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俺は世間というものをよく知ろうとしていなかった

 フェルナンは予定通り城からまずは王国支配地の街へ行き、そこの兵に自分が王都へ向かっているということを告げ、兵がそれを王都へ伝えるのを一時間ほど待ち、また別の街へ行き、同じことを繰り返した。何度かそうした後に、ようやく王都へ向かう許可が降りる。

 煩雑で面倒な手順であるが、辺境へ追いやられた際に付された罪状によりこれ以外の手順を取れば即座に反逆者とみなされることになっていた。

 自分の能力があれば、文字通り一瞬のうちに居城から王都へ向かうことができるが、こうして儀式めいた手順を守っているのは自分が国へ忠実であるということを示すためでもある。代わりに帰路は早かった。以前王都と居城を結ぶ魔術を作ったため、それを利用すれば瞬時に戻ることができる。移動魔術で道を作れば、誰もがそのルートを辿ることができる。戦場での物品移動や国境周辺の移動の場合、魔術で作った道には封印がなされ特定の者しか利用できないようにするが、王都と居城を結ぶ道筋はフェルナン以外使うこともないため、封印もせずに放置していた。


 フェルナンを呼び出したのは、この国の王だ。

 城の地下に作られた魔法陣に移動したフェルナンは、まっすぐに玉座の間へと向かう。


 敵対は望まなかった。飼いならされることを望んでいた。そうしていれば暮らしは守られる。従順であれば、時折オフィーリアを遠目から見ることも許された。孤独なフェルナンにとって、それだけが生きる意味であった。彼女に固執していることを自覚してもなお、それ以外に意味を見出すことはできなかった。

 

 王はいた。フェルナンより八つ年下の十三歳の少年王は、名をルイスという。王という立場を除けば、フェルナンの腹違いの弟だった。実の父が正妻との間に設けた待望の王子は、父の死とともに王になった。

 母親譲りの栗色の巻き毛は窓から入る陽光を受け麦の穂のように輝き、父親譲りのフェルナンと同様の緑色の瞳を煌めかせ破顔する。


「兄上! よくぞお越しくださいました」


 途端、ルイスの周りを囲む男たちが顔をしかめる。皆、国中枢にいる将軍や大臣達だった。にわかに場に走る緊張を感じながら、フェルナンは声を抑えて言った。


「私を兄と呼ばない方がよろしいかと存じますが」


 冷徹とも取れるほどのセリフであったが、王の臣下を納得させるにはこのくらいでも足りないだろう。だがルイスは周囲をまるで意に介さずとでも言うようにますます笑顔になる。


「ですが兄上は兄上ですから、私はそうお呼びしたいのです。ご結婚されたと聞きました。おめでとうございます」


 微笑みで返す。この場で彼女との微妙な暮らしについて言及する気はなかった。と、ルイスの真隣にいた老いた男が声を下げて彼に耳打ちする。


「陛下、本題を私からお話してもよろしいでしょうか?」


 それは聖女を輩出したグラン家の現当主であった。フェルナンの記憶が正しければ、数年前も今もなお、元老院議長だったはずだ。まだ若いルイスの政治の相談相手であり、実質的には彼の意見で一切が決まっている。

 彼は言う。

 フェルナンに、現在攻略中の国へと赴き、補給路を断てと。具体的には山間を抜ける橋の破壊と、兵と弾薬を積み込んだ列車の爆破である。


 あいも変わらず戦争だ、とフェルナンは思った。皆、戦争が好きだな。俺はそれほど好きではないが、生活をつつがなく過ごすためには必要なことだとは納得している。その先にある思惑だとか、悲劇だとかは、考えないようにしていた。

 

(これだけのためにこいつらは俺を城から呼び出す。俺とこいつら、どちらが主で従かを折りに触れ知らしめるためだ)


 だがフェルナンもまた、己の暮らしを守るためなら指先一つで命じられる現状にも二つ返事で従う。


 元老院議長による短い命令が済んだ後、ルイスが立ち上がった。張り詰めた空気の中で、少年王だけはにこやかにフェルナンに笑いかける。


「兄上、少し散歩でもしませんか。今は城の池に浮かぶ花が満開ですからご案内します」


 まさか断るなどしなかった。



 ルイスとフェルナンが連れ立って庭を歩く中、護衛達は少し離れて付いてくる。フェルナンのことを呪われ公爵だと知っている者もいて、何かあれば即座に殺しにかかってくるのだろう。

