亀裂
夜が明けると、
粗末な小屋の中も少しずつ明るくなり始めた。
エリオンもゆっくりと身を起こした。
家の中には、まだかすかに温もりが残っていた。
扉の向こうから、
レアと神官が話す声が聞こえてきた。
エリオンはぼんやりと周囲を見回した。
夫婦は互いに抱き合ったまま眠っており、
トリは大の字になって深い眠りについていた。
ベルは身体を丸め、
マントをぎゅっと抱きしめていた。
エリオンは思わず笑みを浮かべながら、
トリの肩を揺すった。
「トリ、起きろ」
「うぅん……」
トリはぐずるように身をよじった。
エリオンがもう一度肩を揺すると、
ようやく身体を起こし、
あくびをしながら大きく伸びをした。
「くぅぅ……」
今度はエリオンがベルへ手を伸ばした。
「ベル」
ベルは眠そうな顔で目をこすりながら、
なんとか身体を起こした。
「……はい……」
周囲が少しずつ騒がしくなると、
夫婦も目を覚まし、静かに起き上がった。
トリはしばらくぼんやりしていたが、
身体を軽く叩きながら言った。
「ふぅ……暖かいところで寝たからかな?
少し身体が楽になった気がする」
ベルはちらりとトリを見て呟いた。
「私は暑くて、あまり眠れなかったけど……」
エリオンは小さく笑い、
ベルの目元についていた目やにを取ってやった。
ベルは照れくさそうに顔を背けた。
エリオンは立ち上がり、外へ出た。
朝だというのに、
辺りには柔らかな温もりが漂っていた。
淡い光の粒が、
タンポポの綿毛のようにゆっくりと宙を舞っている。
エリオンは視線を向けた。
レアが壁にもたれて立っており、
その前で神官が話をしていた。
エリオンは近づきながら尋ねた。
「お二人で何をそんなに話しているんですか?」
神官はエリオンを振り返った。
「王都に着いた後の話をしていた」
「その後、ですか?」
エリオンは少し不思議そうに聞き返した。
神官はうなずき、
ちらりとレアを見た。
レアが口を開く。
「帰郷する時の護衛を予約できないかって聞かれてたんだ」
そう言って肩をすくめた。
「私は別に構わないけどね」
帰郷の道。
エリオンはしばらく口を閉ざした。
ふと、
オルムで神官と交わした会話を思い出す。
『中央教会に入ることもできる、ということですか?』
そして、
トリが傭兵証を弄っていた姿も脳裏に浮かんだ。
王都に着けば――
誰かは、
そこで別れることになるのだろうか。
その事実がどこか不思議に感じられた。
荷物をまとめた一行は、
再び王都へ向けて歩き始めた。
空には雲ひとつない。
陽射しは暖かく、
風も穏やかだった。
トリは朝から夫婦に張り付き、
楽しそうに話し続けていた。
ベルもまた、
どこか浮き立った表情をしていた。
エリオンは少し歩調を緩め、
先を行く仲間たちを見つめた。
楽しそうに語り合いながら歩く姿。
ふと、
今回の旅はうまくいくかもしれないと思った。
だが――
しばらくすると、
妙な違和感を覚え始めた。
道ですれ違う巡礼者たちが、
警戒するような目でこちらを見ていた。
剣の柄に手をかけたまま通り過ぎる者もいれば、
露骨に睨みつけていく者もいた。
いつもなら、
軽い挨拶くらいは交わしていたはずなのに。
エリオンは思わず周囲を見回した。
その時、
先を歩いていた老傭兵が低く呟いた。
「うむ……何だか妙だな」
レアも静かにうなずく。
それ以降、
皆の口数は自然と減っていった。
そうして一日中歩き続け、
日が暮れかけた頃だった。
遠くに小さな灯りが見えた。
誰かが野営しているらしい。
トリの目がぱっと輝く。
「あっ、よかった!
あっちに合流すればいいんじゃないですか?」
老傭兵はしばらく灯りを見つめた後、
ゆっくり首を横に振った。
「いや。少し離れた場所にした方がいい」
トリは不思議そうな顔をした。
「どうしてです?」
隣でレアが短く息を吐いた。
「私たちが行っても、
向こうは歓迎しないと思うよ」
エリオンはレアを見た。
レアは頭を掻きながら口を開く。
「道で見ただろ?
みんな妙に神経質になってた」
老傭兵が低く呟く。
「盗賊どもの噂も、
どうやら単なる噂ではなさそうだな」
ベルは怯えたように、
エリオンの服をぎゅっと掴んだ。
エリオンは遠くの小さな灯りを見つめた。
向こうもこちらを警戒しているのかもしれない。
結局、
灯りから少し離れた場所に陣取った。
拾い集めた薪で火を起こし、
簡単に夕食を済ませる。
食事の最中も、
レアと老傭兵の表情は冴えなかった。
食事が終わると、
レアと老傭兵は神官と夫を呼んだ。
最初に口を開いたのは老傭兵だった。
「今夜は見張りを立てた方がよさそうだ」
夫の表情がわずかに強張る。
「そこまでですか?」
レアはうなずいた。
「少し疲れるだろうけど、
我慢して」
彼女は闇の向こうへ視線を向けた。
別の野営地の小さな灯りが、
夜の中でいっそう鮮明に見えていた。
「雰囲気が……
あまり良くない」
しばし沈黙が流れた。
そして全員が静かにうなずいた。
短い相談の末、
見張りの順番が決まった。
神官、エリオン、レア、
老傭兵、夫の順だ。
最初の番である神官を除き、
皆は休む準備を始めた。
神官は火を管理しながら、
何度も周囲へ目を配った。
誰も簡単には眠れなかった。
不安から何度も寝返りを打ち、
小さな物音にもびくりと反応する。
いつもとは違う、
落ち着かない夜だった。
翌朝。
再び歩き始めると、
空気が変わっていることを実感した。
聖騎士や巡回兵の姿が、
いつもより目につく。
聖騎士は巡礼者たちを注意深く観察し、
巡回兵も緊張した面持ちで周囲を警戒していた。
レアが小さく舌打ちする。
「本当に何かあるみたいだね」
老傭兵は答えなかった。
だが、その表情は硬いままだった。
そうしてしばらく歩いていた時だった。
道端の隅に、
誰かが倒れているのが見えた。
エリオンは反射的に駆け出そうとした。
その瞬間、
レアの手がエリオンの肩を掴んだ。
「待って」
その目は鋭く沈んでいた。
「盗賊が囮を置いてる可能性もある」
レアは道脇の草むらを見回し、
手振りで待機を指示した。
そしてゆっくりと、
剣を握ったまま倒れている人物へ近づいていく。
一定の距離まで近づくと、
慎重に身を低くした。
しばらく相手の様子を確認し――
やがて短くため息をついた。
頭をがしがしとかいたレアが振り返る。
「おーい! 囮じゃなさそうだ!」
全員が安堵の息を漏らした。
だが、
レアの表情はまったく明るくなかった。
彼女は再び倒れている人物を見下ろした。
そして低く呟く。
「でもな……」
レアの顔がゆっくりと歪んだ。
「こりゃ、こっちの方が面倒かもしれないな」
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