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巡礼者の道  作者: 잿빛서기관


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同行の重み

第十四話 同行の重み


レアと別れた後、


宿へ戻った頃には、


もうすっかり夜も更けていた。


トリーは酒がまだ残っているのか、


普段よりずっと騒がしい。


その一方で、


エリオンは半分死んだような顔で壁に手をついていた。


「……気持ち悪い……」


トリーがくすくす笑う。


「兄ちゃん、本当に弱いな」


「お前の分まで誰が飲んだと思ってる……」


「それは兄ちゃんが勝手に――」


ぺしっ。


エリオンの手が、


トリーの後頭部を軽く叩いた。


「いてっ!」


その時だった。


宿の奥から、


火を起こす音が聞こえた。


しばらくして、


鍋の蓋が小さく鳴る。


「まあ、お帰りなさい」


女将がほっとした顔で迎えてくれた。


奥では主人が鍋を温め直している。


暖かな匂いがゆっくりと広がった。


司祭が目を瞬かせる。


「……まだ起きておられたのですか」


主人が笑う。


「帰ってきてない客を置いて、


先に寝るわけにもいきませんからね」


そう言って、


鍋をかき混ぜた。


「夕食もまだだろうと思って、


温めておいたんですよ」


その言葉に、


エリオンは妙な申し訳なさを覚えた。


トリーも気まずそうに肩をすくめる。


「ご、ごめんなさい……」


「そんなことで謝らなくていいよ」


女将は笑いながら手を振った。


「ほらほら、


早く座りなさい」


「パンも温め直してあるから」


促されるまま、


一行は席についた。


女将が奥の部屋を見ながら小さく笑う。


「あの子、


待ってるうちに寝ちゃったよ」


その直後。


奥の扉が少しだけ開いた。


ベルだった。


半分閉じた目のまま、


とてとてと歩いてくる。


髪は寝癖で少し潰れ、


まだ夢の中にいるような顔だった。


「うぅ……」


女将が優しく背中を叩く。


「それでもご飯は食べてから寝ないとね」


ベルはぼんやりしたまま頷き、


席についた。


運ばれてきたスープは温かかった。


柔らかく煮込まれた野菜。


少し塩気のある出汁。


まだ胃の調子は良くなかったが、


それでも少しずつ食べられた。


一方で。


トリーは完全に元気を取り戻していた。


「だからさ、


本当に一瞬だったんだって!」


ベルへ身を乗り出しながら、


夢中になって話し始める。


「こう、


ぱっと掴んでさ!」


自分の腕を掴む。


「そのままこう!」


勢いよく振り回す。


「ドンッ!って!」


ベルの目が少し大きくなる。


「本当に……?」


「本当だって!」


トリーはすっかり興奮していた。


「あんな大男だったのに、


何もできなかったんだぞ?」


ベルは自分の腕をそっと撫でる。


「……痛そう」


「痛いどころか当然だろ!」


トリーはすっかりレアの話ばかりしていた。


司祭はそんな様子を見ながら、


小さく笑う。


ただ、


いつもより水を飲む回数が多かった。


顔色は変わらない。


それでも、


口数は明らかに少ない。


しばらくしてから、


ぽつりと呟いた。


「……厄介だな」


そう言いながらも、


表情が本当に嫌そうなわけではなかった。


むしろ、


少し呆れたような、


どこか楽しそうな顔にも見える。


食事が終わった頃には、


かなり遅い時間になっていた。


トリーが欠伸をしながら立ち上がる。


「俺、


先に寝ます……」


ベルも船を漕いでいた。


女将が笑う。


「はいはい。


早く寝なさい」


トリーはふらふらしながら階段を上がった。


女将は眠そうなベルの手を軽く取る。


「さあ、


あなたも行きましょうね」


ベルは半分閉じた目のまま、


ゆっくり頷いた。


やがて二階から扉の閉まる音が聞こえる。


ベルも女将に連れられ、


奥の部屋へ入っていった。


宿の食堂には、


エリオンと司祭だけが残された。


蝋燭の火が静かに揺れている。


エリオンは意味もなく、


空になった器を指でなぞった。


聞きたいことがあった。


ずっと。


あの村を出てから、


ずっと胸につかえていたことだ。


司祭が語ったこと。


村で見たこと。


そして、


最後まで答えの出なかったこと。


だが。


どう聞けばいいのか分からない。


聞いてしまえば、


何かが変わってしまう気もした。


司祭はそんなエリオンを見つめ、


小さく息を吐いた。


「……少し歩くか?」


エリオンは一瞬だけ戸惑い、


それから静かに頷いた。


宿を出ると、


夜風が頬を撫でた。


昼間はあれほど賑やかだった通りも、


今はずいぶん静かになっている。


店じまいを始める商人たち。


帰路につく人々。


