何もかも全部貴方のためだった
「フェルナン・ラヴェルというのが、彼の生まれた時の名前だった。ラヴェル家に生まれた彼だけど、古の王の名を取ってフェルナンと名付けられたのだから、王の子だというのは公然の秘密だったということね」
訥々とオフィーリアは語り始めた。アドリアンナは彼女の声にじっと耳を傾ける。
「彼の不運は生まれた時から始まっていた。とても強い魔力を持って生まれてしまったの。当時、王と王妃の間に子はいなかったから彼は次期王として有力視されていたというわ。魔力の強い王は、それだけで敵国への牽制になる。まさにうってつけの子が生まれたのよ。
だけどグラン家は当然それをよく思わなかった。自分たちは娘を王妃にまでして、いずれは王の祖父という立場で権力を振るうつもりだったのに、その計画が破綻してしまいそうになったんですもの。強大な力をもつ私生児は、グラン家にとって邪魔だった。だから命を奪おうとするのは当たり前の考えだった」
何の罪もない赤ん坊を殺そうとする者がいたという衝撃にアドリアンナの肝は冷えるが、フェルナンが今生きているということは、赤ん坊は殺されなかったということだ。
「色々と手を打ったようだけど、上手く行かなかったというわ。ラヴェル家だって馬鹿じゃないし、王の子を守るために常に見張りを付けていた。グラン家は魔術で殺害を試みたけど、結局は彼の持つ魔力と、代々この国の王家の血筋にかけられた守護魔術が、彼を直接殺すことを阻んだ。
王もその気配に気づいてか、フェルナンを王宮で保護する計画を秘密裏に立てていたらしいわ。グラン家はそれを察知して手を引いた。王とフェルナンの距離が近くなり、王妃に子ができる前に彼を正式に子として迎え入れることを恐れたから」
アドリアンナの顔をじっと見つめながら、オフィーリアは続けた。
「転機は彼が八歳のときに訪れた。王妃に子が生まれたの。男の子だった。虚弱児として生まれた彼だけど、グラン家は彼を守るためにあらゆる手を尽くして――そうして今日まで生きている」
「現国王陛下――」
アドリアンナはルイス王のことを思い浮かべた。直接顔を合わせたことはないが、新聞で絵を見たことがある。どの記者も彼を賢王と褒め称えていた。
オフィーリアは頷いた。
「身体は弱いままだけど、賢い少年に育ったわ。グラン家はルイスが生まれたのを機と見た。生まれたばかりの国の跡取りを自分たちの手で育てることにしたのよ。だから彼に父親は不要だった。こっちは上手く行ったようね。グラン家は王にかけられた守護魔術を丁寧に剥いで、見事殺害に成功したんだもの」
ひっ、と小さな悲鳴が漏れて、慌てて両手で口を抑えた。王を殺したなんて、そんな馬鹿な。
当然ながら重罪だ。極刑どころか、家一つ潰されたっておかしくはない。それに先代の王は病死だったはずだ。少なくとも、そう公表されていた。
アドリアンナは驚きを持ってオフィーリアを見たが、彼女の表情には少しの変化もなかった。まるで太陽が東から出て西へ沈むという常識を述べただけのような態度だった。
「先代の王が亡くなれば、フェルナンの生死に煩く言う人間もいない。いたとしても次期王を抱えるグラン家に敵う相手ではない。だからグラン家当主の命令により、ラヴェル家に瘴気を撒いた。フェルナンもろとも死ぬはずだった。でもね、彼は生き残ってしまったの。彼の身体に流れる魔力が光の要素を含んでいるということは、その時までグラン家は知らなかった。どの要素が身体に多く流れているかっていうことは弱点にもなるから隠されていたのね」
アドリアンナはフェルナンが部屋の隅で震えながら告白した話を思い出した。
「フェルナン様は、育ての親やお祖父様も――それから婚約されていた方も皆亡くなったのだとお話されていました。それも、グラン家が行ったことだったのですか?」
恐る恐る問いかけた質問をあっさりとオフィーリアは認める。
「ええ、そうみたい。彼を再起不能なほど孤独にして、王都から追放したかった。二度と彼を王にしようと考える者が出ないほどの孤独に陥らせたかったのね」
だとすればそれは見事に成功している。彼一人を消すために流れた血の量は、その目的以上に感じるものの。
「みたい、というのはわたしは知らなかったから。知っていたら絶対に止めていたわ、そんな悍ましいことは。今話しているのは、わたしが数年かけて解き明かしたグラン家の陰謀の一部よ。やっと確証を得られたから、こうして今、あなたに話しているの」
「フェルナン様は、それがご自身の呪いのせいだとおっしゃっていました。でも、そうではなかった。だとすればなぜ彼が呪われているというのですか? それに、死ぬ、なんて」
