8 文化祭と森
混乱しすぎて、思考停止状態がたぶん一分くらい続いた。
僕は雨の中を、高桐さんと並んで歩いている。
(まず、ちょっと落ち着こう。)
たしかに、僕は高桐さんが秘密にしたいであろう事実を二つ知っている。
昼休みに倉庫の陰で居眠りしていたこと。
お世辞にも美味しそうとは言えないお弁当を持っていたこと。
高桐さんにとってはどちらがより重要な秘密なのだろうか。
まず、居眠りについては、誰も彼女を責めることはできないだろう。
昼休みのうたた寝、なんて誰もが経験しているはずだ。
僕はないけど。
たまたまそれが教室ではなくて、倉庫の間に置かれた椅子と机だった、という場所の問題でしかない。
でも彼女の教室での立場や休み時間の彼女の席の様子を考えれば、とても寝られるような環境ではない。
(うん、居眠り問題のほうは大丈夫だ。)
いくらでも慰められる。
次にお弁当についてだ。
実はあのお弁当について、僕は昨夜、二つの仮説を立てた。
一つは、お母上と喧嘩をして、お茶目なお母上がいやがらせで作った、というものだ。
そしてもう一つは、お母上が体調を崩し、お父上が慣れない料理をして持たせてくれた、という仮説だ。
高校には学食もあるし、隣にはコンビニもあるのだけど、お父上があらん限りの愛情をこめて作ってくれたお弁当だったら、食べないわけにはいかないにちがいない。
あとは「罰ゲーム説」とか「いじめによる弁当すり替え説」とかも考えたけど、高桐さんに限ってそんなことはないだろう。
(たぶん、同情の余地はあるし、どちらかと言えば温かみのあるエピソードだよね。)
慰めるというより、温かい笑顔で聞いてあげればいい話だと思う。
(で、どうして家に呼びつけようとしているんだろう…)
それがわからない。
高桐さんの取り巻きみたいな怖い人が出てきて記憶が飛ぶくらいボコボコにされる、とか?
まさか僕という目撃者を消去して何も起きなかったことにする、とか?
(あ、わかった。)
お茶目ないやがらせをしたお母上本人の口から説明してもらおう、ということかな。
僕はただ秘密を守るだけだから、事情説明とかはしなくてもいいのだけど…。
間崎城の城跡は、現在は市役所や市の行政施設、城跡公園などに整備されている。
その城跡エリアを通り過ぎて、椋川の橋のたもとまで、僕たちは黙って歩いた。
それもそのはずで、僕は家に招かれたことについて、まだ何の返事もできていないのだ。
(あっ)
今日は木曜日で、放課後はロングホームルームだ。
終わったら駅まで急がないとバスに乗れない、という、緊迫した夕方を過ごす曜日だ。
(明日にしてもらう、というわけにもいかないよなあ。)
さすがに今日はあとで家に連絡して、帰りが遅くなることを伝えよう。
「…こつなの、私…」
そんな高桐さんの小さな呟きが聞こえてきたのは、椋川に架かる橋を渡り始めた時だった。
「えっ?」
なんて言ったのかわからなくて、僕は聞き返した。
「私ってね…ポンコツなの…。」
ゆっくりとした口調で、今度ははっきりと、高桐さんはそう言った。
「そ、そうなんだ。」
高桐さんがポンコツだったら僕なんてガラクタだけど、ここは否定しないでおこう。
きっと誰にだってあるのだ。
ちょっとしたミスや、上手くいかないこと、不運などが続いたりすると、自己嫌悪に陥ったりする。
伸び悩みや、壁に突き当たった気持ちを感じることもある。
僕なんかが考えるよりずっと高みの領域だろうけど、高桐さんなりの悩みがあるのだろう。
「わかった、今日の放課後、高桐さんの家にお邪魔するよ。さっきのタブノキの下で待ち合わせでいいかな。」
聞いてあげるくらいなら僕にもできる。
高桐さん的には他の同級生には話せないようなことなのだろう。
僕はたまたま他の同級生の見ていないところで三回も接する機会があったから、愚痴を言う相手としては適任ということなのかもしれない。
「うん、ありがとう…」
悩みを消化しきれず意気消沈している、というより、「本当に困っている」という表情で高桐さんは頷いて、力なく微笑んだ。
昼休みは雨の中、樹木の濡れ具合や地面の水の流れ方を確認した。
雨の校庭を歩きながら、家に電話をして祖母ちゃんに帰りが遅くなることを伝えた。
