第39話
サブタイトルが本編に追いつき、ネタが燃え尽きましたので話数を記載することにしました。良いのを思いつき次第変えます!
この物語のタイトル自体、もっと良いものが思い浮かんだら変えようと思っていましたが中々思いつかないままここまで来てしまいました…。
父が兵を差し向けるのならば、そう長い時間ここにいるわけには行かなかった。どの道、王立研究所は今日で去るつもりでいて、そうして二度と戻ることないと覚悟は決めていた。
アドリアンナは生家で起こっていた事件について知るはずもなかったし、ジュリエッタの告発が無くとも王都から消える気でいた。
そうしてジュリエッタが逃げるように部屋を出ていってからほどなくして、アドリアンナも研究所を出た。目指す先は――考えただけで懐かしさと嬉しさが胸に湧く、辺境の地であった。
あの城に帰る。そう思っただけで胸が躍った。おかしなものだと我ながら思う。初めてここに来た日は恐ろしくてたまらなかったのに、いつの間にかどこよりも落ち着く場所になっていた。
こんなに嬉しいのはあの場所が懐かしいからだけ――? 分かっている。そうではなかった。
オフィーリアは、フェルナンが作りギフォードによってこじ開けられた魔術の道を知っていた。だからアドリアンナにもその道を開いてくれた。魔術の天才一家であるグラン家の娘なだけあって、オフィーリアの魔術は実に正確だった。
オフィーリアに指定された王都郊外の森の中に行くと、魔法陣があり、そこに入ると光に包まれ、気付くと周囲を黒紫の霧に囲まれた別の森の中にいた。
アドリアンナはその夜のうちに、辺境の地へと帰ってきた。
アドリアンナのすぐ横に、拳ほどの大きさの光が出現した。光はアドリアンナを導くように、ふわりと浮かび移動した。アドリアンナは誘われるまま、その光に付いていった。まるでこの先の人生が、祝福の光に照らされているように感じて、アドリアンナは微笑んだ。幸せに心が満ちていた。
今日は霧が濃い。一歩先さえも見えない白い暗がりだが、恐怖はなかった。獣の気配はしたが、正体不明の光に怯え、姿を現すことはない。アドリアンナは足取りは軽く森を歩いていく。
やがて慣れ親しんだ城が――呪われ公爵の城が、アドリアンナが安らぎを得た城が、霧の中に出現した。アドリアンナの歩みが速くなる。
光はアドリアンナを城の門の手前まで案内してくれた。これがオフィーリアの魔術によるものだと分かっていたから、アドリアンナは光に向かって深々と頭を下げる。再び頭を上げた時、光は既に消えていた。
暗くなった周囲を見回してみる。
――こんな夜に突然訪れていいものかしら。
ふいにそんなことを思ったが、彼なら受け入れてくれるだろうとすぐに思い直した。結局は彼の優しさに甘えている。絶対的な安心感の中で、アドリアンナは一歩門へと進んだ。
様子が異なっているように感じた。以前よりも、整っている。
違和感の正体はすぐに分かった。廃墟同然に壊れていた城の外の門が直っている。雑草が生い茂った庭も、蔦が絡まっていた外壁も人の住める環境になっているように思えた。
アドリアンナは閂に手をかけ門を開く。鍵はかけられておらず、すんなりと中に入ることができた。城の扉まで進み、力任せに叩いて叫んだ。
「あの……! フェルナン・グリフォン様はいらっしゃいますか! アドリアンナ・オルエンヌが参りました!」
驚くほどの速さで反応があった。扉はすぐに開き、姿より先に声が聞こえた。
「アドリアンナ!? アドリアンナか!?」
起きていたのか起こされたのか分からないが、フェルナンが階段の上から駆け下りてくる。いつかとは異なり、寝間着ではあったが服は着ていて、髭もなく髪も伸びてはいない。いつかとは異なり、驚愕と困惑と、それから歓喜が入り混じった表情を浮かべて。
フェルナンはそのままの勢いですぐさま目の前までやってくると、アドリアンナの両肩を両手で掴み、矢継早に尋ねた。