アドリアンナの体は震えた。フェルナンが死ぬなんて考えたくもないし、それが事実だとまだ認めたくなかった。
「呪いはグラン家がかけたの。グラン家は彼を直接殺害することはできなかったけれど、彼に呪いをかけることには成功した。呪いをかけたのは王妃だったそうよ。ルイスに会ってほしいと呼び出して、会わせている隙に直接、小さな魔術をかけた。
単純な呪いよ。彼の魔力が強くなればなるほど発動するもの。高度で繊細な魔術だけど魔力の量はかける時は微小で済む、そういう類のものだった。それが攻撃の精一杯だったということでもあるわね。
魔力ってね、身体の成長や精神の成熟度によって力を増すのよ。不思議だけど、そういうものなの。フェルナンにかけられた呪いは彼の成長とともに大きくなって、今はもう、彼の死はすぐそこに迫っている。時限装置のようなもので、フェルナンの魔力がいよいよグラン家の脅威になった時、彼は死ぬ。グラン家はフェルナンを恐れ続けてきたけれど、ようやくそれも無くなるということね」
ふう、とオフィーリアは小さく息を吐きだした。それから自嘲気味に笑う。
「グラン家の誰かが彼をこう呼び出した。“呪われ公爵”って、嘲笑混じりにね。自分が呪われていることにさえ気づかない、哀れな男。若くして死ぬのに、それも知らない馬鹿な奴――そういうふうに侮蔑を込めて。それでフェルナンよりも優位に立ったつもりになっていたんだわ」
強者は弱者にどこまでも冷酷になれるということは、アドリアンナもよく知っていた。
「いつしかその名が広まって、グラン家がかけた呪いのことなんて知らない世間は、彼こそが呪いの根源であるかのように思った。以前に呪われ公爵と呼ばれていたのはグリフォン公だけど、ならば丁度良いと、グラン家はフェルナンをグリフォンに改めて同じ場所へと閉じ込めた。
全てを奪われ気力を無くしたフェルナンは、自分が死ぬとも知らずにただそれを待つだけの生活を送っている――生まれた時に彼に約束されていた栄華はもうどこにもない。それが呪われ公爵、フェルナン・グリフォンの正体よ」
呪いが真実であると知り、アドリアンナは突き落とされたような衝撃を受けた。フェルナンが死ぬのは間違いないとオフィーリアは言ったのだ。アドリアンナは懇願した。意味がないと思いつつそうせずにはいられなかった。
「救いは……? 救いはないのですか! フェルナン様が死ぬなんて――! そんなの、あっていいことじゃありません!」
頭を必死に働かせる。魔術の中には術者が死ねば効力が無くなるものもある。呪いをかけた者を殺せば――アドリアンナはそこまで考えたが、既に王妃は亡くなっていることにすぐに気づいた。せめてかけた魔術が分かれば、前王妃と同じくらい魔力の強い者に解いてもらうことができるのではないのか。
「わたしも色々考えたけれど、どんな魔術がかけられたのか分からなかった。正攻法では無理よ」
引っかかる言い方に思わず問いかけた。
「で、では正攻法ではない方法だったら、呪いを解くことができるのですか!?」
「ええ、彼からは消滅させることができる」
オフィーリアの力強い断言に、アドリアンナの勢いは収まった。安堵を覚え、小さな笑いが漏れた。
「彼を救うことができるって、わたしはそれに気がついたの。だから貴女を呼び出した。もうあまり時間がない。彼の死期が迫っている」
オフィーリアの言い方は、まるで、まるで――。
「わたしにできることなんですか……?」
まるでアドリアンナに解けと言っているようにしか思えない。オフィーリアは真剣な眼差しで首を縦に振った。
「貴女にしかできないことよ。だけど無理強いはしないわ」
迷いなど無かった。希望があるなら縋りたい。
「どうすれば、どうすればいいのですか? どうすれば彼を助けられるのですか!?」
「魔力は高みから低きへ流れる。呪いも同じよ、魔力のある者から無い者へと流動する。彼と同じ性質の魔力が満ちる者――即ち光の魔力が強く満ちる者であれば、彼の呪いはそちらへと流れ落ちる」
オフィーリアは冷静にそう言った。
「わたしは聖女ではないけれど、一介の魔術師ではある。魔力の流れを加速させる方法を編み出すことはできた。その方法なら、彼の呪いは解ける。呪いを流す器を作るのよ」
「器……」
いくら鈍感な人間でも分かる。
「わたしがその器になるということですか?」
ええ、とオフィーリアは肯定した。
「わたしが彼を救ってあげたかった。だけど引き離されてしまったし、そもそもわたしに流れるのは闇の魔力――彼の呪いを貰い受けることはできなかった。だけど貴女なら彼を救ってあげられる。彼を、不遇な彼を、助けてほしい」
