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第六話 遭遇

 しかし、そんな穏やかで幸福な時間は、いつまでも都合よく続くわけではなかった。

 

 大学三年生の後半になると、俺の生活は一変した。いわゆる就職活動という、現実の荒波が容赦なく押し寄せてきたのだ。

 毎日リクルートスーツに身を包み、履歴書の作成や面接対策に追われる日々。説明会やインターンシップでスケジュールは真っ黒に埋まり、精神的にも肉体的にも、女装をしてメイクに何時間もかけるような心の余裕は完全に消え失せていった。

 

 斗真くんにはあらかじめ、スマホの画面で【お姉さん、これから少し忙しくなっちゃうから、なかなか会えなくなるかもしれないの】と伝えてはあった。斗真くんはひどく寂しそうな顔をしながらも、「うん、僕、お姉さんのこと応援する!」と健気に頷いてくれた。

 

 それ以来、あの公園に足を運べない日々が、一ヶ月、二ヶ月と続いていた。

 そんなある日の夕方のことだった。

 その日は久しぶりにすべての予定が空き、俺は一日中、部屋で泥のように眠りこけていた。夕方になってようやく腹が減り、髪はボサボサ、ヨレヨレの大学指定の芋ジャージという、お世辞にも他人様には見せられない限界の男の姿で、近くのコンビニまで買い出しに出かけた。

 両手にパンや総菜の入った袋を提げ、放心状態でトボトボと歩いていた、その時。

 

「ねえ、お兄さん!」

 

 背後から聞き覚えのある元気な声が響き、俺のジャージの裾がぐいっと引っ張られた。

 心臓がドクリと跳ね上がる。恐る恐る振り返ると、そこには学校帰りなのだろう、黄色い帽子をかぶり、ランドセルを背負った斗真が立っていた。

 

 うわ、最悪のタイミングで遭遇した……!

 

 俺の脳内は一瞬でパニックに陥った。しかし、すぐに冷静さを取り戻す。大丈夫だ、今の俺はメイクもウィッグもしていない、ただのむさくるしい男子大学生だ。バレるわけがない。

 俺は必死にポーカーフェイスを保ちながら、少し腰を落として斗真と目を合わせた。

 

「ん? どうしたの?」

 

 声を出す瞬間、冷や汗が出そうになった。普段の低い地声だ。斗真は俺の顔をじっと見つめ、何かを思い出すように小首を傾げたが、すぐに弾けたように身を乗り出してきた。

 

「ねえ、お兄さん! このへんで、すっごく綺麗で、スマホで喋るお姉さん見なかった? 青いワンピースがよく似合うお姉さん」

 

 まさか生身の自分に向かって、女装時の自分の特徴をピンポイントで尋ねられるとは思わなかった。しかも、青のワンピースのことまでよく覚えている。

 

 俺は心臓が口から飛び出そうなほどの衝撃を受けながらも、喉の奥を震わせて、できる限り無関心を装った声を絞り出した。

 

「さあ……そんな人、知らないな。この辺じゃ見かけないけど……」

「そっかぁ……」

 

 斗真くんは目に見えてがっかりと肩を落とした。その寂しそうな横顔を見ていると、胸がチクリと痛む。ずっと俺を探してくれていたのだろうか。

 だが、斗真くんはすぐにバッと顔を上げると、小さな拳をぎゅっと握りしめて、俺に向かって満面の笑みを浮かべた。

 

「でもね、僕、絶対に諦めないんだ! だって僕、あのお姉さんと結婚するんだから!」

「……え?」

「お姉さん、いまは忙しいみたいだけど、僕が大きくなったら迎えに行くって約束したんだ。だから、僕はお姉さんにふさわしいカッコいい男になるために、毎日宿題も縄跳びも頑張ってるんだよ!」

 

 男の姿である俺の目の前で、あまりにも真っ直ぐに炸裂した、俺に対する惚気のろけの言葉。

 斗真くんの目は、あの出会ったときと少しも変わらず、キラキラと純粋な輝きを放っていた。その眩しすぎる一途さに、俺は返す言葉を失ってしまった。

 

 嬉しい、という気持ちはある。だけどそれ以上に、生身の男の姿でその熱い想いを正面から受け止めてしまったことへの、言葉にできない複雑な感情が胸の中に渦巻いていた。このピュアな少年に、俺は一体どれほど大きな嘘を背負わせてしまっているのだろうか。

 

「じゃあね、お兄さん! お姉さんを見かけたら、僕が探してたって伝えてね!」

 

 斗真くんはそう言って、ランドセルを揺らしながら元気に走り去っていった。

 夕暮れの街中にぽつんと取り残された俺は、提げたコンビニ袋を見つめながら、ただ一人、深く重いため息をつくことしかできなかった。

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