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君のことも知らなかったし

 グラン家は邸宅の庭をパーティの会場にしているらしく、通りにいる時からすでに、賑わいが漏れ聞こえてきていた。

 フェルナンの乗る馬車の後ろには見張りが付いてきている。予定外の行動を取らないように監視しているらしかった。


 フェルナンが門へと向かうと、すぐに男が現れた。中年の恰幅の良い男であり、顔は互いに知っている。グラン家の跡取りになる男であった。既にルイスから話は通っているらしく、フェルナンを見ると薄く笑う。


「誰かと思えば去勢された犬じゃないか。爪と牙を折られ首輪まで付けられた王家の忠犬が、我が家になんの用だ?」

 

 呪い殺すぞクソ野郎。そう口から出かけた言葉を飲み込み、フェルナンは言った。


「親族に挨拶をしに。貴方がたが寄越した妻は大変素晴らしい人なので」


 半分はカマをかけた言葉だった。グラン家がアドリアンナを指名して送り込んできたと完全に信じているわけでもないが、どういう反応を示すか見ておきたかった。跡取り男は鋭い眼光でフェルナンを睨みつける。


「下手な真似をしたら殺す」


 やはりアドリアンナは、グラン家の者が指名したのだろうか。


(彼女にいかなる価値がある? 俺のところに送り込んだ意味はなんだ)


 彼女は良い人だと思う。打ち解けかけてはいる。だがそれだけだ。彼女自身に企みや別の思惑があるようには思えなかった。


 もやつく頭を抱えながら、フェルナンは庭へと入る。

 グラン家の多くの者は能力の高い魔術師である。ルイスが言った通り、多くは希少とされる闇の魔力の加護を受けている。流石のフェルナンも袋叩きに合えば死ぬだろう。跡取り男に言われなくても下手な真似をするつもりはかなった。


 庭には薔薇が咲き誇り、むせかえるような甘い匂いがした。

 晴れた日差しの下、人々の笑い声が庭に充満する。

 こういう場に来るのは、随分と久しぶりに思う。王城に呼び出された時はたいていの場合城と大聖堂にしか行かなかったし行く気にもなれなかった。もっとも浮浪者じみた格好をしていた自分をルイスがどこかに差し向けるはずもない。

 ルイスがこのパーティへの出席を勧めたのも、フェルナンの見た目が大いにましになったということだろう。


 誰もフェルナンの正体を知らない。新しくやってきたこちらに向かい、にこやかな笑みを浮かべる紳士淑女は皆、同じに見える。誰がアドリアンナの妹だろうかと周囲を見渡していると、背後から男の声がした。


「フェルナン?」


 よもやこんな場で、名前を呼ばれるとは思ってもいなかった。


 振り返った先にいた明るい笑みを浮かべた青年を、束の間凝視した。見たことがある、ような気がする。巻いた赤毛が陽の光に当たり周囲までも照らしていた。

 このタレ目がちな目を知っている。それが誰か分かった瞬間。フェルナンの胸の内に懐かしさが広がった。

 

「ロラン……? ロラン・アルギャンか!」


 彼の名を正確に呼ぶと、ますます笑みが広がり、終いには彼はフェルナンを力強く抱きしめた。


「そうだ! まさかこんなところに君がいるなんて! 随分探したんだぜ、今までどこにいた?」 


 年は確か二つ下、貴族の次男に生まれたロラン・アルギャンというのが、この青年の名前だった。

 体を話した後でロランは言う。


「本当に驚いた。体の方は大丈夫なのか? もう何年も療養していると聞いていたが。とうの昔に死んだという話も聞いた。手紙を書いたが宛先不明で戻るばかりで――。ずっと気にかけていたんだぞ、本当にどこにいたんだ?」


 噂というのはくだらない。尾ひれが勝手について、本人さえ知らない物語ができあがるのだから。

 

