整理 ①
翌日の明け方。
エリオンは目を覚ました。
眠った気がしなかった。
天井をぼんやりと見つめてから、
ゆっくりと身体を起こした。
部屋の中はまだ暗かった。
何となく、
そのまま横になっているのが息苦しかった。
エリオンは静かに寝台を抜け出した。
廊下へ出ようとした瞬間、
窓辺に座っている人影が目に入った。
司祭だった。
司祭は静かに窓の外を見つめていた。
顔色は、
一睡もしていない人のようだった。
エリオンはしばらく迷ってから、
口を開いた。
「眠れなかったんですか?」
司祭が小さく笑った。
「君も同じだろう」
エリオンは答えられなかった。
しばらく沈黙が流れた。
窓の外からは、
人々が一日を始める支度をする音が、
かすかに聞こえていた。
司祭が静かに尋ねた。
「それで」
エリオンは彼を見た。
司祭は相変わらず、
窓の外を見ていた。
「君は決めたのか」
エリオンは何も言わず、
窓の外を見つめた。
赤い夜明けの光が、
城壁の上へゆっくりと広がっていた。
少しして。
エリオンはゆっくりと口を開いた。
「……最初は、考えていませんでした」
司祭がそっと顔を向けた。
「最初は?」
エリオンは小さく頷いた。
「はい。最初は」
少し言葉を選んでから、
もう一度口を開いた。
「教理や聖法に興味がなかったと言えば……
嘘になるでしょう」
エリオンは苦く笑った。
「ですが、
今はよく分かりません」
司祭は何も言わずに聞いていた。
「最近あったことが……
重かったので」
しばらく沈黙が流れた。
「だから、いっそ故郷に帰ろうかとも思いました」
エリオンは自分の指先を見下ろした。
「心にもないことをしたくはなかったんです」
司祭は答えなかった。
エリオンは少し声を落として続けた。
「けれど……
現実が浮かびました」
「現実?」
「一生、船に乗りながら、
サラを幸せにしてやれるのか」
司祭の目が少し深くなった。
エリオンは窓の外を見つめたまま言った。
「中央教会に入れば、
安定した暮らしができると聞きました」
司祭の眉がわずかに上がった。
エリオンは照れくさそうに笑った。
「サラにもっといい服を着せてやれると思いました。
もっといいものも食べさせてやれるでしょうし」
しばしの静寂。
そして、
司祭がとうとう笑い出した。
「ずいぶん恋人思いだな」
エリオンは何となく頬を掻いた。
「好きなんです。
かなり」
司祭はしばらく笑いをこらえてから、
ゆっくりと頷いた。
「そうだな。
それも大切な理由だ」
エリオンは少し躊躇した。
「それから……」
司祭が彼を見た。
エリオンは自分の手を見下ろしながら続けた。
「僕に何ができるのかも、
少し知りたくなりました」
司祭の表情から、
笑みが少し消えた。
「できること?」
「はい」
エリオンは小さく頷いた。
「今回のことで……
何もできなかったという思いが、
ずっと残っていました」
病人を背負って走ったこと。
レアが一人で残ったこと。
結局、
病人を置いていったこと。
そのすべてが、
一瞬、脳裏をよぎった。
エリオンは低く言った。
「聖法を学んだからといって、
すべてを変えられるわけではないでしょうけど」
彼は窓の外を見つめた。
「無力なままではいたくなくなりました」
司祭はしばらくエリオンを見つめていた。
そして、
ゆっくりと頷いた。
「よく考えたな」
柔らかく言った。
「サラには……
私からよく話しておこう」
それから小さく笑った。
「ああ、とはいえ手紙くらいは書いておきなさい。
平謝りする内容でな」
エリオンの表情が一瞬固まった。
司祭はかすかに笑いながら続けた。
「手紙もなければ、
私でも受け止めきれるか分からないからな」
エリオンは真剣に答えた。