どこかの酒場から聞こえる笑い声。


街はまだ眠ってはいない。


だが、


昼とはまるで違う顔を見せていた。


司祭は黙ったまま歩いていた。


エリオンも隣を歩く。


しばらくの間、


二人とも口を開かなかった。


石畳を踏む足音だけが、


静かな夜道に響く。


やがて。


先に沈黙を破ったのはエリオンだった。


「……あの村のことです」


司祭の歩調がわずかに緩む。


だが、


立ち止まりはしなかった。


「聞きたいことがあるのでしょう」


エリオンは小さく頷く。


「あります」


そして。


少しだけ迷った後、


口を開いた。


「結局、


あれは何だったんですか」


夜風が吹いた。


司祭はすぐには答えなかった。


しばらく前を見つめたまま歩き続ける。


やがて。


静かに言った。


「分かりません」


エリオンは思わず目を瞬かせた。


あまりにも率直な答えだった。


司祭は小さく笑う。


「期待していた答えではありませんでしたか?」


「少しだけ」


エリオンも正直に答えた。


司祭は頷く。


「私にも分からないのです」


そう言ってから、


少し考えるように視線を落とす。


「ただ……」


その声は静かだった。


「似たようなものを見たことはあります」


エリオンは息を呑んだ。


司祭はゆっくりと言葉を続ける。


「私がまだ若かった頃の話です」


懐かしむように、


夜空を見上げた。


「今よりずっと若くて、


視野も狭かった頃です」


少しだけ笑う。


だが、


その笑みは長く続かなかった。


「ある村で、


似たような出来事がありました」


「似たような……?」


「ええ」


司祭は頷く。


「病人が減り、


作物がよく育ち、


人々が妙なほど健康だった」


エリオンの表情が固くなる。


どこかで聞いた話だった。


いや。


聞いたどころではない。


つい数日前まで、


自分たちがいた村そのものだった。


「当時は奇跡だと言われていました」


司祭が言う。


「そして、


私もそう信じていました」


短い沈黙。


それから。


「ですが、


後になって別の話を聞きました」


エリオンは黙って耳を傾ける。


「魔力です」


聞き慣れない言葉だった。


「魔力……?」


司祭は頷いた。


「生き物は皆、


多かれ少なかれ魔力を持っています」


「人間もですか?」


「ええ」


「俺も?」


「もちろん」


司祭は少し笑った。


「トリーもベルも、


宿の主人も女将もです」


エリオンは首を傾げた。


まるで実感が湧かない。


そんな様子を見て、


司祭は少し考え込む。


そして。


「火のようなものです」


そう言った。


「火?」


「ええ」


司祭は頷く。


「小さな火なら、


誰の中にもあります」


手を軽く握る。


「ですが、


ほとんどの人はそれを使えない」


エリオンは少しだけ理解した気がした。


司祭は続ける。


「中には火が大きい者もいます」


「魔術師ですか?」


「そうですね」


司祭は微笑む。


「あるいは聖職者も、


似たようなものかもしれません」


エリオンは思わず足を止めそうになった。


「じゃあ、


神の奇跡は……」


司祭は少しだけ黙った。


その沈黙は、


考えているというより、


言葉を選んでいるようだった。


やがて。


静かに答える。


「私は、


神の奇跡を否定するつもりはありません」


夜の街は静かだった。


だからこそ、


その声はよく聞こえた。


「ですが」


司祭は続ける。


「世の中の全てを奇跡だけで説明するつもりもありません」


エリオンは何も言えなかった。


司祭は再び歩き出す。


「私が昔訪れた村には、


地下に魔力の流れがありました」


「流れ?」


「泉のようなものです」


司祭は言った。


「目には見えません。


ですが、


確かにそこにあるものです」


エリオンは自然と、


あの村を思い出していた。


豊かな畑。


病人の少ない暮らし。


不思議なほど穏やかな空気。


そして。


あの老人の言葉。


少し迷ってから尋ねる。


「じゃあ、


あの村も……」


司祭は首を横に振った。


「分かりません」


また同じ答えだった。


だが。


今度は違った。


誤魔化しているのではない。


本当に分からないのだ。


だからこそ、


軽々しく断言しない。


司祭は静かに言った。


「ただ」


少しだけ空を見上げる。


「私は、


そういう可能性もあると思っています」


宿へ戻る頃には、


すっかり夜も更けていた。


エリオンは司祭の隣を歩きながら、


しばらく何も言わなかった。


聞きたいことはまだあった。


だが。


今は少しだけ、


考える時間が欲しかった。


司祭もそれ以上は何も言わない。


二人は静かな夜道を歩き、


やがて宿へ戻った。


翌朝。


トリーは目を覚ますなり飛び起きた。


