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共に生きる夢を何度も見た

「基本的に俺は人を信頼していない。他人など無限に自らの欲望に従う生き物だと思っているんだ。少し卑屈すぎるか?」


 日の日差しが降り注ぐ崖の上で、フェルナンは胸ポケットに入れた小鳥にそう話しかけた。


「だからギュスターに誓約の魔術をかけた。約束が遂行されなければ、心臓が止まるように。だが彼は報いてくれたようだ。大丈夫、君のお母さんは無事に王立研究所にたどり着いた。魔術は解いてやろう」


 フェルナンは両手をこすり合わせギュスターにかけた魔術を解いた。動揺していた彼に魔術をかけるのは容易かった。彼が自分に魔術がかけられていると知っていたかは不明だが、見事に約束は守られた。


 小鳥は丸い目をしてフェルナンを見つめ返す。小鳥の体には青い羽毛が生えてきており、雛から大人になりかけていた。


 眼下には線路が見える。戦時下では長距離を大量の物資を運ぶ役目を果たす重要な列車だ。ルイスから言われた通り、フェルナンは列車の爆破のためにこの地へ来ていた。実際に命じているのはルイスの背後にいるグラン家当主であるということは気づいていたが、気づいたところで大した意味はない。どの道フェルナンのすべきことは同じであるからだ。

 今と同じ生活を望むのなら、王都からの命令には絶対服従だ。それがフェルナンが唯一生き残る道であった。


 列車はまだ到着していない。だからフェルナンは話し続けた。


「蒸気機関の発見は間違いなく人類の発展に寄与するだろう。知っているか? あれを発見した者は、魔術の使えない奴だったそうだ。今こそ魔術師はもてはやされているが、いずれ価値の無くなる時代が来るのだろう」


 思わず自嘲が漏れる。


「世の中には列車が走り、いずれ世界中を結ぶ。戦争が終われば旅行者が溢れかえるようになるんだろう。人々はますます発展して豊かになる。そういう時代が訪れるはずだ。にも関わらず、俺は一世紀以上前に建てられた城の中で中世みたいな暮らしをしている。時代錯誤もいいところだ。ばかみたいだとお前だって思わないか?」


 当然ながら小鳥からの返事はない。ただ安心したようにフェルナンの胸ポケットで目を閉じただけだ。


 小鳥の眠りを妨げてはならないと、フェルナンは口を閉じた。考えるのは領地を襲いに来た男たちについてだ。

 領地にいた賊等は、体格からして兵士だと思われた。所属は不明で、どこかの家の私兵が秘密裏に動いたものか、あるいは任務のためだけに雇われた傭兵だろう。


 フェルナンの立場は上級貴族であればあるほど知れている。先代の王の子であり、今は王家に飼われていて、どんな命令でもよく聞く躾けられた魔術師だ。それをわざわざ暗殺しようとするとは考えられない。王家を敵に回すようなものであるからだ。

 だとすれば、王家を敵に回しても構わないと考える者か、そもそもその王家がフェルナンを切ったか。

 

(いや、他の可能性だってある)


 フェルナンの不在を知った者が、城の財産を狙って盗みに入らせたか。しかしあの城には大した財産などない。

 そうであれば――。


(狙いがアドリアンナだったとすれば腑に落ちる。俺に敵うはずのない兵士だったが、彼女を殺すためだけであれば十分すぎるほどだ)


 フェルナンの思考は止まらない。

 なぜ彼女が狙われるのだろう。フェルナンにとっては大切な女性ではあったが、生家では虐げられ、世間からの評判も良くはない。わざわざ殺すほどの価値のない娘だ。そんな彼女に殺すほどの価値を見出した者がいたとするのならば、世間の評判などとは別のところに意味を見出しているに違いない。

 その者はフェルナンの不在を知っていた。フェルナンの不在を知っているのはごくごく限られた者達だけである。

 

 フェルナンは両手で顔を覆った。答えは知っている。向き合わなければならない。迷いなど捨てなくては。だがそれは、己が必死に縋り付いてきた光を自ら否定しなくてはならなかった。それがフェルナンの心に耐え難い葛藤を産んでいた。


 フェルナンを思考の深部から引き戻したのは、何かを訴える小さな声だ。見るとポケットの中の小鳥が羽をばたつかせ、必死に鳴いていた。まるでそこから出たいとでも言うようだ。