「あいにく元気さ。最近結婚してね。妻の妹が出席しているというので挨拶に来たんだ」


 ロランは人懐っこい笑みを浮かべたまま、ますます嬉しそう言った。


「そうだったのか! 結婚おめでとう。気難しい君の妻が務まるなんて、どこの誰が相手だ?」


 憎まれ口さえ懐かしく思う。

 まだフェルナンが王都で生活をしていた頃に得た友人の一人であった。だがフェルナンが妻の名を答えようとした時、別の若い男がやってきた。


「お前の連れと踊りたい令嬢が多いようだ。紹介してくれないか」


 口ぶりからしてロランの知り合いのようだ。赤毛の長髪を後ろに束ね、フェルナンを興味深げに見つめている。ロランに雰囲気は似ているが、おおらかな彼に比べ神経質そうな印象を受けた。

 気づけば周囲の視線もこちらに集まってきていた。目立つ新参者に対し、彼がいち早く声をかけたらしかった。


 ロランは朗らかに言う。


「フェルナン、こちらは俺の兄さんのギフォード・アルギャンだ。近々結婚する予定の幸せ者」


 見ると彼のすぐ背後に、一人の娘がいることに気がついた。柔らかそうな金色の髪を編み込み、フェルナンを見て微笑んでいる。完全に訓練された笑みだな、とフェルナンは思った。

 ロランは続ける。


「こちらは友人のフェルナン・ラヴェルだ。年は兄さんと同じ」


 ラヴェル、というのは祖父の姓だった。ロランとは祖父の家に身を寄せている時に出会ったのだ。彼はまだフェルナンがそれを名乗っていると思っているらしい。


「フェルナン・ラヴェル――? 聞いたことがあるな」


「俺の学生時代の友人だから、話したこともあったかもしれないな。もっとも彼は半年で学校を辞め消息を経ってしまったけどね。おかげで俺は、結局彼に勝てずじまいだった」


「俺の方が年上だったから。同じ年だったら君の方が遥かに出来が良かったはずだ」


 祖父の命令で通っていた学校にさして学びはなく、彼の死後にすぐに辞めたが、ロランのような者に出会えたというのは確かに一つの財産ではある。

 

「ねえ、ギフォード様。わたしのことも紹介してくださらない?」


 ギフォードと紹介を受けた男の背後にいた娘が、甘えた声色で歌うようにそう言った。ああ、とギフォードは彼女を見つめて微笑んだ。


「こちらは私の婚約者のジュリエッタ・オルエンヌ」


 ――オルエンヌ。


(ではこれがアドリアンナの妹か?)


 あまり似ていない。アドリアンナは背が高く痩せていて黒い艶やかな髪を持っていたが、ジュリエッタというこの娘は背が低く金色の柔らかそうな髪を持ち、そうして姉よりもずっと明るい表情をしていた。

 姉が呪われ公爵に嫁いだというのに、随分な浮かれようだ、とフェルナンは思った。あるいは暗い心を表に出すほど愚かではないということか。


 フェルナンが凝視していると、ジュリエッタははにかみ頬を染めた。


「君、姉がいないか? アドリアンナという名だ」


 途端にジュリエッタの表情が曇る。


「ええ――おりますわ。でも……」


 と言った瞬間、ギフォードが遮った。


「その話はよしてくれないか。彼女の姉は彼女を嫌っているんだ。窓から突き落としひどい怪我を負わせたこともあるほどには恨み、嫉妬している。ジュリエッタは心に傷を追っている。だからこの話はしたくない」


 まるで姫を守る護衛騎士のように、実際にギフォードはジュリエッタの肩を抱き、一歩フェルナンから遠ざけた。ジュリエッタは目に薄く涙を浮かべ首を横に振る。


「いいえ! いいんです。わたしが悪かったのですわ。お姉様の気に障ることを言ってしまったに違いありません。それに事故の前後の記憶があやふやで、本当にお姉様だったのか分かりませんし」


 いかにも儚く気が弱い娘のようだが、そんな人間を腐るほど見てきたフェルナンにとってはやや芝居がかった白けたものに感じた。


「だが状況はどう考えても彼女の仕業だ。あの場には君と彼女以外誰もいなかったのだから。だが手遅れになる前に気づいてよかった。同じ家で暮らすのも、さぞ怖かっただろうね。俺と君の仲に、彼女が勝手に嫉妬したんだ。俺がもっと早く気づいていたら、自分の気持ちに素直になってあんな事故を起こさせる前に彼女を遠ざけたのに」