「なぜ戻ってきた!? 研究はどうしたんだ! ああ、こんなに体が冷えているじゃないか。こんなに薄着で、上着もなしに……まだこの地の夜は冷えるのに! ……研究が上手く行かなかったのか? なにか問題があったか? ノア・ルターヴとかいう奴に悪さをされたのか? 追い出されたのか? 俺から文句を言おう!」
彼の勢いに気圧されながらも、あれほど親切にしてくれるノアが疑われてはいけないと思い、慌ててアドリアンナは口を挟んだ。
「いいえ、順調です! 所長はとても親切ですし、困りごとはひとつもありません」
聞いたフェルナンは困ったようにますます眉を顰めた。
「では……なぜ戻って来たんだ?」
彼の疑問は尤もではある。だがアドリアンナには上手く説明をできる自信はなかった。正直に話したところで、彼が納得するとは思えない。
「それは――それは、公爵様のご様子が気になって。お元気かなと思って」
「それでわざわざ時間をかけてやってきたというのか? 嘘だろ」
フェルナンはアドリアンナの肩から手を離し、半笑いのような表情になる。
「……俺は、今生の別れのつもりだった。君がこうやって、こんな気軽に戻ってくるとは思ってもみなくて」
笑いと泣きの中間のような絶妙な顔で彼は言う。感情をどちらに寄せてよいのか分からないようだった。今生の別れということは、アドリアンナに会うつもりは二度と無かったということだ。やはり迷惑だっただろうか、と不安になる。だからといって引き下がってはならなかった。
フェルナンはアドリアンナを見つめながら、肩をすくめてみせた。
「俺のところに長居しない方がいいかもしれない。実は以前とは少し事情が異なるんだ。君に危険が及ぶかもしれない。王命を無視して、王都との仲が急速に悪化している。……より正確に言えば、グラン家当主との仲だが。いや、大したことではないよ、すぐにいつも通りになるだろうが」
アドリアンナの心配する表情を見てかフェルナンは最後の言葉を付け足した。
「長くはいません。すぐに帰りますから」
それは半分は本当のことだったが、フェルナンはなぜだか残念そうに眉を下げる。
「君の身を案じるならすぐに帰ってもらったほうがいいが、そう言われると少し寂しいな」
素直な言葉に思わず笑ってしまう。アドリアンナの微笑みを見て、フェルナンも笑った。
「腹は減ってないか? 夜食でも作ろう。君がいなくなってから、俺も飯を作るようにしていて――少しは上達したはずだ。今日の君は客人だから、自分が作るなどとは言うなよ」
アドリアンナの言葉を予期したようにフェルナンは言う。
「それなら二人で作るのはいかがですか? わたしも久しぶりに料理をしたいです。……だめでしょうか?」
それは我ながら良い思いつきに思えた。フェルナンに料理を作らせることに気後れしたわけではなく、単にアドリアンナが少しでも長い間、彼と並んでいたかった。フェルナンも嬉しそうに顔を輝かせる。
「君がいいならもちろんさ!」
だから二人して、厨房まで歩き始めた。どちらの歩みもゆっくりとしたものだった。まるでフェルナンもこの時間を惜しむように、互いの存在を感じられるように考えているように思えたのは、アドリアンナの願望であろうか。
「あの雛は元気にしていますか? もう随分と成長してしまったかしら」
アドリアンナの問いに、フェルナンは平然と答える。
「飛んでいったよ。つい二日前のことだ。俺があいつに飛び方を教えたんだ。上着を翼に見立てて、こうやってパタパタとさ。それで自分の体を空に浮かび上がらせて」
口調こそ冷静だったものの、両手でをバタつかせる彼は得意げに見えた。だがアドリアンナは信じられない。
「公爵様がそんなマネを? まさか!」
フェルナンがそうしている姿が想像できない――いや、今となってはできる気もする。案外彼には、そういうおかしなところがあった。フェルナンは笑いながら言った。
「本当さ! あいつ飲み込みが早かったよ。あっという間に覚えてさ、すぐに長い距離を飛べるようになった。二日前に飛んでいって、それっきり帰ってこなくなった。寂しいが親離れの時期だ」
アドリアンナは必死に餌を頬張る雛の姿を思い浮かべる。この手で救った命だった。
