5 用務員さんと園芸倉庫
バラ園の世話や樹木の手入れに必要な道具は、高校の敷地の西側の角地にある「園芸倉庫」に収められている。
僕たち生物委員だけでなく、学校の用務員さんも出入りする。
園芸倉庫の隣には資材倉庫もあって、校内の設備や備品の修繕や破損個所の応急措置などに必要な物が収納されている。
他の生徒は立入禁止、というわけではないが、ほとんど誰も寄りつかない。
目の前には屋内プールの無機質な壁が高く聳えているし、東側は武道場の裏壁に面している。
屋内プール棟と武道場の間が通路なのだけど、そこには大きなヤマボウシの木が生えていたりする。
ヤマボウシは日当たりが良すぎても悪すぎても大きくならないから、ほどほどに湿度を保った地面が気に入ったのだろう。
五メートルを越える高さに育って、白い花を咲かせていた。
僕はバラ園の世話と樹木の見回りを終えて、園芸倉庫に戻ってきた。
昼休みでも静まり返っているこの場所は、僕のような孤独好きな人間には憩いの場だ。
去年、学校用務員の三木さんから廃材をもらって、簡素な椅子とテーブルを作った。
園芸倉庫と資材倉庫の隙間に設置して、昼ご飯はそこで食べることが多い。
(あと十分か。)
昼休みが終わるまで、まだ十分もある。
炊き込みご飯のおにぎりを平らげるには余裕のある時間だ。
(あれ…?)
なんとなくいつもと違う空気を感じた。
何かの残り香のような匂いがする。
(あ、やっぱり。)
椅子の上に、折り畳んだハンカチが置かれていた。
誰かが、ここで昼食を食べていたらしい。
白いハンカチに水色の花の刺繍がしてあるから、たぶん女性のものだろう。
(生物委員の誰か、かな?)
生物委員なら、ここがこっそりと一人ランチを楽しめる場所だということを知っている。
楽しい気持ちだったかどうかはともかく、一人になりたい、一人でいたい、と思った時には最適な環境だ。
忘れ物のハンカチはそのうち取りに来るだろう。
(あー、でも今日は雨になりそうなんだよな。)
校庭を歩いていても空気が湿り気を帯びていたし、北側の道路の音が聞こえていた。
倉庫の中に小さなビニール袋があったから、ハンカチをその中に入れてテーブルに置き、風で飛ばないように石を乗せた。
(こうしておけば大丈夫だろう。)
探しに来たハンカチが雨でドロドロになっていたら悲しいだろうしね。
僕は椅子に座って、祖母ちゃんが握ってくれた炊き込みご飯おにぎりに齧りついた。
(うーん…)
しかし、ここを誰かが使っているとしたら、だ。
この椅子ではあまりにも申しわけない。
木箱を裏返したような、四角いだけの木の椅子である。
テーブルの下に格納できるように作ったから、背もたれもなければ肘置きもない。
どうせ僕しか使わないし、という思い込みで、適当に製作した椅子だ。
(もうちょっとマシな椅子を作るかあ…)
今日はもう時間がないけど、また用務員の三木さんに頼んで廃材を分けてもらおう。
僕は三木さんとけっこう仲がいい。
父さんと同じくらいに見えるから四十代の半ばくらいだろうか。
「檜山君が入ってから仕事が楽になったよ。」
なんて言っているけど、たぶん本当は逆だと思う。
あの木の枝は切った方がいい、とか、枝を切り落とした後に保護剤を塗った方がいい、とか三木さんの仕事を増やした記憶のほうが多い。
(テッポウムシ退治も一緒にやらせたしなあ。)
桜の根元に木くずが溜まっているのを発見して、テッポウムシの穴探しに付き合わせたのだ。
木枯らしの吹きすさぶ寒い日だった。
テッポウムシはカミキリムシの幼虫で、樹木の中を食い荒らす。
放っておくと桜が枯死してしまうから早急に対処する必要があった。
殺虫剤の噴射と、粘土での穴埋めまで一緒にやってもらった。
三木さんは物静かで取っつきにくい人かと思っていたけど、度量の大きな優しい人だ。
「ここの廃材は好きに使っていいよ。」
と言って、壊れた机の天板や角材の切れ端などを提供してくれた。
そうして、僕は翌日から、昼休みのわずかな時間を「新しい椅子づくり」に充てることになった。
バラ園の花が美しく咲きそろい、中間テストが行われ、来週にはもう六月に入る。
思い立ってから実に二週間あまりの時間を要し、その椅子は完成した。
(バカみたいに凝っちゃったよね。)
自分でも少し呆れる。
どうも僕は熱中すると加減が効かない性格のようだ。
