第43話
ここまでお読みいただき本当にありがとうございます。
私生活がバタバタとしており、あまりきちんとした感想を返すことができないので、一時的に感想欄を閉じております。申し訳ありません。そのうちに復活させたいと思います。
評価やリアクションがとても励みになっています。後少しでこのお話も完結しますので、最後までお付き合いいただけると大変嬉しく思います。
大聖堂の壁は分厚いが、それを貫通して人々の悲鳴が聞こえてきた。まるでそれは聖歌の合唱のように、高い天井に響き渡る。
フェルナンは無言で窓に目を遣り、外の騒ぎが当然のことであるかのように無感動のまま直立していた。
――何をしたの。
考えた瞬間、オフィーリアは悟る。
「まさか!」
地下へ続く扉の奥――かつて王の墓があった場所。聖なる地。祈りの場。誰も足を踏み入れることのないその場所には今、伝導石が大量に保管されている。各地で瘴気を引き起こす際の材料だ。
フェルナンはオフィーリアに、やはり無感情な声色で言った。
「酷い人だと思う。共に生きる夢を何度も見た。盲目さこそ真実を覆い隠す癌だとも知らずに美徳に思っていた」
オフィーリアは狼狽えていた。
自分だって彼と共に生きる夢を見ていた。その夢のために、ただひたすら努力を続けたというのに。
なのに、オフィーリアを愛さなくてはならないフェルナンは、冷たい瞳を向けてくる。
「真実は貴方を傷つけるから……!」
「皆を騙し欺いた罪は重い」
「何もかも全部貴方のためだった!!」
「君の欺瞞はもう聞きたくない。過去にけりをつけて君と決別しようじゃないか」
言いながら、フェルナンはオフィーリアを大聖堂の入口まで引っ張っていく。オフィーリアは叫び、喚くが彼の力は強くて抵抗できなかった。
扉を開き、フェルナンはオフィーリアを階段に放り投げ、それから景気を付けるように両手を小気味よく叩いた。
「さあ、これでおしまい」
彼の口元には笑みが浮かぶ。だがその目の奥は冷酷だった。
「さようなら、皆に愛された可愛い人」
その声が、頭の中に木霊した。決別は明らかだった。
もはや彼が聖堂の地下に侵入し、伝導石を使い瘴気を作り出したことは疑いようがなかった。外は黒紫色の霧が分厚く覆っており、一足先を行くことさえ難しい。
ふらふらとオフィーリアは立ち上がり、無言で見下ろしてくるフェルナンに向き直った。口元には、最後の悪あがきとばかりに笑みが浮かぶ。
「瘴気はわたしには効かないわ。闇の魔術で生み出されたものだもの――!」
やはり彼は浅はかだ。同じ闇の魔力が流れるオフィーリアにこの毒は効かない。だがフェルナンに動揺はなく、逆に冷静に言った。
「君には効かないかもしれないが、民衆にはどうかな?」
無数の気配を感じ背後を振り向く。そこには瘴気に飲まれた無数の市民達が我先にとオフィーリアに向かい、聖堂の階段を這うようにして上がってきていた。
「聖女様、お救いください! 聖女様!」
皆、一様に恐怖に怯え、大の大人さえも涙を流す。死に際に神を求める病人のように、オフィーリアに向かって手を伸ばした。一人の男の手が、オフィーリアのドレスの端を掴む。
汚い手にぞっとしてオフィーリアはその手を蹴り飛ばした。
「離しなさい! この汚らわしい手を離せと言っているのよ!」
だが叫んだのはオフィーリアだけではない。フェルナンが演説するように声を張り上げたのだ。
「皆の者、案ずるな! ここにおわすは聖女オフィーリア・グラン様だ! いまから彼女の力で、この瘴気をかき消す!」
混乱していた民衆は静まり返る。希望と期待に満ちた瞳でオフィーリアを見つめている。
この瘴気を消すのを待ちわびているのだ。神の奇跡を待っている。
(できるわけない――!)