放課後のロングホームルームでは、いよいよ来週の週末に迫った文化祭の準備について最終打合せが行われた。
僕たちのクラスでは、教室で喫茶店をすることになっている。
喫茶『鎮守の杜』。
高校の南側の丘陵地に立派な神社があって、境内と高校の間には鎮守の森が広がっている。
鬱蒼とした原生林で、コナラの高木の根元にカシやヤブツバキの若木が生え、緑の濃い林だ。
校庭からもよく見えるから、同級生たちにも馴染みが深い。
この林をイメージにして「森林浴のような癒しの空間」をテーマにするという。
クラスの実行委員長は天文部の綾瀬陽太君だ。
誰かが『星空喫茶にしよう』と言った時、天文部がプラネタリウムをするからという理由で却下した。
「じゃあ、説明は西野にやってもらうから。」
教壇に立った綾瀬君が指名したのはデジタル部の西野康平君。
AIを搭載したタブレット端末をいつも持ち歩いている。
「アイちゃんが言うには…」
西野君が立ち上がって説明を始める。
「アイちゃん」というのは彼の端末に入っているAIの名前で、『アイちゃんが言うには』というのが西野君の口癖だ。
「グループ客とペア客の比率は三対七らしい。だから席は十席、四人掛けが三つと二人掛けを七つ作る。」
その明快な数値に、教室からは「おお~」と感心したような声が上がる。
「実質的な営業時間は六時間、一組の客の滞在時間は二十二分で一席あたり十六回転とする。」
西野君は回転率のシミュレーションから客単価や利益率を算出し、装飾にかけられる予算を割り出してくれていた。
「学校からの割り当て予算もあるから、それなりに資材を購入できる。」
「それでね、教室に鎮守の森を作るのよ。」
と言ったのは歴史研究会の伊本美亜さん。実行委員の一人だ。
彼女は古墳が好きで、あちこちの古墳を見て回っているという。
その間に、綾瀬君は黒板に木の棒のような絵を描いていた。
「水道用のプラスチック管に発泡スチロールを巻きつけて、木に見えるように着色するんだ。これを六本作る。」
来週の木曜日の午後と、金曜日が文化祭準備のために充てられている。
綾瀬君の説明によると、「木」には模造の葉っぱを飾りつけ、教室の壁には緑色のフェルトを貼るらしい。
(なるほど、よく考えられてるなあ。)
僕は感心して聞いていたけど、少し気になることもあった。
隣の神社の森は園芸倉庫からもよく見える。
高校の南にあるわけだから丘陵の北側斜面ということになる。
ほぼ手つかずの原生林だけど、日照はさほど多くないから、いわゆる陰樹だ。
日陰に強いカシやヤブツバキが多く、湿気が強い。
緑濃く、ジメジメとした林なのだ。
(そのイメージだとすると、この案はどうなんだろう。)
そう思った時、前の席の江田君がふと僕のほうを振り返った。
「佑登、なんか言ってやれよ。」
「えっ、僕が?」
急に振られて驚いていると、今度は隣の席の高桐さんが、
「檜山君、何かあるんですか?」
と聞いてきて、さらにその向こうの席の吉崎君が反応する。
「なんだ檜山、言いたいことは言った方がいいぞ。」
「えっ…えーと」
僕なんかがクラスの大事な出し物に口出ししていいのだろうか。
だけど、みんなの視線が僕に集まってるし…。
「実は僕の家は林業なんだ。だから森らしく、ということだったら少し手伝えるかもしれない。」
「そうなのか、ただの生物委員じゃなかったんだな。」
と、吉崎君。
いやいや、ただの生物委員だよ。
「で?例えばどんなこと?」
「森林浴のような癒しの空間ということだったら、香りと音があるといいかな。例えば、スギやヒノキのカンナ屑やチップを布袋に入れとくと森の香りがするよ。教室の匂いとか準備の時の絵の具の匂いは竹の炭である程度は消せると思う。」
「うん、その案にはアイちゃんも賛成してるな。客の平均満足度が二割以上上昇するらしい。」
西野君も賛成してくれた。
「ただ予算の問題があるからな。」
「あ、費用はいらないよ。カンナ屑はいくらでもあるし、竹炭はうちで作ってるから。」
「おお、それは助かる。でも運ぶの大変じゃないか?」
「たぶん江田君がバイクで取りに来てくれるから大丈夫だよ。」
前の席の江田君が苦い顔で振り返ってきたけど、お互い様だよね。




