返信②
翌日の夕方。
トリーが仕事を終えて戻ってきた。
扉を開けて入ってくるなり、
寝台の上へ身体を投げ出した。
「うあああ……」
そうして、
そのままぐったりと伸びてしまった。
エリオンはその姿を見て、
小さく笑った。
隣の部屋にいたベルも音を聞いたのか、
扉を開け、
足を引きずるようにして入ってきた。
そして、
寝台に転がっているトリーを見てため息をついた。
「今からそんなに伸びていて、
これからどうするつもりなの」
トリーは顔も向けないまま答えた。
「知らないよぉ……」
ベルが舌打ちした。
「そこ、寮もないの?
いつまでこうして通うつもり?」
小言を言いながらも、
その表情は決して嫌そうではなかった。
「知らないよぉー!
しばらくはこうして通えってさ!!」
トリーは寝台の上でじたばたと暴れた。
「くそぉ!!
きつい!
きついよー」
そうして、
「あいたた……」と言いながら、
手足をぱたりと投げ出した。
「僕だって、
こうして通うのは死ぬほど大変なんだってぇ……」
ふと、
トリーが顔を上げて口を開いた。
「あ、そうだ」
それからエリオンと司祭を交互に見た。
「後見人だか何だかに会いに行くって言ってましたよね?
行かないんですか?」
寝台に静かに座っていた司祭が、
ゆっくりと身を起こした。
「ちょうど行こうとしていたところだ」
それから、
トリーとベルを交互に見た。
「行ってくるから、
大人しくしていなさい」
トリーが司祭をちらりと見て、
口を開いた。
「帰りに豚串!」
司祭は小さく笑って、
宿を出た。
エリオンも立ち上がり、
後を追った。
その途中、
扉の前で少し足を止めた。
彼はちらりと振り返って言った。
「行ってくる」
ベルが先に手を振ってくれた。
「うん、行ってらっしゃい」
トリーは寝台に転がったまま、
腕だけを少し上げた。
「帰りに……
豚串ー」
エリオンは小さく笑った。
そして扉を閉めた。
エリオンは静かに息を吸い込んだ。
それから、
階段を下りていく司祭を見た。
エリオンは歩き出しながら、
気持ちを引き締めた。
いよいよ、
中央教会へ行く時間だった。
中央教会へ向かう道。
司祭は何も言わなかった。
ただ複雑な表情のまま、
黙々と歩いているだけだった。
エリオンは何度も声をかけようか迷った。
だが結局、
口を閉ざした。
静かに後ろをついて歩くだけだった。
ほどなくして、
中央教会が姿を現した。
司祭はまっすぐ正門へ向かった。
警備兵が警戒のこもった視線を送った。
司祭は懐から手紙を取り出し、
差し出した。
警備兵はそれを受け取ると、
手紙の紋章を確認した。
そして差出人まで確かめると、
手紙を返して言った。
「確認しました」
重々しく敬礼し、
静かに道を空けた。
司祭は何も言わずに中へ入った。
エリオンも後に続いた。
中へ入ると、
すでに誰かが彼らを待っていた。
昨日見かけた管理官だった。
彼はひどく苛立った様子で、
足先を小刻みに動かしていた。
やがて司祭を見つけると、
深いため息をついた。
彼は司祭の前へ大股で近づいてきた。
そして、
露骨に上から下まで眺め回した。
エリオンの眉がぴくりと動いた。
挨拶も、
説明もなかった。
ただ身体をくるりと向け、
先に立って歩き始めた。
エリオンは一瞬、
戸惑った。
あまりにも露骨な態度だった。
何かを言おうとした、その瞬間。
司祭が小さく首を横に振った。
エリオンは口を閉ざした。
そうして、
廊下を進み始めた。
中央教会の内部は静かだった。
高い天井と真っ白な壁。
窓から差し込む光が、
床を長く照らしていた。
だが、
そんな景色は目に入ってこなかった。
管理官の呟きが、
ずっと聞こえていたからだ。
「ついてないにもほどがある……」
管理官が舌打ちした。
「よりにもよって、
あんな奴と関わることになるとはな」
エリオンの表情が固まった。
あれは独り言ではなかった。
明らかに、
聞こえるように言っていた。
エリオンは思わず司祭を見た。
司祭は何も言わなかった。
言い返すことも、
怒ることもしなかった。
ただ少し頭を下げたまま、
黙々と歩いているだけだった。
廊下をしばらく進むと、
管理官はある扉の前で足を止めた。
彼は身を横へどけた。
「司教様がお待ちです」
そして、
ぶっきらぼうに付け加えた。
「お入りください」
それだけ言い残して、
管理官はすぐに背を向けた。
彼はそのまま遠ざかっていった。
足音が廊下の奥へ消えていった。
扉の前には、
静寂だけが残った。
エリオンは思わず司祭を見た。
司祭は扉の取っ手を見下ろしていた。
やがて、
ゆっくりと取っ手に手をかけた。
一瞬、
その手が止まった。
そして長く息を吐いた。
やがて、
ゆっくりと扉を開けた。
机の上には書類が山のように積まれており、
一人の老人がその真ん中で執務をしていた。
髪はすでにすっかり白くなっていたが、
背筋は少しも曲がっていなかった。
骨太で体格もよく、
老いた騎士に近い印象だった。
彼は最後の一行に何かを書き入れると、
ペンを置いた。
そしてゆっくりと視線を上げた。
濃い眉の下にある目は、
少しも濁っていなかった。
多くの人間を見て、
多くの決断を下してきた目だった。
その視線が司祭へ向いた。
そうしてしばらく、
言葉もなく見つめていた。
やがて老人がゆっくりと口を開いた。
「来たか」
淡々とした一言。
