4 檜山郷の暮らし
バスは終点の停留所「檜山郷」で最後の乗客である僕を下ろすと、転回所でぐるりと回って、駅の方に戻っていった。
行先の表示板が「回送」に変わっている。
(間に合ってよかったな。)
電車に乗った時は汗だくだったけど、すっかり乾いた。
太陽は西側の山の向こうに隠れて、谷はもう夕暮れだ。
数軒の民家の間を抜け、川沿いの林道に入る。
椎茸栽培のビニールハウスを過ぎると、谷に下りる道との分岐がある。
田植えの終わった水田に、アメンボが水紋を作り、その上をイトトンボが飛んでいる。
子どもの頃は、この道を歩く時には手袋をするように言われていた。
田んぼに害獣除けの電気柵があるからだ。
「蛍橋」と名づけられた橋を渡る。
梅雨の頃になるとホタルが飛んで、その数が増えた頃に梅雨が明ける。
坂を上がると、水田を見下ろすように石蔵が二棟。
無骨な灰色の安山岩を積み上げて、上半分に漆喰が白く塗られている。
左側の蔵は、漆器作りの工房に使わせてもらっている。
石蔵を回りこんだところに母屋の玄関がある。
「ただいま。」
檜山家には掟がある。
『夕食は家族全員で、十八時から』
というものだ。
バス停から歩いて帰ってきて、着替えるとちょうど十八時になる。
田舎の家だから、というのもあるが、一応「本家」として親戚が集まるようなこともあるから、食事をする広間は無駄に大きい。
昔は当然、畳敷きだったようだが、今は板の間になっていて、洋式のテーブルを囲んで椅子が並んでいる。
祖父ちゃんと祖母ちゃん、父さん、母さんと、妹の梨乃、そして僕、という六人の食卓だ。
「あ、おかえり、お兄ちゃん。」
梨乃は中学一年生になった。
村の中心地にある中学校は小学校と隣接しているから、三キロあまりの通学路ももう七年目ということになる。
「今朝ね、蒼と湊が喧嘩して大変だったんだよ。」
食卓で最初にしゃべり始めるのはたいてい梨乃だ。
蒼と湊というのは従弟で、中三と中二の年子。
すぐ近くに住んでいて、檜山郷の子ども達を引き連れて登校している。
「どっちが勝った?」
仲のいい兄弟だが、喧嘩になるとけっこう激しい。
「それが湊が勝ったんだ。馬乗りになって。」
「へえ、下剋上だな。喧嘩の原因はなんだったんだ?」
「松ぼっくり。」
「えっ、松ぼっくり?」
「うん、乾いた松ぼっくりが落ちててね、湊がふざけて蒼に投げたの。そしたら蒼の頭にポカーンって当たって。」
うう、田舎の子らしいエピソードだ。
高校の同級生には恥ずかしくて話せない。
しかし、キレた兄を返り討ちにするとは、湊もなかなか逞しくなったものだ。
「今日もご馳走だね、お祖母ちゃん!」
梨乃にとっては親戚の兄弟喧嘩よりも食卓に並んだ料理のほうが大事らしい。
祖父ちゃんが最後に席に着いて夕食が始まる。
「いただきます。」
僕の家では、家事全般は祖母ちゃんがやってくれている。
僕の母さんは家のことはほとんどしない。
会社の経営を実質一人で切り盛りしているからだ。
檜山林業という会社で、社長は父さんなんだけど、父さんは山にいることが多い。
「あ、佑登、ナラにテープ付けといてくれ。梅雨に入ったらシート巻くから。」
と父さん。
ナラにシートを巻く、というのは、害虫対策だ。
梅雨明けから夏にかけて、「カシナガ」という虫がミズナラやコナラに取りついて木を枯らす。
テープを付けろ、というのは対象になる木にマークを付けておけ、という意味だ。
「はい。」
実際のシート巻きは親族が動員され、手分けをして行われる。
透明のフィルムに粘着糊が塗られたものを木の幹に巻きつける。
「夏の家の周りだけでいいからな。」
夏の家、とは、僕の隠れ家、秘密基地。かっこよく言えば別荘。
山の中腹にある作業小屋で、用具置き場でもある。
春から秋まで、僕は休日のほとんどをそこで過ごす。
「高校はどうだ。」
祖父ちゃんが山菜の天ぷらに箸をつけながら言う。
「あ、バラがもうすぐ咲くよ。」
「そんなこたあ、わかってる。」
