1 バラ園と女神
僕の高校には、バラ園がある。
(うん、順調だな。)
濃い緑の葉が、初夏の陽光を浴びて嬉しそうにしていた。
硬くなった茎の表皮もツヤツヤと光沢を放っている。
ゴールデンウィーク中の水遣りは他の委員の子がやってくれた。
バラ園の世話を担当するのは、僕たち「生物委員」だ。
一、二年生のクラスから一人ずつ、計十二名が役割分担して世話をしている。
家が遠く、通学が不便な僕は、昼休みの係にさせてもらっている。
去年に引き続いて二年目だ。
病気や害虫にやられていないかチェックしたり、きれいな花がつくように剪定したりする。
作業用の手袋はしているけど、バラの棘に刺さるとけっこう痛いから注意しながら茎の間に手を差し入れていく。
連休明けの今の時期は、僕たちの一年の苦労が報われる「花の季節」だ。
赤やピンク、黄色の花の蕾が膨らんできているし、早咲きの品種では開花も始まっている。
僕は「ピース」というバラの前で、根元から見上げるようにしゃがみこんでいた。
不要な芽や、風通しを悪くする葉を摘み取る。
この子はやがて黄色い大輪の花を咲かせる。
花びらの先端がピンク色に染まるのが特徴の、美しいバラだ。
「おい、何やってんだ!」
強く咎めるような声が後ろから降ってきて、僕は振り返った。
「あ、吉崎君…」
同じクラスの吉崎柊真君だ。
バスケ部のムードメーカーで、明るい性格だけど正義感の強い一面もある。
「あれっ、檜山。何してんの?」
僕だとわかると、声が柔らかくなった。
「えっとね…」
どう説明したらいいか、少し悩む。
「芽かき」とか「ブラインド処理」とか言ってもわからないだろうし。
「生物委員、ですよね?」
吉崎君の後ろから顔を覗かせて、微笑んでくれたのは高桐彩花さん。
容姿端麗、成績優秀なお嬢様で、同級生にも「ですます調」で話す。
女子テニス部のエースでもあるという。
誰にでも優しく、温かな微笑みで受け答えすることから、クラスで、いや、たぶん学校中で「微笑みの女神」と称されるアイドル的な存在だ。
「あ、うん。」
しゃがんだまま振り向くと、吉崎君と高桐さんの他にも同級生が三人。
「なんだ、そうなのか。バラにいたずらしてる奴かと思ったよ。」
と、吉崎君。
「ははは、そう見えるよね。ありがとう。」
「えっ、ありがとう?なんで?」
「だって、いたずらしてると思って注意してくれたんでしょ?」
「いや、まあ、そうだけど…」
見て見ぬふりだってできただろうに、吉崎君のこういう正義感には本当に感心する。
「で、なんでせっかく育ってる芽とか葉っぱをちぎっちゃうわけ?」
「うん、芽が出すぎると養分を取られちゃうし、日当たりとか風通しを悪くする葉は摘んだほうが、花がきれいに咲くんだよ。」
「なるほどなあ。」
「まだ蕾が多いけど、来週くらいからどんどん咲くと思うよ。」
「そうなのか、彩花がバラ園の様子を見に行くって言うから、みんなでついてきたんだけど、見ごろにはまだ早かったんだな。」
「うん、そうだね。」
そう答えながら高桐さんを見ると、彼女は微笑みの中に困ったような表情を浮かべていた。
「檜山は花に詳しいんだな。さすが生物委員。」
吉崎君はそう褒めてくれたけど、実を言えば花は専門外なんだよね。
僕の家は林業をやっていて、子どもの頃から手伝ったりしていたから、植物全般について多少知識がある、という程度だ。
「邪魔して悪かったな。きれいなバラが咲くよう頑張ってくれ。彩花も楽しみにしてるらしいから。」
吉崎君が激励してくれて、男女五人の同級生たちは校舎に戻っていった。
(高桐さんが、ね…)
彼女は間崎市街にある中規模建設会社の社長令嬢だという。
立ち居振る舞いに品の良さが感じられて、咲き初めのバラのような人だ。
教室では僕の隣の席なのだけど、休み時間になると彼女の周りに数人の男女が集まってくる。
高桐さんと話す、というより、高桐さんに聞いてもらいながらおしゃべりする、といった感じで、彼女はそれを穏やかに微笑みながら聞いている。
「そうなんですね。」
「それは素敵ですね。」
ときどき、そんな相槌をうつ。
まさに「微笑みの女神」なのだ。
でも実は――、僕は彼女のことが少し苦手だ。
僕のような陰キャが「苦手」などと言うのはおこがましいけど、高桐さんは僕にはあまり微笑まない。
理由はわからないけど、ときどき真面目な顔で僕をジッと見ていることがある。
僕が気がついて、目が合いそうになると、すっと視線を外す。
睨んでいる、というわけではないと思うけど…。
隣の席にいながらほとんど会話したこともないから、理由がわからない。
僕は立ち上がってバラ園を見渡した。
高桐さんに限らず、このバラたちが咲きそろうのを楽しみにしている人は多いだろう。
(頑張らなきゃな。)
僕は心の中でそう呟いた。
午後の授業の予鈴と同時に、僕のお腹がグー、と鳴って、昼食を食べ損ねていたことに気がついた。




