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それがわたしの想いの全て

 アドリアンナはこの地に何週間もかけて来たが、フェルナンは一日もかからず王都までたどり着けるという。


「簡単な移動魔術だ。俺がまだあいつらの言う事を聞いていると示すために複数地を経由しなくてはならないし、決められた手順はあるがすぐに着ける。帰りはもっと早いぞ、あいつらは俺を手早く追っ払いたいからな」


 移動魔術は高度なものと知っているから、“簡単”という物言いには疑問の余地がある。


「三日の内には戻るから、君もくれぐれも無茶な行動はしないように」


 フェルナンはそう念を押す。それから、と彼は言い、懐から札のような紙切れを取り出した。紙は正方形で手の中に収まるくらいの大きさであり、精巧な魔法陣が描かれていた。触るとほのかに温かい。


「護符を君に託しておくよ。もし何かあればこれを破るんだ。そうすると俺が君に危機が迫っているということが分かるようになるから」


 と言って、紙を持つアドリアンナの両手を抑えるように彼も両手を重ねしっかりと手の中に握らせた。

 いまや彼の長い髪は見る影もなく、短く、品よく整えられていた。上着を着て、タイも付ける彼は初めて会った日とはまるで別人のように見える。


 彼が一瞬の閃光とともに姿を消すのをアドリアンナは見送った。

 一人だけになった城は妙に広く感じる。そうしてやはりこう思った。


(こんな場所で孤独に過ごしていていい方ではないわ。皆の誤解を解いて、彼を人々の間に返すことができたらいいのに)


 だが誰がアドリアンナの言葉を信じるだろう。世間から白い目で見られる自分のことを? 己の置かれた立場が歯がゆい。今になって生家での自分自身を恥じた。


(わたしは戦うことを止めてしまった。戦うための剣を自分から手放してしまったんだわ)


 もしも戦い続けていたら、フェルナンが優しく誠実で有用な人物であると周囲に証明することができただろうか。 

 今の自分に残っているのは瘴気の研究だけだ。それこそが自分が生き残り続けた意味だと思っていた。



 ◇◆◇


 

 ジュリエッタ・オルエンヌは早朝、一人で部屋の中の全身鏡の前に立っていた。今日は婚約者のギフォード・アルギャンとパーティに出席する予定がある。彼の隣に立ち、皆に注目されるはずだ。故に抜かり無く自分を磨き上げなくてはならなかった。


 既に風呂は済ませていた。全身から花のよい香りがする。

 鏡を覗き込み、頭皮を確認した。美しい金色の髪がしなやかに生え揃っていて、そこに一分の隙もない。今日は髪を編み込んでみよう、と思った。以前ギフォードが褒めてくれた形だ。アドリアンナはそれを常に自分の手でやっていた。


 鏡に向かってにこりと笑いかけてみる。美しい少女が幸福そうに微笑んでいるように見えるように。

 

 ジュリエッタは自分の美しさを自覚していた。それを意図的に使うことにも長けていた。だから全てを手に入れることができるのだ。

 

 鏡の前から離れると、寝間着のまま部屋を出た。目的があるわけではない。時折ジュリエッタはこうして屋敷の中を徘徊していた。アドリアンナがいなくなった後にできた習慣であった。理由は自分でも分からない。この屋敷が本当に自分のものになったということを実感を持って確かめたいからなのかもしれなかった。


 幼い頃、まだ貧乏で下町で暮らしていた時、「あれがお前の父親の屋敷だ」と遠くから母が指さしたその先には、まるでお芝居に出てきそうなお姫様がいた。お姫様は綺麗な服を着て幸福そうに笑いながら、傍らにいた王子様と楽しげに踊っていた。

 ――ジュリエッタ。いつかお前があの場所に行くのよ。

 母はジュリエッタの両肩を掴み、何度も何度もそう呟いた。


 夢は叶った。望みの先に、自分たちは今いる。


 ようやく邪魔な娘を追い出すことができたと満足げに母は言う。

 父はもはやアドリアンナに関心がないようで、その名前さえ口にしない。

 ジュリエッタは姉の名を口にすることはないが、こうして幻影を追っている。頭の中から追い出したいのに――。


 廊下を歩いていると父の書斎から光が漏れていることに気がついた。ぼそぼそと会話も聞こえる。このような早朝に来客とはおかしなことだ。妙に気になって、ジュリエッタは扉の前にそっと立った。

 父の声がした。


「公爵はいま不在だというのは確実な筋からの話だ。確実にあれを始末しろ。当主は実際にそれが成されたか確認することをお望みだ。だから死体は持ち帰ってこい」


 ――死体。

 死体と言ったのか?


