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何が愛かすら本当は知らなかったんだ

 王立研究所は一世紀以上前に建築された貴族の邸宅を改造して築かれた建物であり、一族から国へと移譲されただけあって外見は立派であった。場所は知っていたものの、実際に訪ねるのは初めてのことである。

 グラン家を出たフェルナンは、後続の見張りを感じながらもまっすぐに研究所へと向かった。


 こちらにもルイスが手を回していたようで、フェルナンの身分をどう言ったのかは知らないがすんなりと入場が認められる。持つべきものは気の利く腹違いの弟だな、と思いながらもフェルナンは案内人に従い、長い廊下を進んで行った。


 部屋数が二百近くあるというこの研究所において、瘴気研究部門は研究所の奥の奥の、さらにその奥の小部屋に位置していた。部屋の扉の前に到着すると案内人は去っていく。ここから先は一人で行けということらしい。


 扉を叩くと、途端に中からドタドタと音がした。直後、扉が開かれるが中から崩れた本が数冊廊下へと滑り出た。と思った矢先に両腕を掴まれる。ぎょっとして目の前を確かめるとボサボサ頭の痩せ型の男が満面の笑みでフェルナンの腕を掴んでいた。


「呪われ公爵のフェルナン・グリフォン! 待っていたよ、どうぞ中へ入ってくれ!」

 

 男の勢いに気圧されるまま、フェルナンは部屋の中へと引きずり込まれた。

 中は雑然としていた。机と椅子が一つずつあり、その周囲を大量の本が囲っている。実験器具のような魔道具がいくつも散らばっていて足の踏み場もないほどだ。


 フェルナンから手を放すと、男は目を細めて言った。


「私の名はノア・ルターヴ。瘴気研究部門のたった一人の研究員だ」


 なるほどいかにも研究者という出で立ちであった。よれよれの服はしばらく取り替えていないようにも見えた。フェルナンのあだ名を知っていてもなお恐れない姿は平素であれば好感を持つところではあるが、彼の勢いに圧倒されてしまう。

 だがフェルナンが何よりも気になったのは彼の言い回しである。


「たった一人?」


 ああ、とノアは投げやりに言う。


「国は瘴気研究に予算を割いてはくれないからな。瘴気は聖女の聖なる祈りによってのみ解消されるものだから、研究者が瘴気の謎を解いてはまずいのさ」


 なるほどたしかに分からない話ではなかった。聖女オフィーリアが現れてから、グラン家はその地位を確固たるものにした。

 瘴気は聖女の祈りによってのみ消滅する。それを科学的に解き明かしてしまったら、聖女の価値はさほどではなくなる。


(オフィーリアは自由にはなれるかもしれないが、グラン家はそれを許さないだろう)


 実質的に国の実権を握っている現当主など、当然よしとはしないだろう。


「国民の手前、一応はこうして研究員を置いているのさ。といっても名ばかり研究員のつもりは私にはない。なんとしてもこの瘴気を終わらせるつもりだよ。陛下から概ねの話は聞いている。あのアドリアンナ・オルエンヌが私に手紙を寄越したようじゃないか」

 

 ノア・ルターヴは一方的にそう言うと、フェルナンに向かって手を差し出した。


「あの、とはどのアドリアンナだ?」


 そう言いながらフェルナンは手紙を取り出しノアに渡した。途端、彼は眉を顰める。


「なんだねこれは。鈍器かい?」


 手紙というにはあまりにも分厚いそれを受け取り、ノアは椅子に腰掛けると目を通し始めた。


「なるほど二つ目の論文というわけか。君も読んだかい? 内容くらいは知っているのかな」


 ノアが顔を上げこちらに目を遣ったため、フェルナンは首を横に振った。ノアの口元に物珍しいものを見たかのような微かな笑みが浮かんだ。


「妻が書いた論文の中身も知らないのかい?」


「彼女が論文を書いていたことさえ今知ったくらいだ」


「はは、呪われ公爵は他人に興味がないタイプか」


 半分は図星である。

 周囲に疎まれてからフェルナンはその周囲への関心を失ったふりをしていた。捨てられたのではなく捨てたのだと、自分自身に言い聞かせるために。

 アドリアンナに対しても彼女の個人的な事情に踏み込まないようにしていた。だからこの王都で、彼女の知らぬ一面ばかり知る。

 フェルナンの感傷などまるで興味がないかのように、ノアは手元の手紙を恐るべき速さでめくっていく。めくりながらもフェルナンに話しかけてきた。


「あれは実に見事な出来だった。仮定の話が多いから学会に出すには至らないけどね、私の考えと概ね一致している。あまりに見事で、数人にその話をしたくらいだ。最終的には陛下にもその話が回ったようだよ。ふむ――」