祖父ちゃんも間崎第一高校の卒業生だから、バラ園があるのは知っている。
知っているどころか、何株かは祖父ちゃんが植えたものだ。
「友達も楽しみだって言ってくれた。」
友達じゃなくて同級生だけど、少し脚色する。
あまり詳しくは話せないから、アスパラの肉巻きを慌てて頬張った。
「おう、そうか、友達、連れてきてもいいんだぞ?」
「えっ、うちに?」
「ああ、離れで麻雀大会でもやったらどうだ。」
祖父ちゃんは麻雀が趣味で、離れを麻雀部屋にしていた。
しょっちゅう、親戚や友達を集めて卓を囲んでいる。
「祖父ちゃん、友達は麻雀なんてしないよ。」
メンツが足りないと僕にもお呼びがかかるからルールは知っている。
というより、かなり強制的に覚えさせられた。
ゲームとしては面白いけど、賑やかに会話しながら、というのがどうにもつらい。
休みになると夏の家に逃げこむようになった理由の一つと言ってもいい。
「そうか?俺が高校生の頃はよくみんな来てたけどな。」
「……。」
数十年前の話である。
おそらく当時は間崎の市街地は発達途上で、農村部との違いも大きくなかったのだろう。
今や間崎は大きな地方都市として発展を遂げ、この檜山郷は昔のまま時が止まっている。
(こんな何もない山の中に来ても退屈するだけだよ。)
家に招くような友達なんていないくせにそんなことを思いながら、新じゃがの煮っころがしを口に運ぶ。
(高桐さんが見たらきっと驚くだろうなあ。)
「えっ、ゴッ、ゴホッ…」
家に招く友達の候補に高桐さんを想像したことに驚いて、むせかえった。
「大丈夫?どうしたの?」
四つも年下の梨乃に心配されてしまった。
情けない。
「慌てないでゆっくり食べなさい。はい、ご飯。」
祖母ちゃんがお櫃からご飯をよそってくれた。
「あ、これ…」
「佑登が掘ってきたタケノコよー。」
タケノコの炊き込みご飯は僕の大好物の一つだ。
小さく切った鶏肉や、細かく刻んだニンジンとゴボウ、油揚げも入っている。
芳ばしい醤油の香りがする。
タケノコだけは少し大きめにゴロゴロと混ざっていて、香りも味も食感も楽しめる。
「祖母ちゃん、これさ、」
「明日のお弁当に、でしょ?おにぎりにしといてあげるわ。」
「うん、ありがとう。」
今週はバラ園の世話があるから、簡単に食べられる昼食が助かる。
何から何まで祖母ちゃんの世話になって、母親としてはどうなんだろう、と思いながら母さんを見ると、涼しい顔をして豆腐となめこの味噌汁を啜っていた。
(まあ、こうやって何の心配もなく日々が過ごせるのも母さんのおかげだもんな。)
山の仕事を父が、会社の事務仕事を母が、という分担で、檜山林業はうまく回っているらしい。
母さんは東京出身だ。
父さんが大学を出て就職した商社で知り合ったという。
二年後輩の母さんの仕事ぶりを見初めて、「猛烈にアタックした」と祖母ちゃんは言っていた。
寡黙な父さんが何と言って口説いたのかは知らないが、母さんをともかく実家に連れてきたのだそうだ。
どういうわけか一目でこの檜山郷を気に入った母さんが『お嫁に来たいです』と蛍橋の上で逆プロポーズをした、という伝説に繋がる。
一度、その話の真偽を確かめたことがあるのだけど、母さんは「忘れたわ」と言っていた。
だけど今でも毎年、ホタルの季節になると二人で水田の横に椅子を並べ、夜遅くまでお酒を酌み交わしているから、本当の話なのかもしれない。
(父さん以上に口下手で人付き合いが苦手な僕はどうなっちゃうんだろう。)
漠然とした不安がある。
檜山本家の後継者として期待されているのを感じてはいるのだけど、そんな資格や能力が僕にはないような気がする。
(なんせ、下から二番目だもんな。)
寛大な高桐さんのおかげで最下位転落は免れたと思うけど、もう少しきちんとした人間にならないといけない気がする。
(かと言って、どうすればいいかもわからないけど…)
タケノコの炊き込みご飯が美味しすぎて、今夜も真剣になりきれない僕なのだった。