「それでもあんな風に罰を与える必要はなかったのですわ」


「あんな風な罰って?」


 二人の会話にフェルナンは割って入る。ジュリエッタは答えた。


「呪われ公爵様に嫁いだことです」


 フェルナンは半眼になり、「ああ、なるほど」と呟いた。

 なるほど、俺のところに来たのが罰ということだったのか。


「できることなら、わたしが代わって差し上げたかった。でも、お父様に止められてしまって――お父様はわたしにお側にいてほしいとおっしゃるから。それでお姉様が……」


 話が繋がってきたように思う。

 ギフォードとの仲に嫉妬したアドリアンナがジュリエッタを窓から突き落とし、その罰として呪われ公爵に嫁がされた――真実はどうであれ、彼等の中ではそんな物語が出来上がっているようだ。

 ふ、とフェルナンは知らずのうちに笑っていた。


(くだらない)とそう思った。


「ギフォード、君はもしかするともとはアドリアンナと婚約していたのでは?」


 ギフォードは敵意すら感じられる視線をフェルナンに向けた。


「そうだが、彼女があんな女だと知る前の話だ」


 ジュリエッタはまだ涙を浮かべる。


「お姉様は本当は優しい人なんです。わたしはそれを知っているのに、どうしても怖くて……」


「仕方がないさ、誰だって怖いよ」


「でも、わたしが我慢さえしていればお姉様はあんなところに行かなくて済んだのに――」


 傍らにいるロランは困り果てた表情をしてことの成り行きを見守っている。ふん、とフェルナンは息を吐いた。


「嫌な女だな、あんた」

 

 一瞬、空気が固まった。フェルナンが誰に対して言葉を放ったのか、皆、わからなかったのだ。言われた本人以外には。

 は、とジュリエッタが息を吸い込んだ気配がした。彼女の目は見開かれ、一切の表情は抜け落ち、ただフェルナンを凝視する。そこにもはや涙は浮かんでいなかった。

 これが本性か、とフェルナンは思った。彼女の態度には初対面の男に失礼を働かれたという以上のものが表れている。


「姉から奪った恋人の具合はどうだ? 俺としては俺のところに来たのが君でなくアドリアンナで本当に良かったと思ったところだ」

 

 見かねたロランが口を挟む。


「おいフェルナン、何を言っているんだよ。なんのことを――」


「ロラン、君は勘違いをしている。俺はラヴェルではない。今は別の名を名乗っている」


 今やフェルナンは自分を隠す気はなかった。この場でグラン家の者に袋叩きに合おうが構わない。ここで引き下がったらそれこそ恥というものだ。


「俺はフェルナン・グリフォンだ。巷では呪われ公爵と呼ばれている」


 ジュリエッタとギフォードだけではない。側で聞き耳を立てていた者達全員が、水を打ったような静寂に包まれた。しん、という音だけが耳が痛いほど響く。

 フェルナンは止まらなかった。未だフェルナンを見つめるジュリエッタに向けて微笑む。


「今日は王からの勧めで参加してね、妻の妹がどのような人物かを見に来た。君という人がよく分かったよ。ルイス陛下に今日のパーティがとても楽しい会であったと報告しておこう」


 数人が振り返りこちらを見ているが構わなかった。

 

「ジュリエッタ、君は見たところ、まずまず魔法を使えるようだな。アドリアンナは細腕でね。魔法も使うことができない非力な人だ」


 それから唖然とするギフォードに顔を向ける。


「本質を見抜く力はないようだなギフォード。アドリアンナが魔法を使える人間を窓から突き落とすことができるのか、もう一度よく検証してみたらいいんじゃないか? おのずと嘘つきが見つかるだろう。

 ……では俺はこれで失礼するよ。我が最愛の妻に頼まれて、行くところがあるからな。君達はどうぞ、続けたまえ」


 捨て台詞のようにそう吐き捨てると、実際にその場を後にした。

 ダンスの曲が一曲終わらないうちに立ち去る。それで構わない。彼等には反吐が出る。

 とりわけアドリアンナがギフォードと恋人同士であったことを考えると、無性に腹が立った。あんな男に、彼女の何がわかるというんだ。あんな男のために、彼女はあれほど悲しげな顔をしなくてはならない?