できるはずがない。今まで瘴気を消していたのはグラン家の者だ。予め規定量流し、光の魔術が使える者が、同量の魔術を行使していた。すべてが計画された災害であり、オフィーリアは何もしていない。祈りなど、単なるパフォーマンスに過ぎなかった。
どの程度瘴気を発生させているのか分からない上、いつも光の魔術を使っているグラン家の者も、今は側にいない。
「どうしたんだ? まさかできないのか?」
と、いけしゃあしゃあとフェルナンが言う。口調は演技がかり、愉悦さえ含まれているように感じた。
「できない!? そんなはずはない! 聖女様はいつだって瘴気を消してこられたんだ!」
民衆の一人がそう叫ぶ。それを待っていたかのように、フェルナンは応じた。
「では、この聖女は偽物だ」
一瞬の静寂があり、オフィーリアを見る誰の顔も、期待から一転、憎悪に変わるのが見えた。
「ち、違う! わたしはオフィーリアよ!」
「この女はオフィーリア様を騙る悪人だ!」
と先程オフィーリアのドレスを掴んだ男が言う。
「さっき俺の手を蹴った! 聖女様がそんなことするはずがない!」
「こんな時にオフィーリア様のふりをするなんて許せない!」
皆が口々にそう叫ぶ。これは良くない。実に良くない。
「待ってよ! わたしは本物よ! 見なさいよこの美貌を――!」
子供の頃から魔術によって何度も顔を作り変えた。
少しでもフェルナンの目に止まるように。時には自分の心を満たすために。
目を大きく、鼻を高く、顎を削って――。
痛みも伴ったが、それを乗り越えこの美貌を手に入れた。オフィーリアは、努力の末に手に入れたこの美しさを気に入っていた。
だが誰もオフィーリアの言葉を聞いていない。それどころか、今にも引き裂いて殺しそうなほどの勢いで迫ってきていた。
「聖女であるこのわたしに触れるなんて許されないのよ!」
オフィーリアはそう叫びながら民衆に向けて魔術を放った。だがそれよりも素早くフェルナンが防御魔術を繰り出す。二つの魔術は空中で衝突し、上空へと炸裂した。その部分だけ霧が晴れた。
市民たちは突然の魔術の爆発に驚いたようである。皆、瞬間的に呆気にとられ空を見上げる。今だ、と思った。
これから先のことはどうとだってなる。少なくとも今は、この場を無事に逃げ切ることだけを考えなければ。
オフィーリアは皆の視線が空へと集中しているうちに、退路を見出した。彼等の隙間を縫うようにして階段を駆け下りる。その時だった。
地の底から響くような絶叫が聞こえた。
――よくも殺したなオフィーリア!
オフィーリアの足はぴたりと止まる。
「なに」
男とも女とも、老人とも子供とも取れぬようないびつな声。だが不協和音のようにひどく耳障りな声。
ふいに気配を感じそちらを見ると、突如目の前に人が現れ、そうしてオフィーリアの体の中を駆け抜けていった。
――許さない、お前がわたし達を殺したんだ!