「一部でもいいが、確実にあの娘だと分かるものにしろ」


 たまらずにジュリエッタは扉を開いた。


「お父様、起きていらっしゃるのですか?」


 ジュリエッタはこそこそと隠れるような真似をしない。なぜならここは自分の屋敷だからだ。突然開かれた扉に、父は驚いたような顔をしたものの嫌悪は浮かべていなかった。


「やあジュリエッタ。朝が早いな」


 下がれ、と男たちに言った後でジュリエッタに微笑みかけた。「おいで」と。

 男たちは素直に従い部屋から出ていく。人数は四人、皆体格のよい者達だった。


「朝からお前に会えて嬉しいよ。今日はグラン家の屋敷に行くんだろう?」


 ジュリエッタの母とこの父は、もう随分長い付き合いなのだという。ジュリエッタは自分が彼の実子なのかそうでないのかも知らない。ジュリエッタができることはなるべく彼の関心を長く引くことだけだ。

 

 父の腕に自らの腕を絡ませながらジュリエッタは問いかけた。


「今の方たちはどなたですか? わたしったら、ご挨拶もできませんでしたわ」


「少々仕事を頼んだだけさ。お前が気にするようなことではない」


 父はジュリエッタの髪を愛おしそうに撫で、額に口づけをする。ジュリエッタも彼に微笑みかけた。ますます破顔する父の顔を見つめて、ジュリエッタは幸福に包まれた。アドリアンナは彼のこんな顔を見たことがないはずだから。




 昼前になってギフォードが現れた。長い赤毛を今日は後ろに束ね、正装に身を包んでいる。秋の麦の穂のような薄茶色の瞳が外の日差しを受けて光っていた。

 彼が迎えに来た時、ジュリエッタは自室にいて、頭に被る帽子を並べて悩んでいた。どれも似合うと侍女たちは言い、それでさらに悩んでしまう。

 ギフォードはそれを急かすこと無く見守っていた。ふいに彼の視線がジュリエッタの部屋のある場所で止まったことに気がついた。


「うさぎのぬいぐるみかい? 少し子供っぽいね」


 それはもとは桃色のうさぎであったが、経年により布が日焼けし薄ぼやけた色になっていた。ジュリエッタが幼い頃、母が気まぐれに買ってくれたものだった。

 ジュリエッタは頬を染め、照れたふりをした。


「だって子供の頃のものですもの」


「新居にはまさか持ってこないだろう?」


 苦笑するギフォードに、初めてジュリエッタの顔は引きつった。だが一瞬のこと、すぐにもとの顔に戻り無邪気に笑ってみせた。


「もちろんですわ! 今のわたしには相応しくありませんもの!」


 ありのままで愛されるなんて幻想だ。等身大の自分なんて反吐が出る。

 古いうさぎのぬいぐるみなんて、今のジュリエッタには似合わない。たとえ今まで、どうしても捨てることができなかったとしても――。

 次に彼を部屋に招き入れる時には処分しておかなくては、とジュリエッタは思った。それが正しさというものだ。


 そうしてやはり、アドリアンナのことを考えた。


 自分を偽り仮面を付けて、それでようやく愛されるのに、彼女はそれが下手だった。だから部屋を追われ、財産を奪われ、愛までも失い、あんな僻地へと送り込まれたのだ。代わりにジュリエッタはますます羽ばたいた。昏い沼の底へと沈むアドリアンナの頭を蹴り遥か空へと飛び上がるのだ。この屋敷の誰一人、もはや彼女がいたことさえ覚えていないかのようだった。――ジュリエッタ以外は。


 ジュリエッタはアドリアンナのことを想う。何度も何度も想う。

 お姫様のような清らかで無垢な彼女を汚して堕とした。彼女の持つもの全てを奪った。だからジュリエッタは何度も彼女のことを想うのだ。


(お姉様、どうか永遠に不幸でいてくださいね――)


 アドリアンナが失敗し続けるということは、ジュリエッタにとって自らの正しさの証明であったから。


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