「遅刻!?」


叫んだ直後、


まだ朝だと気付く。


ベルが毛布の中から呆れた顔を向けた。


「まだ早いよ」


「びっくりした……」


トリーは胸を撫で下ろした。


下へ降りると、


すでに朝食の準備が始まっていた。


焼きたてのパンの匂いが漂う。


女将が笑った。


「おはよう」


主人も手を振る。


「よく眠れたかい?」


トリーは元気よく頷いた。


ベルも小さく頭を下げる。


食卓には温かいスープとパンが並んでいた。


豪華ではない。


だが、


どこかほっとする朝食だった。


食事の途中。


女将がぽつりと言った。


「今日出発なんだってね」


司祭が頷く。


「ええ」


女将は少し寂しそうに笑った。


「急に静かになっちゃうねえ」


主人も苦笑する。


「昨日なんて、


上まで声が聞こえてたからな」


「トリーだね」


女将が即答した。


「なんでですか!?」


皆が笑った。


短い時間だった。


だが、


妙に居心地の良い宿だった。


食事を終え、


荷物をまとめる。


出発の時間が近付いていた。


宿を出る時。


女将はベルの肩を優しく撫でた。


「ちゃんと食べるんだよ?」


ベルは少し戸惑ったような顔をした後、


小さく頷いた。


主人はトリーの肩を軽く叩く。


「無茶するなよ」


「します!」


「するな」


即座に返される。


再び笑いが起きた。


エリオンは二人へ頭を下げる。


「ありがとうございました」


主人は気にするなというように手を振った。


女将も笑う。


「また来なさい」


その言葉を背に、


一行は宿を後にした。


東門へ向かう途中、


市場を通る。


朝の街は活気に満ちていた。


商人たちの呼び声。


行き交う荷車。


焼きたてのパンの匂い。


トリーは何度も立ち止まりそうになる。


そのたびに司祭が呼び戻した。


「後でだ」


「絶対ですよ?」


「機会があればな」


「絶対じゃない!」


露骨に不満そうな声が返ってきた。


やがて。


東門が見えてくる。


その近くの壁にもたれ、


一人の女が待っていた。


レアだった。


すでに荷物も装備も整っている。


エリオンたちを見ると、


軽く顎を上げた。


「遅刻じゃないな」


トリーが胸を張る。


「だから言ったじゃないですか」


レアは鼻で笑った。


「信用してなかった」


「ひどい!」


ベルが思わず吹き出す。


レアはそちらを一瞥したが、


何も言わなかった。


そのまま歩き出す。


自然と、


五人は東門を抜けた。


街を離れるまでの間、


トリーはずっと喋っていた。


昨夜聞けなかったことを、


今になって全部聞こうとしている。


「本当にあの傭兵倒したんですか?」


「何歳から剣やってるんですか?」


「魔物何匹倒したことあります?」


レアは大半を無視した。


だが。


たまに短く答える。


それだけでトリーは満足そうだった。


昼近く。


街道脇で少し休憩することになった。


エリオンは荷物の中からパンを取り出した。


宿の女将が持たせてくれたものだ。


思ったより量が多い。


トリーはすでに一つ食べ終えていた。


「もうない?」


「ない」


「ケチ」


「誰がだ」


ベルが小さく笑う。


エリオンも苦笑した。


ふと視線を上げる。


少し離れた場所で、


レアが剣の手入れをしていた。


エリオンは少し迷う。


それから。


パンを一つ持って近付いた。


「食べますか?」


レアが顔を上げる。


「何をだ」


「パンです」


そう言って差し出した。


レアはパンを見る。


次にエリオンを見る。


「お前のだろ」


「まだありますから」


エリオンは答えた。


しばらく沈黙。


やがて。


レアは肩を竦めた。


「くれるなら貰う」


それだけ言って、


パンを受け取る。


礼も言わない。


断りもしない。


そのまま一口齧った。


しばらく咀嚼する。


そして。


「悪くないな」


「宿の人が持たせてくれたんです」


「そうか」


会話はそこで終わった。


だが。


不思議と気まずくはなかった。


風が草を揺らす。


遠くでは、


トリーがベルに何かを熱心に話している。


司祭はそんな様子を見ながら、


静かに目を細めていた。


「兄ちゃん!」


突然トリーが叫ぶ。


「本当にもうない?」


「ない!」


「ちぇっ」


どこからか、


小さな笑い声が聞こえた気がした。


トリーか。


ベルか。


それとも別の誰かか。


エリオンには分からなかった。


だが。


少しだけ肩の力が抜けた。


街道は東へ続いている。


まだ見ぬ土地へ。


まだ知らない人々のいる場所へ。


そして。


レアもまた、


何も言わずその道を歩いていた。



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