三木さんは喜んで廃材を提供してくれたし、うちからも節目のよくないブナの間伐材をもらった。
親戚に頼んでスチームを借り、曲げ加工した部品も持ってきた。
組み立ててから屋外用のニスを重ね塗りした。
(これなら買えばよかった。)
とさえ思う。
わずかに湾曲した背もたれ、丸みを帯びた肘置き。
女性的なフォルムの上半身と、がっしりと地面に安定する男性的な脚を持つ椅子になった。
デザイン的にはかなり不格好だけど、丈夫で長持ちしそうではある。
ついでに、園芸倉庫と資材倉庫の間に屋根も作った。
雨の日でもここで「お一人様ランチ」ができる。
さすがに目立ち過ぎか、と思ったのだけど、三木さんが、
「中里先生と教頭先生にも許してもらったから大丈夫だよ。」
と言ってくれた。
資材の雨除けと、梅雨時の湿気防止に屋根をつける、と説明してくれたそうだ。
「俺もときどき休ませてもらうわ。」
座り心地も気に入ってもらえたようだ。
(そういえばあのハンカチ、いつの間にかなくなってたな。)
持ち主に戻ったのなら何よりだが、どうなったのだろう。
少しだけ気になったけど、すぐにそんなことは忘れてしまった。
梅雨入りが近づいて、気になることが増えたせいだ。
五月に元気いっぱいに若葉を茂らせた木々は、豪雨や強風で枝が折れたり、倒れたりする。
混み合った枝葉を剪定して、風通しをよくしてやらなければいけない。
剪定作業は三木さんの仕事だが、僕は切った方がいい枝に赤いテープを巻く、という作業を手伝った。
そしてカラリと晴れた、六月最初の昼休み――。
いつもどおり校内の見回りを終えて、僕は園芸倉庫に戻ってきた。
今日のお弁当は、新生姜と大葉を細かく刻んだ混ぜご飯のおにぎり。
完成から数日が経って、すっかり色味が落ち着いた椅子に座って、と思ったんだけど…。
――先客がいた。
実は椅子の完成前後にも、誰かがいたような気配を感じることはあった。
ちょっとした椅子の位置のずれだとか、香しい匂いだとか、足元に落ちているご飯粒だとか。
でも僕が戻ってきた時に誰かがいたのは初めてのことだった。
(えっと…こ、これは…)
どうしたものか、と思わず悩んでしまった。
夏服になったセーラー服を着た女生徒が、机に伏せている。
寝ているようなのだ。
傍らにはお弁当箱が開いていて、まだ食事の途中のようだった。
(うーん)
起こしてあげた方がいい、という気持ちはもちろんある。
だけど、そう決断できない理由が二つあった。
もちろん一つは、寝ているのが女子だということだ。
しかもわざわざこんな場所まで来てお昼を食べていたのだから、一人になりたいと思ったにちがいない。
それを僕のような「下から二番目男子」が起こすというのは迷惑でしかないのではないだろうか。
そしてもう一つは、開いたお弁当箱だ。
たぶん、豚肉の味噌漬けを焼いたものなのだと思うけど、炭のように黒く焦げている。
隣の卵焼きも、砂糖が多すぎたのかカラメル焼きのように黒ずんで、苦そうな顔をしていた。
もっとひどいのはご飯で、カピカピの堅そうな白米が半分くらい残っている。
こんなことを思うのは失礼極まりないが、お弁当のあまりの不出来に絶望して寝てしまったかのような、そんな姿なのだ。
昼休みでなければ、そっと見なかったふりをしてもいい。
だけど、午後の授業もあるはずで、まさか倉庫の横で寝てしまって寝過ごした、なんて言いわけはできないだろうと思う。
(同級生たちが心配して探すんじゃないか?)
とも思う。
机に伏せているから何年生なのかもわからない。
(と、とりあえず、保留しよう。)
まだ昼休みは十分くらいある。
僕は倉庫に戻って、そこで自分のお弁当を食べた。
(んー、美味い!)
生姜と大葉のバランス、そしてふっくらと炊けた白米の食感。
煎りゴマがアクセントになっていて、プチプチと噛み砕くとゴマの香りが鼻に抜ける。
薄暗い倉庫の中で食べたって、美味いものは美味い。
(ごちそうさまでした。)
食べ終わって、腕時計を見る。
もうすぐ予鈴が鳴る時間だ。
僕はそっと園芸倉庫を出て、資材倉庫との隙間を覗きこんだ。
(まだ寝てる…)
棒でつついて逃げるというのはどうだろう。
そんなことさえ、本気で考えた。
(そんなわけにもいかないか。)
僕はようやく決心して、居眠り女子を起こしてあげることにした。




