7 女神の待ち伏せ
机の上に置かれた江田君のリュック。
僕は腰を浮かせて、恐る恐る中を覗きこんだ。
(黒い…箱…?)
何か、黒く四角い箱のようなものが入っている。
江田君はリュックに手を入れて、その箱の留め金を外し、箱の蓋を開けてくれた。
「あんまり言いふらすなよ?面倒くさいから。」
そう言いながら、ゆっくりとリュックから手を引き抜く。
(高桐さんのお弁当みたいにコメント不能なものだったらどうしよう)
と、少し心配になりながら、箱の中を覗く。
「えっ、カメラ…?」
箱の内側には鮮やかな赤の布が張られていて、丈夫そうな間仕切りを挟んでカメラとレンズが入っていた。
一眼レフというのだろうか、黒く光り、どこか攻撃的な重厚感を持つ機体だ。
レンズはたぶん望遠用のもので、長い円筒のような形状をしている。
「風景写真をさ、撮ってるんだ。」
江田君は少し照れくさそうに言った。
「そ、そうなんだ。すごいカメラだね。」
性能が良さそうな、機能が高そうな、お値段も高そうなカメラだ。
「写真撮って、SNSに上げてる。ほら。」
今度はスマホを見せてくれた。
「あ、きれいだねぇ…」
一番上に表示されていた写真に写っていたのは、朝焼けに染まる真っ赤な空、その空を映してオレンジ色に輝く川の流れ。
間崎市役所の大きなビルと、僕がいつも渡る橋も写っていた。
「今朝、近所の橋の上から撮ったんだ。」
(つまり江田君は間崎市内、高校の近くに住んでいるんだな。)
同級生のこと、というのはこういう会話の中で知っていくものなのかもしれない。
「江田君、僕はあまり詳しくないんだけど、この『フォロワー』っていうのは江田君の投稿をフォローしてる人、ってことだよね。」
「ああ、そうだな。」
僕の無知がおかしいのか、江田君は少し笑った。
「20,663…えっ、二万人フォローしてるってこと?」
「ああ、いつの間にか増えてた。」
「江田君ってすごい人だったんだ…。」
「写真は上手くならないけど、きれいな景色を探すのは上手くなったかもな。」
「いや、写真もきれいだよ。」
「うーん、そう言ってもらえるのはたしかに嬉しいんだけど、自分ではこの景色を目で見ちゃってるからさ、写真で見返すと『もっときれいだったのになあ』ってガッカリするんだよな。」
「ああ、それはちょっとわかるかも。」
僕が休日を過ごす「夏の家」には去年、屋根の上に屋上を作った。
といっても、木の板を並べただけの簡素なもので、木の梯子で登る。
さほど高いわけではないが、登ると市街からの街道を一望できるし、周囲の山々を見渡せる。
その眺望に感激して、スマホで写真を撮ったのだけど、「まあまあきれい」という写真にしかならなかった。
「八柳で撮ったやつもあるぜ。」
江田君はスマホを操作して、下の方にあった写真を見せてくれた。
ゴツゴツとした岩山が遠くに見えて、その麓まで緑のじゅうたんのように森が続いている。
人工物がまるで写りこんでいない。
田舎とは言っても工場や鉄塔や送電線などもあるから、こんな風に森に浮かぶような山の姿が撮れる場所は多くないと思う。
まるでうちの山のような…
「あれっ、この角度…」
溶岩と凝灰岩でできたその山は、ギザギザと鋭い岩峰で有名だ。
林立する奇岩や絶壁の岩肌が見上げる角度によって景観を変える。
(まちがいない…)
「知ってる場所か?」
「うん、うちの山から見える角度と一緒だ…」
「うちの山?佑登の家が持ってる山ってことか?」
「ああ、うん。うちは林業だから。」
「山持ちの倅かあ、すげえな。」
「えっ、すごくなんかはないと思うけど…」
「あ、じゃあもしかして勝手に入ったらいけなかったのか?」
「ううん、村が管理している林道だから誰が通っても問題ないよ。」
道の両側は檜山家の私有地だけど、道自体は村に貸している形で生活道路としても使うことができる。
もっとも、檜山の親族以外にはほとんど通る人もいないのだけど。
「そうなのか、じゃあ景色のいい場所があったら教えてくれよ。」
「基本的には森ばっかりなんだけど…」
僕はスマホを出して、夏の家の屋上から撮った「まあまあきれい」な写真を江田君に見せた。
「おー、いいねぇ。」
「山の中腹に作業小屋があってね、その屋上から撮ったんだ。昔は見張り用の砦みたいなものが建ってたらしい。」
「それで街道が見渡せるんだな。これ、東向きか?」
「うん、そうだね。」
「へえ、今度遊びに行っていいか?」
「えっ、それはいいけど、山の中だよ?」
「原付で行くから、たいていの場所なら大丈夫。」
「うん、わかった。休みの日はたいてい作業小屋にいるよ。」
「じゃあ、連絡先交換しようぜ。」
「うん。」
こうして僕が高校に入って初めて連絡先を交換したのは江田君だった。
(江田君、すごい人だった…)
原付バイクにまたがり、景色のいい場所を探し求めて写真を撮り、SNSにアップする。
写真の美しさに感動した人々が、彼の投稿をフォローしている。
そして、その数は二万人を超える…。
(僕はほんとに最下位だな。)
だけど、そんなことはどうでもいいことに思えた。
怯えてばかりいたら友達はできない。
少しくらい迷惑を掛けても、少しくらい図々しいお願いをしても、きっとむしろそれができる相手を「友達」と言うのだろう。
僕は途方もなく大切なことを江田君から教わったような気がした。
翌朝は雨になった。
間崎駅から繁華街を抜け、大手門通りという商店街を通り過ぎると、旧間崎城の大手門が見えてくる。
その門前には、大きなタブノキが植わっていて、小さな広場になっている。
タブノキというのは火に強く、うちでも家と森林の間の防火林として育てている。
そのタブノキの下に、傘を差した高桐さんが立っていた。
「あ、高桐さん、おはよう。」
誰かと待ち合わせなのかもしれない。
同級生だし、隣の席の子だから挨拶をする。
僕は口下手で、同級生とまともに会話できないのだけど朝の挨拶だけは欠かさない。
教室でも、顔を合わせた同級生には挨拶をする。
もっとも去年のクラスでは「おはよう」以外の言葉を発することが少なかったせいか、陰では「おはよう君」と呼ばれていたようだ。
まっくもって情けない。
「おはようございます。」
高桐さんが折り目正しく挨拶を返してくれたので、そのまま彼女の前を通り過ぎた。
「えっ、まっ…」
その声は以前にも聞いたっけ。
たしか毛虫を取ってあげた時だ。
「冷たいです…檜山君。」
前を行き過ぎた僕に、高桐さんが追いついてきた。
「え、僕に用事?」
誰かと待ち合わせ、ではなく、僕を待ち伏せだったらしい。
(あ、そうか、昨日の口止めか。)
僕は誰にも言うつもりはなかったし、そもそも話す相手もいない。
『昨日のことなら誰にも言わないから安心して』
と、言ってあげてもいいけど、それも失礼かな、と思い直した。
だって『誰にも言えないお前の秘密を知ってるぜ』って言うようなものだから。
もちろん、高桐さんのほうから秘密にしてほしいと頼まれれば、快く約束しようと思っていた。
「あの、檜山君…」
「うん。」
「今日の放課後、私の家に寄ってくれませんか?」
えっ、なんだって?