 彼女が数日かけて書いた手紙を数分で読み切ってしまったらしい彼は、腕を組み、考え込むように天井を見上げた。


「彼女にこの話を聞いた?」


「いや」


「ではこれを読むのは私が初めてということか。なんとも光栄なことだな」


「なんて書いてあるんだ?」


 フェルナンからしたら軽い疑問のつもりだった。

 だがノアは長い間黙り込んでしまった。彼は椅子に座ったまま腕を組み、視線は天を睨みつけていた。

 やがて彼はゆっくりと言った。


「……アドリアンナ・オルエンヌの身の上話を知っているかい」


 突然の話題の転換だった。


「母親を失い、養母と義妹と暮らしていたということは知っている」


 先程得たばかりの知識だが答えると、ノアは小さく頷いた。


「アドリアンナはヴァロン災害の生き残りの少女だ。以前の論文を送ってきた時は気づかなかったが、聞き覚えのある名に思えて、調べたらそうだった。彼女が母を亡くしたのはその震災だよ。彼女を守るように覆いかぶさりながら死んだらしい。

 だが実際、彼女は耐性持ちだから、彼女の母がやったことは全くの無駄だったということだ。命を懸けて守る必要はなく、自分だけでも逃げるべきだった。結果論だがね――母の愛は偉大で健気で愚かで、私には理解不能だ。私だったら周囲を気にせず一目散に逃げるだろうから」


 ヴァロン災害――当然知っている。この国の避暑地である都市ヴァロンが八年前に瘴気に襲われた天災だ。フェルナンと婚約した娘が巻き込まれ死亡した災害でもあった。

 フェルナンは、その話をした時のアドリアンナの態度を思い出した。あの時は自分を憐れんでばかりで、おまけに扉一枚隔てていたから、アドリアンナの正確な様子は分からないが、彼女は小さな悲鳴を上げていたように思う。

 

 フェルナンは腑に落ちた気がした。


(だから彼女はあれほど熱心に瘴気の研究をしていたのか。母親を失ったから、その不幸を繰り返さないために) 

 

 ノアは短く唸った。


「私が彼女に会いたいと手紙を出した途端、彼女の父親は彼女をどこかへやってしまった。惜しい才能を一つの家に閉じ込めるなんてありえないことだ。だからこうして諦めずに再び手紙を書いてくれたことを嬉しく思うよ」


「彼女の父親は、彼女が研究をすることに反対だったのか?」


「だろうな」


 フェルナンの中に疑問が沸いた。

 アドリアンナは何よりも瘴気の研究を優先させているように見える。なら父親の反対を押し切ってでもそれをするべきだったのではないのか? あんな辺境の地に、あれほど怯えながら来る必要はなかった。

 それは怒りにも似た感情だ。言葉未満の怒りが、靄のように胸の中に渦巻いた。吐き捨てるようにフェルナンは言った。


「馬鹿げている。十八にもなれば家を出ることだってできるだろう。なぜそうしない?」


「人は地獄にも慣れるものだ。君だってそうじゃないのか? 辺境の城の居心地はそれほどよいのかい」


 ノアの言葉にフェルナンの怒りは水を打ったような静寂に変わる。彼の瞳はすべてを知る賢者のように思えた。思いがけずフェルナンは動揺した。


(俺は現状に満足している)


 そのはずだ。それ以上は望まない。望んではいけないのだ。


「私も貴族ではあるからね、君と聖女の話は知っている。まあ、君等の心情は正直言ってどうでも良いことだ。結果的に彼女は君の領地へ行き、気付きを得ることができたのだから、あらゆることは無駄ではないのさ。大切なことは、彼女が書いて寄越した内容だ」


 ようやく投げかけた疑問の答えが出るようだが、フェルナンの心には未だにさざ波が立っていた。だがノアは待ってはくれず、さらなる衝撃をぶつけてきた。

 

「瘴気が人為的に作り出されたものだということだよ」


 一瞬、理解ができなかった。


「まさか」


 ようやくフェルナンは一言だけ発する。


「ありえない。貴方は狂った科学者だ」


 口の端を無理やり引きつらせて笑みを作るが、上手く行ったかどうかは分からなかった。


「いいやあり得る。それに私はこの世界の誰よりもまともだ」


 血の気が引くと同時に渦巻いた怒りが形を変えて噴出した。フェルナンはノアの胸ぐらを掴み怒鳴りつけた。 


「ふざけるのも大概にしろ! あんたは聖女を侮辱している! 瘴気はオフィーリアが自身を犠牲にして祈りを捧げて抑えているものだ――!」


 オフィーリアが、彼女がどれほどの犠牲を強いられて聖女としての役割に徹しているのか、彼は知らない。だからこそこのような侮蔑を平気で言えるのだ。

 だがノアはどこまでも冷静だった。


「異端児の呪われ公爵も大衆と同じことを言うんだな」


 彼は冷たくフェルナンを見つめている。それは呪われ公爵に対して周囲が向ける恐れの視線とは異なっていた。フェルナン自身に失望し、呆れているような視線だった。

 ノアはフェルナンが掴む手に自身の手を重ねゆっくりと外すと幼子に言い聞かせるかのように言った。


「いいかい、彼女が言うには、実に単純な仕組みだ。

 まず最初に魔導石の一種の伝導石がある。黒紫色をした石だよ、君の領地の沼の底に沈んでいるものを見たんだろう? あれはあらゆる魔力に結びつき、力を伝える性質を持つ優れたものだ。武器や船、列車にも使われているのは知っているだろう? 加工しやすい一方で脆く崩れやすく簡単に砕ける。それが水に溶け、周囲を山に囲まれた君の土地で霧になった。それが瘴気の素だ」


