神を求める夜 ①
ただならぬ気配を最初に察したのは司祭だった。
司祭はまだ寝ぼけていたトリーの肩を乱暴に揺さぶる。
「起きろ!」
トリーが何かをぼそぼそと呟くと、
司祭は容赦なく頬を張った。
パシッ!
トリーは目を丸くする。
司祭はさらに肩を揺さぶった。
「しっかりしろ!
ぐずぐずしていたら全員死ぬぞ!」
トリーは飛び起きた。
司祭はすぐにエリオンへ振り向く。
「エリオン! 患者を起こせ!
ベル! 急げ!」
ベルはすでに荷袋を抱えていた。
レアも慌ただしく荷物をまとめる。
その動きに迷いはない。
エリオンは急いで患者を揺り起こした。
「起きてください!」
患者はぼんやりとした目でエリオンを見上げる。
外では悲鳴と怒号が入り混じっていた。
突然起こされ戸惑っていた患者も、
その騒ぎに気付くと顔を強張らせる。
エリオンは荷袋を背負い直し、
患者の腕を肩へ回した。
患者は外を見ながら力なく呟く。
「……申し訳ない」
「気にしないでください。
急ぎましょう」
その時、
再び外から悲鳴が響いた。
レアの顔が歪む。
視線が腰へ落ちた。
「……クソ、剣さえあれば」
吐き捨てるように言うと、
そのまま扉へ向かう。
「ついて来い!」
一行はレアの後を追って外へ飛び出した。
外はすでに地獄だった。
あちこちで炎が上がり、
焦げ臭さと血の匂いが夜風に混じって漂う。
松明を掲げて叫ぶ者。
シャベルやつるはしを振り回して抵抗する者。
老人でさえ必死に武器を振るっていた。
だが、
悲鳴は止まらない。
首のない死体。
目を閉じることもできぬままの死体。
それらが至る所に転がっていた。
ベルの顔が青ざめる。
トリーも呆然としていた。
レアは唇を噛みながら周囲を見回す。
すると、
一方向へ固まって逃げていく女たちと子供たちが目に入った。
レアの目が鋭く光る。
「あっちだ!」
逃げる人々を指差して叫ぶ。
「ついて来い!
抜け道があるかもしれない!」
レアが先頭で走り出す。
一行も慌てて後を追った。
だがしばらくすると、
レアの表情が曇った。
エリオンが遅れ始めていた。
患者はまだまともに歩ける状態ではない。
エリオンの呼吸も乱れ始めている。
レアは舌打ちした。
「クソ……!」
そして叫ぶ。
「いっそ背負って走れ!」
エリオンは目を見開いた。
ぎゅっと目を閉じると、
患者を背中へ担ぎ上げる。
患者は一瞬身を固くしたが、
すぐに大人しく身を預けた。
エリオンの足がわずかに震える。
大きく息を吸い込み、
再び走り始めた。
呼吸はどんどん荒くなっていく。
だが、
誰かが遅れたからといって立ち止まることはできない。
必死に走り続けた先で、
人々が集まっているのが見えた。
木柵の下に設けられた小さな通用門。
人々はそこから次々と外へ逃げ出している。
そしてその前には――
完全武装したあの男が立っていた。
盾を構え、
村人たちを急かしながら外へ送り出している。
レアは彼を見るなり叫んだ。
「私の剣は!?」
男はレアを見つけると短く頷く。
そして脇に立て掛けてあった剣を掴み、
レアへ放り投げた。
レアは素早くそれを受け取る。
ほんの一瞬、
安堵がその顔をよぎった。
男が急いで言う。
「この人たちについて行ってくだせぇ!