 落ち着かない思いを抱えつつ、フェルナンは言った。


「俺といると呪われますよ」


 冗談を言ったつもりはなかったが、ルイスはフェルナンを見上げて、はは、と笑った。


「兄上に殺されるなら本望です。僕の尊敬する人ですから」


 ルイスは虚弱児として生まれた。そのせいか、十三になった今でも背が低い。自然、フェルナンは彼を見下ろすことになる。


「幼い頃から幾度となくこうしてお会いしておりますから、今更呪いも僕を殺すなんて思わないでしょう」


 まるで呪いに意思があるかのようにルイスは言う。

 周囲に大臣どもがいないせいだろうか、ルイスは砕けた口調になっていた。


「前にお会いした時と随分と様子が異なるので驚きました。半年前に会った時、兄上は髭面でげっそりしていたし顔色も悪かったですから。奥さんの影響ですか?」


「まあ、そうかもしれません」


 大いにそうだ。自分の他に人がいるという生活では、身なりにも気を配るようになっていたし、外に出るようになったお陰で顔色も随分と良くなった。アドリアンナが早起きのため、彼女が一人で森に行かないか心配で、自然と朝も早くなった。


「暮らしに変わりはありませんか? 先日の注文の品もきちんと届きましたか?」


「ええ、ささやかながら晩餐会を開くことができましたよ」


 楽しげにフェルナンの返答を聞いていたルイスだが、ふと憂いたように目を細めた。


「心苦しく思います。貴方にこのような暮らしを強いていることを。たまに会うのは戦地へ行けという命令の時だけだなんて。今回も、実は僕は貴方に依頼するのは反対だったんですよ。たった一人に戦況を左右させるような戦闘を任せるべきではないと僕は思うのです。だけど」


 ルイスは飄々とした少年だった。他の王族と異なり自分を偽ることをあまりしない。感情は常に表情に表れるが、それが彼の魅力を作っていた。


「実際、僕に権力はありません。発言力もありません。実質的な我が国の支配者は祖父ですよ。庭にどんな花を植えるかさえ僕に決定権はない。結局、貴方はまたこうやって利用されてしまう」


 祖父――それは先ほどもいたグラン家の当主だ。ルイスの母親はグラン家の娘であった。


「お役に立てるのなら本望ですよ。俺もそれを望んでいます」


 型通りの返答にルイスは顔を顰めた。


「祖父はまるで、貴方を武器の一つのように考えている。ありえない。貴方は武器ではなく僕の兄なのに。

 本当はいち早く彼の庇護を出たいと考えていますが、それを公に口にすることはできません。父のように病に伏したくはありませんから。僕の幸いは母がグラン家の血筋だったというたった一点です。傀儡としては都合がいいのでしょうね」


 ぎょっとしてフェルナンは護衛達の様子を窺った。聞こえていないのか聞こえていないふりをしているのか、男たちに変わった様子はなく距離を置いて付いてくる。

 ルイスは先代の王の死が、グラン家によるものであると断言したに等しい。


「グラン家は闇の魔力の祝福を受けた者が家系に多い。僕もほんの少し使えますが、魔術の才能はないに等しい。もしなにかあったら抵抗はできない。僕はとても孤独です。兄上がお側にいてくださったらいいのに――」


 ルイスの言葉の真実を測りかねてフェルナンは答えに窮した。

 半年前に会った時、ルイスはこのようなことは言わなかった。彼は急速に大人になっているようだ。叶うことなら彼を支えてやりたいが、辺境の地に閉じ込められている自分が王都にいれるはずもない。加えて側にいると呪われると噂のある自分が王に近い場所にいることをよく思わない者は多いだろう。


 フェルナンの答えを待たずに、ルイスは再び表情を和らげ、話題を変えるように微笑んだ。


「アドリアンナ・オルエンヌとはどのような方ですか? オルエンヌ家の他の方はお会いしたことがあるのですが、彼女のことは直接知らないのです。グラン家の遠縁に当たる方だそうですね」