「晴れて俺も自由の身さ。ようやくやりたいことができる」
「やりたいことって?」
「それは内緒さ」
ふふ、と意味ありげにフェルナンは含み笑いをした。アドリアンナに教える気はないようだが、悪い気はしなかった。よく変わる表情は彼の魅力の一つだと思う。刻一刻と風景を変える空のようで目が離せなかった。
厨房に到着し、二人並んで支度をし始める。フェルナンがチーズの塊から必要な分を切り出す間、アドリアンナは野菜の皮をむき始めた。何かワインに合うものを――フェルナンがそう言ったので、チーズソースに茹でた野菜でも添えようかという話になったのだ。
会話こそ少なかったものの、隣に彼を感じてアドリアンナは安らぎを覚えていた。
彼の匂いがする。息遣いや体の熱を感じる。なんて幸せなんだろう――。
「君と夫婦として暮らしたら毎日がこんな感じなんだろうな」
ふいにフェルナンがそう言ったので、アドリアンナはナイフを取り落としそうになった。丸目で彼を見つめると、彼も自分で言ったことに驚いたのか目を丸くしている。
何を口走ったのか分かっていないのだろうか。そんな風に思っていると、彼は意を決したかのように体ごとアドリアンナに向き直ると、ひどく真剣な表情になった。
「もし君が――君が、君の研究が終わって、それでも君が、もし俺のところに――というかこの城に――この場所で暮らしてもいいと思ってくれるのなら――そうしたら……」
「暮らしたいです」
フェルナンの言葉が終わる前にアドリアンナはそう言った。言うなら今しかないと思ったからだ。
フェルナンは持っていたチーズを床に落とした。拾う素振りも見せずに、口を開け、唖然とアドリアンナを見つめていた。
「わたしも、貴方と暮らしたい。本当の妻になりたいんです」
言ってしまった。心臓が未だかつて無いほど騒ぎ出す。だが決して不快なものではなかった。
「嘘だ」
フェルナンは泣きそうな顔になる。アドリアンナは首を横に振った。
「こんな嘘は言いません」
「俺は本気で言ったんだ。君が好きで、妻にしたいと。なのにそんな風に言うなんて。からかわないでくれ。ひどいじゃないか。俺だって人間だ、傷つくんだよ」
まるでアドリアンナが彼を弄んだかのような言葉だ。彼にはアドリアンナの言葉がどう聞こえているのだろうか。アドリアンナも彼と同じことを言ったつもりだったのに。
「わたしは、わたしは貴方が好きです。今日は、本当は――」言葉を詰まらせながらもアドリアンナは一思いに言った。「本当は、貴方の本物の妻にしてもらいたくて来ました。偽りの妻ではなくて、名実共に本物の妻に――」
フェルナンの目がますます見開かれる。
「意味が分かって言っているのか?」
そこには呪われ公爵もおらず、歴戦の魔術師もいなかった。ただ許しを待つ罪人のように、アドリアンナの言葉を待つ哀れな男がいただけだ。
初日に彼に言われたことを思い出しながら、アドリアンナは頷いた。
彼が好きだった。既に愛していた。彼の優しさや真心に救われた。孤独であることを受け入れたふりをしながらも、それでも人を求めてやまない――不器用で愛おしい人だった。
アドリアンナは彼の懇願ごと受け入れ微笑んだ。
「わたしの人生は散々なものでした。前を向こうとすればするほどに、打ちのめされることばかりで。それでも貴方に勇気を貰って、もう一度自分の人生を価値のあるものだと思うことができました。それをわたしも、貴方にあげたい」
自分の目が涙を孕むのを感じた。だが泣きはしない。少なくとも、自分の心を彼に伝えきるまでは。
「フェルナン様。どうかわたしの想いを聞いてくださいますか」
フェルナンがアドリアンナの言葉を待つように頷いた。自分のことを語るのは得意ではなかったが、彼の態度にまた勇気をもらう。
だからアドリアンナは話し始めた。
「わたしは――わたしは何も持たない娘でした」
自分がどれほど彼に救われたのか、全てあますところなく伝えたい。何よりも、幸せになるべき人なのだと彼に知ってほしかった。