 フェルナンは領地を覆う霧を思い出した。あれはほとんど毎日現れるが、よく晴れた日には消えている。それは水を主成分とする単なる霧であるからだということだったのか。

 だがまさか、それを誰かが生じさせているとは思えなかった。フェルナンがあの城に暮らす前からその霧はあったし、領地に他の人間がいるとも思えなかった。


「聞くに自然発生的なものに思える。どこが人為的なんだ?」


「まあ待て。重要なのはこの先だ」


 ノアの理知的な瞳はまっすぐにフェルナンを射抜いていた。まるでフェルナンが聞き分けのよい子供かどうか見定めているかのように思え、居心地は大層悪かった。


「単に伝導石の成分を含んだ霧というだけでは毒性はない。せいぜい命の抜けた死体から魔力を吸収する程度のことだろう。実際に君の領地でも動物の死骸は一晩で消え去るようじゃないか? 生気のある者からは奪えない。生命力の方が霧より強いからだ。だがね、ここに別の魔術を含ませるとどうなると思う? 例えば毒の魔術だ。闇に属するものだね。これが伝導石を含んだ霧の性質を強め、生者にさえ影響を及ぼすようになったとしたら?」


 悪趣味な笑みをノアは浮かべ、フェルナンが反応する前に自ら答えた。


「伝導石を含んだ霧は魔術を簡単に含み、その毒を周囲に恐るべき速さで拡散する。魔力というのは流動的だ。高いところから低いところへ流れ落ちる。ヴァロンのような山の地形は瘴気の災害を大規模にするには丁度良かったのだろうね。――さあ、これで瘴気の出来上がりだ」


 ぽん、とノアは両手を叩いた。まるで菓子を作った時のような軽快さだった。


「誰かが闇の魔術を霧に含ませたと言いたいのか」


「私ではなくアドリアンナがそう言っている。私も同じ考えではあるがね。耐性があるのは、霧に含まれる魔力と同様の闇の魔力の要素を持つ者か、あるいはその真逆、光の魔力の要素を持つ者、ということになる」


「誰が――誰がそんなことを」


 ノアは薄く笑った。


「私の前任者は三人いて、皆、若くして事故で亡くなっている。真実に近づきすぎると危ういということだ」


「何者かを突き止めてはいけないと言いたいのか」


「あるいは人を簡単に事故で葬りされるほどの権力者であると言いたいのかもしれんよ」


 足元がふらつくほどの衝撃だった。そんな者――あるいは一族は、ひとつしか思いつかない。

 怒る気力はもうなかった。代わりに、確信したことがあった。


「あんた――それを俺にわざと聞かせたな」


「誰だって力の及ばないところはある。慎重にならなくてはならないが、剣は多いほうがいい。君はどう思う?」


「……確証はない」


 やっとの思いでそう答えると、ノアは口元を緩めた。


「そうだな。確証はない」


 それから一切の話は無かったかのように明るい笑顔を浮かべて立ち上がった。


「私のすることは、確証を得ることだ。君も君のすべきことをしたまえ」


「俺のすべきこととはなんだ?」


 フェルナンの問いに、ノアは声を上げて笑った。


「そんなことは自分で考えたまえよ! 何を大切にするかによって行動は変わってくるとは思うがね。だが陛下は君に多大なる信頼を寄せているようだ。その信頼に報いることをしたらいいのではないのかい?」


 ノアはにこやかに尋ねる。

 

「さて、この後はどうするんだ? 大聖堂で聖女に会うようなら陛下にお伝えするようにと言われているんだが」


 だがフェルナンは立ち尽くしていた。

 この一日、たった一日で知ったことが多すぎる。世界がまるで変わってしまったように感じる。

 頭の中に疑問が浮かんでは消えていく。自分はどうすべきか、考えがまるでまとまらなかった。




中々時間が取れず久しぶりの更新になってしまい申し訳ありません。体感ですが、この話は現在半分から三分の二ほど進んでいるところです!

これからも不定期の更新にはなりますがお付き合いいただけたら嬉しいです!

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― 新着の感想 ―
目次だけでひとつの会話劇が繰り広げられているようで、なんとも粋で素敵ですね…! 2人が惹かれ合っているのが伝わってきます。 続きを楽しみにしています(本編も目次も)
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