
「ああ。……まるで、『葬列』だ」
カイルたちは、市民に手を振ることも、笑顔を見せることもない。
ただ前を向き、瞬き一つせず馬を進めている。
その瞳は、ガラス玉のように美しく――そして、何も映していない。
首元には、鈍く光る黒いチョーカーが嵌められている。
俺は懐から「遠見の魔道具」を取り出し、彼らの姿を詳細に観察した。
そして、絶句した。
「……嘘だろ」
彼らの白銀の鎧や、装飾された武器に、傷一つ、汚れ一つないのだ。
報告では、数百匹のオークの群れを相手にしたはずだ。泥沼のような森で乱戦になったはずだ。
なのに、彼らはまるでショーケースから出したばかりの新品のように、不自然に輝いている。
かつての彼らなら、どうだった?
『うわーん! 泥が跳ねた! お気に入りのマントが!』とリリィが泣き叫び。
『計算外です! 森の湿気で弓の弦が!』とシリウスが頭を抱え。
『……ん。疲れた。歩けない。おんぶ』とルナがカイルの背中に乗り。
そしてカイルは、『ははは、また鎧が凹んじゃったな』と、煤まみれの顔で笑っていたはずだ。
未熟で、隙だらけで、人間臭かったあの姿は、どこにもない。
そこにいるのは、返り血一滴すら浴びずに敵を「消去」した、完璧な偶像だけだ。
「……何をしたんだ、ゼクス」
その時。
興奮のあまり理性を失ったのか、群衆の中から一人の若者が飛び出した。
「カイル様ッ! 握手してくださいッ! 俺、ずっとファンで……!」
若者が警備の制止を振り切り、カイルの馬に駆け寄る。
騎士たちが止めようとするが間に合わない。
若者の汚れた手が、カイルの純白のブーツに触れようとした――その瞬間。
ヒュンッ!
鋭い風切り音と共に、銀色の閃光が走った。
カイルが、表情一つ変えずに剣を抜き、若者の鼻先数センチでピタリと切っ先を止めていたのだ。
あと数ミリ踏み込んでいれば、若者の首は飛んでいた。
「……ひッ!?」
若者が腰を抜かし、石畳に尻餅をつく。
カイルは、若者の顔を見ることもなく、ただそこに在る「障害物」として認識したような、底冷えする瞳で見下ろした。
「……進路の妨害を確認。排除対象となります。……下がれ」
感情のない声。
まるで、あらかじめ録音された音声を再生しているような、無機質な響き。
そこに「ファンへの感謝」も「慈悲」もない。ただの警告だ。
「ヒッ、ヒィィッ……!」
若者は恐怖で悲鳴を上げ、這うようにして群衆の中へ逃げ込んだ。
シン……と。
波が引くように、沿道の歓声が静まり返る。
市民たちも気づき始めているのだ。
自分たちが崇拝し、求めていた「最強の英雄」。
その中身が、何か別の「恐ろしいモノ」にすり替わっていることに。
それでも彼らは拍手を止められない。止めることが怖いからだ。
パレードは、不気味なほどの静寂と、乾いた拍手の音だけを残して通り過ぎていった。
◇
屋上の空気は凍りついていた。
俺はオペラグラスを握りつぶさんばかりに力を込めていた。爪が掌に食い込み、血が滲む。
「……見たか、レイ」
ジャックが、どこか楽しげに、それでいて自嘲気味に呟く。
「あれこそ、この街が求めた『理想の英雄』の完成形だ。……感情を持たず、恐怖も知らず、ただ効率的に敵を殲滅する。お前が教えた『効率』や『無駄をなくす戦い方』……それを、あの執政官殿が皮肉な形で完成させちまったわけだ」
「……違ぇよ」
俺は吐き捨てるように否定した。声が怒りで震える。
「俺が教えたのは、あいつらが『生きて帰るための知恵』だ。……心を殺して戦うことじゃねぇ!」
あいつらはバカだった。
プライドばかり高くて、実力が伴わなくて、すぐにパニックになって。
でも、焚き火を囲んで飯を食えば『美味い』と笑った。
怪我をすれば『痛い』と泣いた。
俺が悪態をつけば、顔を真っ赤にして怒り返してきた。
あいつらは、生きていたんだ。
今のあいつらは、死んでいるのと同じだ。
綺麗な服を着せられ、防腐処理を施された「動く剥製」だ。
「……ふん。違いない」
ジャックは短く鼻で笑うと、懐から鍵束を取り出した。
「もう十分だろ。これ以上、あんな悪趣味なパレードを見ていたら反吐が出る」
俺は踵を返し、ジャックに向き直った。
怒りのあまり、震える拳をコートのポケットに押し込む。
もう、迷いはない。
「ジャック。ここから『ドブネズミの道』への入り口は近いんだろ?」
「ああ。このビルの地下貯水槽から、古い水路が繋がってる。……だが」
ジャックは地下への錆びついた鉄扉に手をかけ、振り返った。
その表情から、先ほどの皮肉げな色は消え、真剣な情報屋の顔になっている。
「覚悟しておけよ。……ただじゃ通れないぞ」
「どういうことだ?」
「さっき部下から入った情報だ。……最近、王城の地下区画に、妙な『番犬』が住み着いているらしい」
ギギギ、と重い音を立てて扉が開く。
そこから先は、王城の暗部へと繋がる漆黒の闇だ。
「騎士団長のくせに、執務室にも戻らず地下を徘徊しているそうだ。『私の正しさを証明しなくては』……そんなうわ言を呟きながら、近づく者を無差別に斬り捨てている狂犬がな」
「……ジェイドか」
俺はため息をついた。
脳裏に蘇るのは、王都に来たあの日。
正門で俺を見下し、『レベル1の君は一般区画へ行きなさい』と笑顔で切り捨てた、あの純白の騎士の顔だ。
あの時、俺は何も言い返せず、悔しさを飲み込んで裏口へ回った。
だが、今の俺は違う。
「上等だ。……避けては通れねぇ壁なら、壊して進むだけだ」
俺はミスリルのパイプを握り直した。
かつて俺を「無能」と見下し、数字だけで人を判断した男。
そして今、自らの「正義」に押しつぶされそうになっている哀れな騎士。
「行くぞ。……まずはあの頑固な番犬に、『レベル1の実力』ってやつを教えてやる」
俺たちは暗い階段を降りていく。
湿った空気が肌にまとわりつく。
夜明けはまだ遠い。
だが、この長い夜を終わらせるために、俺たちは王城の深淵へと足を踏み入れた。