懐かしさもなく、
敵意もなかった。
ただ何かを確認するような口調だった。
彼の視線がエリオンへ移った。
「そうか」
少し間を置いて。
「お前か」
エリオンは思わず身体をこわばらせた。
どういう意味なのかは分からなかった。
だが理由の分からない圧迫感に、
口を開くことができなかった。
老人は手を上げ、
机のそばにある椅子を指した。
「ひとまず座れ」
司祭とエリオンは、
静かに席に着いた。
老人は机の上の書類を脇へ寄せた。
それから、
司祭を見た。
しばらく言葉はなかった。
その沈黙は、
ひどく重く感じられた。
やがて。
老人がゆっくりと口を開いた。
「恥知らずと言うべきか」
彼の指が机を軽く叩いた。
「面の皮が厚いと言うべきか」
司祭は何も言わなかった。
老人の目が細くなった。
「お前を生かすために、
どれほど多くの犠牲を受け入れたか分かっているなら」
彼は静かに続けた。
「訪ねて来るべきではなかったのではないか?」
部屋の中が静まり返った。
エリオンは思わず司祭を見た。
だが司祭は、
それでも口を開かなかった。
頭を下げたまま、
その言葉を受け止めているだけだった。
老人はため息をついた。
それから今度は、
エリオンへ視線を向けた。
何かを評価するような視線だった。
老人はしばらくエリオンを観察した。
顔。
姿勢。
目つき。
まるで秤にかけるように見極めてから、
ゆっくりと口を開いた。
「その子のために、
恥を忍んで訪ねて来たということか」
司祭は相変わらず答えなかった。
老人が小さく笑った。
その視線が、
エリオンを射抜くように向いた。
「その子に、
それだけの価値があればよいが……」
エリオンは思わず唾を飲み込んだ。
老人の目は少しも揺れていなかった。
司教は椅子に背を預けて言った。
「前回のような、
無駄な真似でないことを願う」
司祭がふとエリオンを見た。
「エリオン」
エリオンが顔を上げた。
「聖法を見せてみなさい」
その言葉に、
エリオンは一瞬緊張した。
やがて息を整え、
両手を持ち上げた。
意識を集中すると、
淡い光が生まれ始めた。
小さな光の粒。
だが、
それはすぐにはっきりとしたものになった。
柔らかく安定した光が、
部屋の中をほのかに照らしていた。
司教の目が一瞬だけ見開かれた。
だがすぐに、
いつもの表情へ戻った。
むしろ、
より驚いていたのは司祭の方だった。
「……ここまでではなかったはずだが」
司祭が信じられないというように呟いた。
司教の視線が、
二人を交互に見た。
「ふむ」
彼は顎髭を撫で下ろした。
「それで、
聖法を学んでどれくらいになる?」
司祭が代わりに答えた。
「一か月にも満たない程度です」
今度は司教もしばらく言葉を失った。
彼の手が顎髭の上で止まった。
そしてゆっくりとエリオンを見た。
先ほどよりもずっと真剣な視線だった。
エリオンは何となく居心地が悪くなり、
聖法を収めた。
部屋の中がしばらく静かになった。
司教は椅子に身体を預けたまま、
考え込んだ。
やがて。
「なるほど、悪くない」
少し間を置いて。
「いや。
非常に良い」
彼の視線が司祭へ向いた。
「無理をしてでも訪ねてくるだけのことはある。
これほどの才なら、
埋もれさせるには惜しい」
司祭のこわばっていた肩が、
少しだけ緩んだ。
司教は机の上の紙を引き寄せた。
そして迷いなくペンを取った。
「推薦状は私が書いてやろう」
司祭とエリオンが同時に顔を上げた。
「後見人として学費も支援する。
奨学金でも受け取れたなら……
小遣いにでも使え」
エリオンは軽く頭を下げ、
礼を述べた。
「ありがとうございます」
「構わん。
こちらにも思惑があってのことだ。
すべて借りであり、
いつかは返してもらう」
彼は推薦状に署名すると、
ペンを置いた。
それから鋭い目でエリオンを見た。
「今から……
お前は私の人間だ」
その言葉は、
重く響いた。
司教が背もたれに身体を預けた。
「さて、
これで用件は終わったようだな」
彼の視線が司祭へ向いた。
「他に言うことがないなら、
帰ってよい」
司祭はしばらく口を閉ざした。
やがて咳払いをした。
「……小さな用件が残っています」
司教の眉が上がった。
「小さな用件?」
司祭は何となく、
首の後ろを触った。
「その……」
彼は少し視線を逸らした。
「金がありません」
司教が止まった。
「何?」
「少し事情がありまして。
思ったより出費がかさんでしまい……」
司祭の声はだんだん小さくなっていった。
「それで……」
司教は腕を組んだ。
「それで?」
司祭は一瞬、
ぎゅっと目を閉じた。
「生活費が足りません」
部屋の中が静まり返った。
エリオンは呆けた顔で、
司祭を見た。
司教は長い間、
何も言わなかった。
やがて、
そのまぶたがぴくりと動いた。
「私に小遣いをせびりに来たというのか?」
司祭は渋々頷いた。
「はい」
「……本当に図々しい男だな」
司教は深くため息をつき、
手をひらひらと振った。
「宿に人を向かわせてやる」
それから額を支えるようにして言った。
「他に用がないなら出ていけ。
血圧が上がりそうだ」
その言葉に、
司祭は静かに席を立った。
エリオンも続いて立ち上がり、
彼とともに静かに部屋を出た。
部屋を出ながら、
エリオンは司祭をじっと見た。
司祭の顔は、
少し赤くなっているようだった。