 これにはフェルナンも驚いた。


「――グラン家の? それは知りませんでした」


 アドリアンナはそんなことを言わなかった。もっとも、自分のことを語るのが得意ではないようには思えたし、ほとんど彼女のことを知らないと言えばそうだ。

 フェルナンの反応にルイスは声を出して笑った。


「兄上は貴族の権力図に疎いですからね」


 グラン家の遠縁の者が自分のところに来た。これはどのような意味を持つ? よりにもよってあのグラン家がなんの思惑もなく親族を交渉のカードとして切るとは思えなかった。だが考えすぎだろうか。この世の全ての事象にグラン家が関わっているわけでもあるまいし。


「彼女は――頭が良く博識で、一緒にいて楽しい人ですよ」


 フェルナンは差し障りのないことを言った。本心ではあった。


「兄上が誰かをそうやって褒めるのは珍しいですね。僕が貴方に妻を送り込まれたと知ったのはほんの先週のことだったんです。実の兄のことさえ、僕には何も知らされないなんて本当に嫌になりますよ。聖女がアドリアンナ嬢を兄上の妻にするように命じたそうですね」


「オフィーリアが?」


 再びの驚愕だった。グラン家ではなく、あのオフィーリアがアドリアンナを寄越したのか? なぜ――。


「ご存知無かったのですか」


「ええ――」


 フェルナンの心はかき乱されたが、それをルイスの前で出さないようになんとか平静を保った。だが混乱は続いていた。

 フェルナンとオフィーリアは、十代の頃、互いを必要として確かに愛し合っていた。叶わない想いだと結局は諦めたものの、今でも心の中に相手がいると、そう思っていた。よりにもよってそのオフィーリアが、別の妻を送り込んできたなど。

 暗にもう自分のことは忘れてくれとそう言っているのか? ――そうなのかもしれない。あれからもう数年も経っている。思い出としていつまでも縋っているのは自分だけか……。


 フェルナンの思考はルイスの声で引き戻される。


「この後はどうされるのですか。聖堂へ? いつも通り聖女に会うのなら、少しの間であれば人払いできますよ」


 ルイスとオフィーリアは血縁上は親族に当たるためか、彼は聖女にさほどの敬意は持っていないように思える。聖女を様付けせず堂々といられる者は彼くらいなものだろう。

 フェルナンは首を横に振った。


「いえ、王立研究所へ行こうと思います。妻の手紙を届けたくて」


「なんですかそれ……鈍器?」


 フェルナンが懐から取り出した分厚い手紙を見て、ルイスは素直な声を出す。年頃の少年のように目を丸くしたものだから、フェルナンは思わず笑った。

 珍しそうに手紙を見つめた後で、ルイスはフェルナンに視線を戻す。


「兄上がまっすぐ聖女のところにいかないなんて初めてじゃないですか?」


 そうだろうか。そうかもしれない。聖堂には行くつもりではあったが、それはアドリアンナの手紙を届けてからだ。まず“おつかい”を済ませておきたかった。それがアドリアンナとの約束であるからだ。

 へえ、と短く呟いてからルイスはさも今思い出したかのように言う。


「そういえば今日、城下のグラン家の屋敷で祝賀会が開かれているそうですよ。家の息子が戦果を上げて凱旋したとかで――。そこにオルエンヌ家の娘が婚約者と共に出席するようです。義理の妹に当たる方でしょう、お会いしてみたらいかがです?」


「呪われ公爵の俺が?」


 半笑いで答えるがルイスの顔は真剣だ。


「呪いで死んでくれるほど殊勝な人達だったらまだ可愛げがあるのですが」


 含みのある笑みをルイスはする。


「冗談ですよ! 短時間の接触でなにかあったことはないでしょう? もし何かあれば僕に言ってください。可能な限り問題解決いたしますから。出席されるなら話を通しておきますよ」


 アドリアンナの妹か――。

 フェルナンは考えた。確かに気になることはある。ひと月の付き合いとは言え、妻のことだ。ひと月の付き合いと言ったことを後悔しているほどには彼女のことを知らなければならないという気になっていた。


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