 人々がフェルナンに近づくのを恐れるように左右に割れる。その間を悠々と進んでいった。


 だが馬車に乗り込む手前で、息を切らしたロランが追いついてきた。


「待て! 待ってくれ! フェルナン!」


 フェルナンも足を止める。ロランは縋るような目つきを向けてきた。


「さっきの話は本当か? 君がグリフォンを名乗り、アドリアンナ嬢を妻に迎えたという話だ」


「ああ、本当のことだ」


「そうか……そうだったのか」


 ロランは項垂れ、落胆しているようにも見えた。だが次に顔を上げた時、彼の顔には淋しげな笑みが浮かんでいた。


「昔は快活で明るい少女だった。踊ることが好きで、本も好きで、面倒見もよくて。好奇心があって、物怖じしない性格だったから、小さな冒険をよく一緒にしたんだ。俺の知らないことをたくさん知っていて、誰からも好かれる完璧な少女だった。兄だって、そんな彼女と婚約していることをいつも誇らしそうにしていた。幸せだったはずなんだ」


 ギフォードとアドリアンナが婚約者であったのなら、当然ロランと彼女も知り合いのはずだ。知らない彼女の姿を聞くのは奇妙な感じだ。

 フェルナンはロランの言葉の行き着く先を待った。


「臆することなく言うのなら、彼女の母が死に、義母と義妹が家に来てからかつての彼女は失われてしまったように思う。義母が彼女に何かをしているのではないかと思っていたが、証拠を掴めないまま彼女は追い出されてしまった。彼女が受け継ぐはずだった財産はジュリエッタ嬢のものになる。きな臭い話ではあるが、俺の立場ではそれ以上深追いはできなかった」


 ロランの胸には王都守護騎士の記章が付けられていた。階級は部隊長である。ロランは瞳を揺らした。

 

「どうか彼女を大切にしてやってほしい。幸せにしてやってくれないか」


「なぜ君がそこまで言う?」


「彼女とは 友人で――いや。隠さずに言うよ。そうではなく、彼女は俺の初恋だった」


 彼もまた、ままならない想いを抱えた一人ということらしい。


「分かった。俺のできる限りのことはしよう」


 フェルナンは頷き、こう付け足した。


「快活で明るい女性なら、今も時折顔を出す。彼女は変わってはいないのかもしれない。表にあまり出てこれないだけで。彼女から何もかも奪おうとした連中も、その芯だけは奪えなかったようだ」


「そうか。良かった……」


 ロランは安堵の息を漏らす。


「なあフェルナン。信じてなどいないだろう? 彼女がジュリエッタを突き落としたなどと」


「信じてないさ」


 フェルナンは即答した。

 彼女の人となり短い付き合いながらよく分かる。

 彼女はくだらん争いに巻き込まれて負けたのだろう。あるいは戦うことすらできなかったのかもしれない。


「皆が彼女を悪く言う。心から信じていなくても、彼女を悪者にすることが世間の波に飲まれずに上手く生きる方法だからだ――。生贄さ。俺は彼女が哀れでならない」


 暗い表情でロランは言った。


(哀れか)


 フェルナンは脳裏にアドリアンナの佇まいを思い浮かべた。

 物憂げで悲しげで、一人を好んでいた。幸せを奪われ、辺境の地に追いやられた哀れな娘だ。

 

(そうだろうな)


 フェルナンはロランに向き直り、彼を真正面から見据えた。情に満ちた青年だ。


「君のような人がいるというのは救われる。彼女に伝えておくよ」


 ロランはふと、救われたような顔になると力強く言った。

  

「何かあれば言ってくれ。力になるから」

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