「……本当に、うまく言ってください」
司祭は窓の外を見つめながら笑った。
「努力はしてみよう」
夜明けの光が、
少しずつ明るくなっていた。
エリオンもまた、
自分の道を決めつつあった。
陽射しの温かな朝。
一行は静かに朝食を取っていた。
いつもなら、
トリーがふざけてベルと言い合いになっていただろう。
けれど、
今日は違った。
トリーは匙でスープをくるくるとかき混ぜているだけで、
ベルも食べているのかいないのか分からない様子だった。
エリオンも、
大して変わらなかった。
司祭は何も言わず、
水の入った杯を見下ろしていた。
その時、
トリーがふと顔を上げた。
「兄さん」
突然呼ばれて、
エリオンは少し驚いた。
「うん?」
トリーは力なく笑って言った。
「私が有名な傭兵になったら、
たくさん稼いで兄さんのことも助けるね」
エリオンはぽかんとトリーを見つめた。
「何を急に変なこと言ってるんだ?」
トリーはわりと真面目な顔で答えた。
「聖職者って、貧しそうだから」
ベルが、
ぷっと小さく吹き出した。
エリオンも呆れたようにトリーを見つめ、
司祭は小さく笑って匙を置いた。
一行の反応に、
トリーが頭を掻いた。
エリオンは柔らかく笑いながら、
トリーを見た。
「そうだな。
有名になったら、たくさん助けてくれ」
少し考えてから、
付け加えた。
「金も借りるし、名前も借りる。
骨の髄までしゃぶり尽くしてやる」
トリーはぎこちなく笑った。
「そこまでするつもりはなかったんだけど……」
ほんの少しの間だった。
それでも、
重かった空気が少しだけ和らいだ。
そうだ。
これが最後ではなかった。
一緒にいられなくても、
縁が切れるわけではないのだから。
そう思うと、
心が少しだけ楽になる気がした。
食事が終わり、
しばらく静寂が流れた。
司祭が杯を置いて言った。
「昨日の話の続きをしなければならないな」
空気が再び静かになった。
トリーは何となく自分の腕を触り、
ベルはうつむいた。
司祭が尋ねた。
「トリー」
トリーが顔を上げた。
「まだ同じ考えか」
トリーは床を見つめた。
それからベルをそっと盗み見て、
再び司祭を見た。
「はい」
いつになく、
しっかりとした声だった。
司祭が頷いた。
「そうか」
トリーはしばらく唇を動かした。
「怖くはあります」
照れくさそうに笑った。
「ちゃんとできるかも、
分かりません」
しばしの沈黙。
トリーはもう一度顔を上げた。
「それでも……
やってみたいです」
ベルは顔を上げられなかった。
何も言わなかった。
トリーがベルを見つめて言った。
「ごめん」
ベルの指先がぴくりと動いた。
しばらくして。
ベルは小さく首を横に振った。
そして苦しそうに、
トリーと向き合った。
「……違うよ」
声が少し震えていた。
ベルは無理やり息を飲み込み、
小さく言った。
「応援する」
トリーの目元が赤くなった。
トリーは涙を拭いながら頷いた。
「うん」
トリーは無理に笑った。
「頑張ってみる」
司祭は今度、
エリオンを見た。
「君は?」
エリオンはしばらく沈黙した。
双子の視線が彼へ向いた。
エリオンはゆっくりと口を開いた。
「僕も残ります」
部屋の中が静まり返った。
トリーは安心したように、
小さく息を吐いた。
ベルはうつむいた。
しばらく唇を動かしていたベルが、
苦しそうに言った。
「そう……
なんですね」
エリオンは低く言った。
「ごめん」
ベルは首を横に振った。
「いいんです」
涙を飲み込んだ。
そしてようやく、
エリオンを見て言った。
「行ってきてください」
エリオンは、
すぐには答えられなかった。
その小さな一言が、
あまりにも痛かった。