「なに? 降りたいのか?」


 言葉が分かるはずもないが、小鳥は返事をするように鳴く。フェルナンは小鳥を地面におろしてやった。途端、羽をばたつかせ、小さな足で地面を蹴った。だが飛ぶにはまだ至らない。

 その様子を見て、フェルナンは自然と笑っていた。さっきまで暗澹たるものだった心が晴れるのを感じた。


「親のいない鳥がどうやって飛ぶことを覚えるのか疑問だったが、自然と飛ぼうとするのか」


 愛を知らない人間がそれでもなお愛を欲するように。


 生物には生まれ持った本能があり、自然とそれに従ってしまうのかもしれない。――誰も教えてはくれないから、不器用ではあれど。 

 上手く飛べない自分を叱咤するかのように、小鳥は甲高く何度も鳴いてフェルナンを振り返った。


「分かったよ。城に戻ったら練習しよう。俺も付き合ってやるからな」

 

 遠くでガタガタと音が聞こえた。遂に列車が通るのだ。

 ほどなくして予想通り、谷の合間から木々の間を縫うようにして黒い姿の列車が姿を現した。黒い煙が一筋、空へと上っていき、据えた匂いを周囲に撒き散らした。


 フェルナンは飛ぶ練習を邪魔されて文句を言う小鳥を拾い上げ再びポケットに戻すと列車に向かって両手を構えた。何も初めてのことではない。列車を爆破し、ついでに線路も破壊し、敵国の補給を断つなど幾度となくやっていたことだった。


 だが不意に、胸の中に空洞ができたように思えた。今までそんなもの、気付きもしなかったのに。あらゆる欺瞞が、その穴に向かって滑り落ちていく。虚しさに抗えず、フェルナンは手を構えたまま固まった。

 脳裏に、アドリアンナの懸命な横顔が浮かんだ。城で、森で、彼女は必死に抗おうとしていた。この世界の不条理に、たった一つの研究で。


 俺は何をやっているのだろう。

 彼女が救う一方で、大量の死を生み出している。彼女が一人でも多くを救おうと必死になっているその裏で、千人殺しているなんて。もし次に――いや、二度と会うことはないだろうが、それでももし次に彼女に会った時、俺は平然とした顔でその前に姿を現すことができるのか?


 列車が勢い良く向かってくる。フェルナンが立つ崖のすぐ下を、スピードを緩めること無く通り過ぎていった。黒煙が体に纏わりつく。それを手で振り払った。


「やめた」


 とだけ、言った。小鳥に聞かせたつもりだったが、自分にも言い聞かせていた。


「決めた。こういうことは金輪際、やらないことにする」


 もう既に手遅れだということは知っていたが、それでもそう思う。ポケットの中の小鳥を撫でる。ほのかに温かく、そうして柔らかかった。

 

「俺がやらねばならないことはこんなことではないんだ。俺は反旗を翻すぞ。殺しに来たら返り討ちにしてやる」


 では何をするんだ? 小鳥はそう問うように黒い瞳でフェルナンを見上げた。


「幸せになるべき人の幸せのために、なすべきことをなすのさ」


 言いながら、驚くほど心が晴れていくのを感じた。葛藤が薄れていく。虚しさの代わりに、心に光が差したようだ。正しいことをしたい。まっすぐに生きる彼女のように。


 ああ、そうだ。そうさ。そうやって生きよう。


 そう思った矢先に、フェルナンは激しく咳き込んだ。両手で口を抑えたから、黒い革手袋をした上に赤黒い血が落ちている。だがフェルナンに驚きはない。初めてのことではなかったからだ。アドリアンナが側にいなくて本当に良かったと思った。彼女はきっとひどく心配して、抱え込まなくても良いものまで抱え込んでしまうだろうから。


 フェルナンは血が付いた手袋を地面に脱ぎ捨てると、何事も無かったかのような平静を取り繕い、小鳥に微笑みかけた。


「大丈夫さ、お前が独り立ちをするまでは俺は生きるから。それが父親というものだろう?」


 青い羽毛が陽の光を受けて透き通った水面のように輝いた。この鳥はきっと美しい鳥になるのだろう。彼女が救った命だった。

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