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宿に戻った後。
ベルは自分の部屋へは行かず、
わざわざ大部屋へやって来た。
エリオンが不思議そうに見ると、
ベルは視線を伏せて呟いた。
「いつまた一緒にいられるか、
分からないじゃないですか」
そう言って、
エリオンの寝台にどさりと座ってしまった。
エリオンは何となく、
首の後ろを触った。
何と言えばいいのか分からなかった。
最近のベルは、
時々こういう姿を見せた。
一人でいたくないように。
誰かがそばにいるか、
何度も確かめようとするように。
エリオンはちらりと司祭を見た。
司祭はしばらくベルを見つめてから、
小さく息を吐いた。
そして言った。
「エリオンと話がある。
少し席を外してくれないか」
ベルがびくりとした。
少しためらってから、
しょんぼりした顔でゆっくりと立ち上がった。
扉の前まで歩いたベルが、
足を止めた。
「……終わったら呼んでください」
そして静かに扉が閉まった。
しばらく沈黙が流れた。
エリオンは扉の方を見つめてから、
ゆっくりと視線を戻した。
司祭はすでに、
自分の寝台に座っていた。
「座りなさい。
アカデミーについて話がある」
エリオンも自分の寝台に腰を下ろした。
司祭はすぐには口を開かなかった。
しばらく沈黙が続いた。
いつもの様子ではなかった。
エリオンは慎重に口を開いた。
「何かあったんですか?」
司祭は少し迷ってから、
ようやく口を開いた。
「返事が来たら……
中央教会へ行くことになる」
エリオンは頷いた。
「はい。
やっぱり伝手があるんだろうとは思っていました」
司祭は首を横に振った。
そしてため息をついた。
「……その程度ではない」
エリオンは目を瞬かせた。
「その程度じゃないなら……?」
司祭はしばらく口を閉ざしていた。
何をどう言えばいいのか、
迷っているようだった。
やがて、
ゆっくりと口を開いた。
「私たちは……
司教様にお会いすることになる」
エリオンは、
しばらく言葉を失った。
「……はい?」
司祭は苦笑した。
「いや……
ちょっと待ってください」
エリオンは手を上げて、
司祭の言葉を遮った。
頭が追いつかなかった。
司教。
一生に一度、
会えるかどうかという権力者。
そんな人に会いに行くというのか。
「司教様に……?」
エリオンが信じられない顔で聞き返すと、
司祭は小さく頷いた。
「そうだ」
「そんな人にどうして……
いや、どうやって……」
エリオンは呆然と司祭を見つめた。
聞きたいことはどんどん増えていくのに、
喉で詰まったように、
言葉にならなかった。
司祭が小さく笑って言った。
「あまり緊張しないことだ。
そもそも返事が来ない可能性もある」
「……問題はそこじゃない気がします……」
司祭が言った。
「深く考えなくていい。
大半の話は私がすることになるだろうから」
司祭は少し間を置いてから、
言葉を続けた。
「だから……
大丈夫だ」
そして少しの間。
司祭の表情が、
どこか複雑なものになった。
「そうだ……
大丈夫だろう」
小さな声だった。
まるで、
自分自身に言い聞かせているようだった。
エリオンはその反応を見て、
それ以上は聞けなかった。
そうして、
静かな沈黙が下りた。
その時だった。
廊下から怒ったような足音が聞こえ、
誰かが扉を勢いよく開け放った。
「詐欺だ!
詐欺!」
エリオンと司祭は驚いてそちらを見た。
トリーだった。
トリーは息を荒くしながら、
顔を真っ赤にしていた。
「傭兵にしてくれるって言ったのに!
雑用ばっかりさせて!」
エリオンは呆気に取られて見つめていたが、
やがて大きく笑い出した。
司祭は額を押さえ、
首を横に振った。
隣の部屋からは、
ベルが静かに出てきた。
トリーを見るなり目を丸くし、
表情を明るくして口を開いた。
「トリー!
もう帰ってきたの!?
どうすることになったの?
うまくいった?」
トリーはベルの方を振り返り、
泣きそうな顔で言った。
「ベルー、
もう死ぬほどしんどい!
腕も脚も折れそうだよー!」
ベルはトリーの泣き言を見てから、
からかうように笑った。
「よかったじゃない。
あれだけやりたがってたことでしょ」
トリーは全身から力が抜けたように、
がっくりとうなだれた。
「僕がやりたかったのは、
依頼とか冒険とか、
そういう浪漫のあるやつだったのにー」
トリーは腕をだらりと垂らして言った。
「この腕を見てよー。
もう自分の腕じゃないみたいだってばー。
仕事が終わったら、
訓練まで馬鹿みたいにやらされるんだよ!
あの筋肉お化けのオッサンが、
死ぬまでしごくって言うんだから!」
エリオンは笑いながら言った。
「初日からいったい何を期待してたんだよ」
皆が笑い出すと、
トリーは指を突きつけて言った。
「笑わないでください!!
本当に大変だったんですから!」
沈んでいた空気が、
一瞬で息を吹き返した。
ひとしきり騒ぎが過ぎて。
いつの間にか、
日が傾き始めていた。
そろそろ夕食にしようとしていた頃だった。
その時。
宿の中へ、
見覚えのある人物が入ってきた。
中央教会で見かけた警備兵だった。
彼は辺りを見回して司祭を探し、
やがて一行を見つけると頷いた。
警備兵はまっすぐ近づいてきて、
一通の手紙を差し出した。
「お届けするよう命じられました」
司祭は黙って手紙を受け取った。
警備兵は用件を終えたというように軽く一礼し、
すぐに宿を出ていった。
司祭はしばらく手紙を見下ろしていた。
封印を確かめると、
短く息を吐いた。
それから懐から硬貨を数枚取り出し、
エリオンに渡した。
「君たちは先に食べていなさい」
そう言い残すと、
静かに階段を上っていった。
トリーは何が起きたのか分からないまま、
ぼんやりと階段の方を見ていた。
ベルも何となく、
エリオンの様子をうかがった。
エリオンは先ほどの司祭の言葉を思い出した。
その程度ではない。
私たちは……
司教様にお会いすることになる。
エリオンは気づけば、
階段の方を見つめていた。
その時。
トリーが目の前で手をひらひらと振った。
「兄さん!
しっかりしてください!」
エリオンはびくりとして視線を戻した。
トリーは呆れた顔で言った。
「司祭様もそうですけど、
兄さんもそうです。
急に何なんですか、この空気」
そう言って、
ベルの方へ顔を向けた。
「ベル、何かあったの?」
ベルはしばらくエリオンを見た。
それから深くため息をつき、
何となくトリーの腕をぱしんと叩いた。
「姉さん」
トリーは叩かれた腕を抱えて飛び上がった。
「痛っ!
姉さん!
筋肉痛で痛いんだってば!」
トリーは泣きそうな顔になった。
そして叩かれた場所を何度もさすった。
ベルはその様子を見て、
少しだけ笑った。
だがふと、
エリオンを見上げた。
エリオンはまだ何も言わなかった。
いつもなら一緒に笑っていただろうに……
今は違った。
彼はぼんやりと、
階段の方を見つめていた。