できるだけ散らばって!」
一息置いて続ける。
「盗賊どもがうろついてます。
言いてぇこと、分かりますよね?」
レアは短く頷いた。
息を切らしていたエリオンが尋ねる。
「……あなたは?」
男はにやりと笑う。
「誰かがここを守らねぇと」
彼は後ろを振り返った。
遠くの松明がこちらへ近付いている。
「時間を稼がねぇと、
みんな逃げられねぇでしょう」
そう言って短く息を吐いた。
「巡回隊が故郷の連中を見捨てて
逃げるわけにはいかねぇですから……
どうやらここが
俺の墓場みてぇです」
その場の誰も、
すぐには言葉を返せなかった。
男は照れ隠しのように苦笑すると、
通用門を顎で示す。
「早く行ってくだせぇ」
その間にも、
最後の避難民たちが門を抜けていく。
「首都に行くことがあったら、
俺のことも伝えてくだせぇ!」
盾を握り直しながら叫ぶ。
「勇敢に戦って死んだって!」
レアが最初に門をくぐった。
ベルは目を赤くしながら深く頭を下げる。
トリーも唇を引き結び、
深々と礼をした。
「ありがとうございます……」
エリオンも患者を背負ったまま言う。
「本当に……
申し訳ありません」
男は返事の代わりに、
盾を掲げてみせた。
それを見ていた司祭が、
短い祝福の祈りを捧げる。
「太陽神の加護があらんことを……」
男は苦笑した。
「……神様が本当に見ていてくれるなら、
ありがてぇんですけどね」
村を抜けると、
人々は散り散りになって逃げていた。
誰もが身を低くしながら、
草原の中をかき分けるように進んでいく。
人が通るたび、
湿った草むらが大きく揺れた。
レアがちらりとエリオンを振り返る。
そして患者を睨みながら低く言った。
「走れなくても、
歩くくらいはできるだろ」
患者は荒い息を吐きながら、
エリオンの肩を軽く叩いた。
エリオンが彼を降ろす。
患者はふらつきながらも、
どうにか足を踏ん張った。
そしてレアを見て小さく頷く。
「……努力しよう」
レアは顔を背けながら身を低くした。
「無理でも踏ん張れ」
そう言うと、
再び草むらへ入っていく。
一行もその後に続いた。
だが、
村の外にもすでに盗賊たちが散っていた。
数こそ多くないものの、
周囲を警戒しながらあちこちを巡回している。
レアはできる限り奴らの視線を避けながら進んだ。
その時だった。
遠くにいた盗賊の一人が、
にやりと笑って口を開く。
「誰を馬鹿にしてやがる……」
男はゆっくりと松明に火をつけた。
そして大声で叫ぶ。
「おい!
狩りの時間だ!!」
その瞬間だった。
あちこちで松明が次々と灯る。
闇の中に隠れていた人影が、
一瞬で浮かび上がった。
誰かが悲鳴を上げる。
誰かは逃げる方向も分からず立ち尽くす。
レアが振り返って叫んだ。
「走れ!!」
その声と同時に、
一行は一斉に駆け出した。
患者も荒い息を吐きながら、
必死に走る。
だが、
ほどなくして足をもつれさせ、
前へ倒れ込んだ。
エリオンが慌てて駆け寄る。
そして再び患者を背負った。
「……申し訳、
ありません……」
患者は呼吸もままならぬまま呟く。
エリオンは答えず、
ただ歯を食いしばって走った。
息は限界まで上がっている。
背中の重みのせいで、
速度も徐々に落ちていた。
その間にも、
何人かの盗賊が距離を詰めてくる。
レアは振り返ると、
他の仲間たちへ向かって叫んだ。
「遅れたら置いて行け!
こっちは私が何とかする!」
そう言いながら、
さらに速度を上げる。
「森へ向かえ!!
絶対に止まるな!」
一行は半ば無我夢中で走った。
ベルは涙を堪えながら前だけを見る。
トリーの呼吸は激しく乱れていた。
司祭もちらりと後ろを振り返る。
顔をしかめながらも、
決して足は止めない。
レアは速度を落とし、
エリオンとの距離を縮めていった。
やがて――
一人の盗賊がエリオンに追いつく。
男は歓声にも似た叫びを上げながら斬りかかってきた。
レアが割り込む。
エリオンの前へ飛び出し、
その一撃を受け止めた。
キィン!
鋭い金属音が夜に響く。
レアの剣先が蛇のようにうねり、
盗賊の剣へ絡みついた。
そしてそのまま――
首筋へ滑り込む。
ブシュッ。
鮮血が噴き出した。
盗賊の目が大きく見開かれる。
そのまま力なく崩れ落ちた。
レアは即座に剣を引き抜く。
そして再びエリオンの隣へ戻った。
彼女は倒れた死体を振り返ることすらしない。
二人は急いで走り続ける。
後方からは絶えず悲鳴が聞こえていた。
松明の光も、
少しずつ近付いてきている。
こうして――
追撃戦が始まった。