ふいにオフィーリアの瞳に涙が浮かび、彼女は自らの指でそれを拭った。
アドリアンナはオフィーリアが戦ってきた日々を思った。一体どれほど孤独で、先の見えない戦いだったのだろう。生家の陰謀と愛する人の呪いを、たった一人で抱え込んできたのだ。
アドリアンナは先程オフィーリアが問いかけたことを問うた。
「オフィーリア様はフェルナン様を好きですか?」
オフィーリアは赤い目のまま即答する。
「ええ、大好きよ。彼はわたしの全てだもの」
「それならどうして、わたしをフェルナン様に嫁がせたのですか?」
それはずっと疑問に思っていたことだった。突然の結婚の命令に何度戸惑ったことだろう。
オフィーリアは穏やかに答えた。
「少し前、貴女の論文を知った祖父――グラン家の現当主が、貴女を葬り去ろうとしていると知った。あの論文は、それほどまでに真実に近いところにあったから。貴女はグラン家の陰謀を立証するために必要な人。だから守らなくてはならないと思った。丁度、フェルナンが妻が欲しいと言ったと聞いたから、貴女をあの誰も近寄らない場所へ逃がそうと思った」
納得できる明確な答えだった。
真実を知った今、不思議に思うことなど少しもない。
「だけどそれだけじゃないわ。貴女は彼の孤独を癒してくれる人だと思ったから。貴女のことは、ヴァロン震災の後からずっと知っていたわ。親族にそういう少女がいるって。お母様を亡くした、とても可哀想な女の子がいるって。だから貴女しかいないと思った。貴女の心の傷は彼の心の傷と同じだから、上手くやっていけるんじゃないかって思ったの」
「恋敵になるかもしれないのに?」
思わずそう尋ねてしまった。
実際はなれもしなかったし、なるつもりもなかったが。一人の男に対して女が二人恋をしていたら、どちらかを蹴落とすしかない。ギフォードを手に入れたジュリエッタのように。オフィーリアはアドリアンナを妬ましいと思うことはなかったのだろうか。
オフィーリアは首を横に振り、温かな声色で答えた。
「愛する人には幸せでいてほしいもの。貴女だってそうでしょう?」
心が晴れていくようだった。オフィーリアはアドリアンナが考えていた通りの聖女だったとそう思えた。自分よりも他人を優先し、真心と愛を持つ人だ。
オフィーリアは言う。
「命の意味を、考えたことがある? わたしはよく考える。なぜわたしの命は生まれたのだろうって。大勢の人を救うためにあるはずだって。そうじゃなければ、わたしが今まで聖女として過ごしてきた意味は無くなってしまうもの。わたしが聖女として過ごしてきたのは、自分の家で行われてきた恐ろしい犯罪を暴き出すためだった」
その言葉はアドリアンナの心に入り込む。
天命や命の意味を考えなかった日はない。母のもとに今すぐに行きたくても、この命には意味があるはずだと、そう思い毎日生き延びてきた。
「わたしは瘴気の謎を解くことが、自分が生き残った意味だと思っていました。けれどそれは間違いでした。わたしが生き残ったことに、大した意味なんてなかった。だけど今だって、生きている意味が、きっとどこかにあるはずだってそう信じたいんです。この命が、いつか必ず誰かの役に立つんだって、そのために生かされたのだって、そう思いたいんです」
そうでなければ、未来ある大勢の人が死に、自分だけが生き残ったことはまったくの偶然になってしまう。神がそんなことをされるはずがないのだ。
そうしてやはり、意味はあった。
「意味はありました。こんなわたしに、あれほど優しくしてくださった彼のために、わたしはきっと生まれたんです。オフィーリア様、わたしに生きる意味を与えてくださって、ありがとうございます」
オフィーリアはアドリアンナの両手を自身の両手で包みこんだ。
「約束するわアドリアンナ。グラン家がやっていることを、このわたしが必ず止めるって。論文の公表は必ずします。だけどその前に、フェルナンの呪いを解いてあげてほしい。グラン家のことを話せば、わたしもきっと今のままではいられないわ。その前に、彼にもう一度だけ会いたいの。呪いのない、彼に――」
アドリアンナはしっかりと頷いた。
「フェルナン様の呪いを解いて、必ず貴女のところにお連れします。きっと、必ず。わたしもお約束します」
「こちらへおいでなさい、アドリアンナ」
次の瞬間にはアドリアンナは引き寄せられ、オフィーリアの腕の中にいた。抱きしめられて、温もりに包まれている。オフィーリアが耳元で囁いた。
「ありがとう、優しい子ね。お母様もきっと誇りに思うでしょう」