声は周囲に響き渡る。霧に投影されたような、肉体を持たぬ人間達が、次々とオフィーリアに襲いかかるように体をすり抜けていった。
「なんなのよ!」
霧の中、生者に紛れるようにして死人達が闊歩しているなんて――そんな馬鹿な。
オフィーリアがかつて瘴気を用いて殺した者たちが、今オフィーリアを取り殺そうと地獄から蘇ってきたなんて――あり得ることじゃない。
だが肉体を持たぬその者たちは、憎悪に顔を歪めながら口々に呪詛の言葉を吐き出し、オフィーリアに掴みかかろうとしていた。
「何だこれは」
フェルナンでさえも驚いているようだ。彼がやったことではないのだ。
オフィーリアの呼吸は荒くなる。
今までたくさん殺した。
始まりは八歳の時だ。
フェルナンを引き取った養家に瘴気を流した。その養家はグラン家と最も敵対する者だった。敵がいなくなればグラン家の天下になると当主を上手く誘導して、それを実行させた。
次にそれをしたのは十二歳の時だ。
フェルナンが地方の凡庸な人間になる。そんなことが許されていいはずがない。だからまた瘴気を流した。その頃になるとオフィーリアは聖女としてグラン家でも地位を築きつつあった。当主のお気に入りの娘の言う事を、皆よく聞いてくれた。
三度目は、彼と婚約した娘だ。
婚約だなんて――美貌も教養もなさそうなあんな娘にフェルナンが盗まれるなんてあっていいことではない。あの避暑地には他にもグラン家の政敵がいた。フェルナンの婚約者が避暑地に出かけている時に祖父に囁いた。次はヴァロンにしましょう、と。
そこまでしたのにフェルナンはあろうことか、娼婦の家に入り浸るようになっていた。アバズレの、心も体も醜い女。それが最後だと自分に言い聞かせながら、瘴気を彼女に使った。
フェルナンはついに孤独になった。
ようやくフェルナンはオフィーリアに振り向いてくれた。それがどれほど幸せなことだっただろう。今でも思い出すだけで心が天に昇るようだった。見せかけだけでなく、神に祈りそうになった。――祈らなかったが。
彼の心を手に入れたのは、自分の努力の成果だったからだ。
だがその後もフェルナンの地位を目当てに、没落寸前の家が娘との婚約を持ちかけてきた。
婚約した娘には瘴気は使わなかった。ヴァロンは大規模になりすぎてしまった。次に瘴気を出現させるには時間を置かなくてはならなかった。祖父にねだったが目立ちすぎると却下されてしまった。だから男たちを雇った。彼女を害した後、男たちは葬り去った。
これで完全にフェルナンと縁を結ぼうとする者はいなくなった。
彼にはオフィーリアしかいない。べったりと依存して、オフィーリアのためだけに生き、オフィーリア無しでは生きられない。望んだ通りの、完璧な世界が手に入った。
彼の呪いも消え去った。幸せは、すぐ、そこ。
それなのに。今更過去から現れた亡者ごときに邪魔されてなるものか――!
「わたしが何をしたっていうのよ! 弱いのが悪いんでしょう!」
オフィーリアは叫びながらそれでもその場を逃げ出そうとした。遂に亡霊の一人がオフィーリアの腕を掴む。遂に恐怖した。
「いやあああ!」
必死でそれを振り払った。よくよく見ればそれは亡霊ではなく聖女の信者の一人であったがオフィーリアは気づかなかった。
いつの間にか階段を降りていたらしい。フェルナンは追ってはない。
信者の手を振り払った勢いで道端に転んだ。顔面を石畳に強打し、手をついた衝撃で爪が割れる。
「逃げなくちゃ……、逃げなくちゃ……!」
なおもオフィーリアは上を向いた。その時、前方から猛烈な速さで駈けてくる馬車が目に入った。人々は慌ててその馬車に道を譲っている。
馬車に誰が乗っているかなど、気にする余裕はないはずだった。だが今はその人物の顔がよく見える。瘴気を吸い込まないように布で口を覆いながら、屋根付きの馬車の中からこちらを驚いた顔で見ているその人物。なんて情けない顔だろう。
あれ。あの男は見たことがある。確かギフォード・アルギャンとかいう……。
そう思った時には、オフィーリアの体は馬車に跳ね飛ばされていた。
落ちた時にその馬車の下敷きになり、それでも止まれぬ馬によって石畳を引きずられていく。もうすでに、オフィーリアの思考は止まっていた。逃げようともがくことも、幸せを求めあがくこともない。
人々がその事故をようやく認識したとき、後に残ったのは引きずられた血みどろと、顔も分からぬ女の死体だけだった。
余談ではありますが作者は映画の「ミスト」や漫画の「死びとの恋わずらい」が好きでして、霧の中で起こるパニックシーンを自分でも書いてみたかったので、書くことができて良かったです。




