救われたのはわたしの方です
フェルナンの告白は少なからずアドリアンナを驚かせた。たとえ瘴気が彼の周りで小規模に頻出していたとしても、なぜそのようなことが起こるのかは分からない。
あるいは恣意的に――? 慌ててアドリアンナは首を横に振る。
(恐ろしいことを考えてはいけないわ。それは邪推というものよ。まだ何も分かっていないことを考えても仕方がないわ)
一晩中、二人は同じ部屋にいた。とはいっても恋人同士のように寄り添っていたわけではない。雛の看病のためだった。
瘴気や呪いのことをアドリアンナはほとんど考えなかった。男性と同じ部屋で過ごすことについても、深く考えることはなかったし、それはフェルナンも同様に思えた。どちらも口数は少なく、二人は小さな命を生かすことだけに集中していた。
アドリアンナは図書室から使えそうな本を探して読み、フェルナンは採取した餌を柔らかくした後に、小さなスプーンでその雛に与えた。
「温かい空間の方が良いみたいです」とアドリアンナが伝えると、彼は籠の中に小さな結界を作り保温した。アドリアンナはその中に、鉄製の水筒にお湯を入れ布で包みそっと入れてやる。
二人はほとんど眠らずに世話をして、少なくとも一晩はその雛を生かすことに成功した。懸命に生きようとするその雛を見てアドリアンナの心に小さな火が灯ったようだった。この命を生かせと、使命を与えられたように思えたのだ。
早朝になって、フェルナンはいつの間にか姿を消していた。きっと自室に戻って休んでいるんだわ、とアドリアンナは考えたが、しばらくの後、彼は戻ってきた。随分とさっぱりした姿で。
髭は剃り落とされ、伸び放題だった髪は後ろで一つに纏められている。タイとベストを正確に着用し、皺だらけだったシャツからは皺が消え、ズボンの結び目もきちんと結ばれていた。
まるで憑き物が落ちたかのような、見違えるほどの貴公子ぶりにアドリアンナはしばし目を瞬かせた。
彼は十代まで王都で暮らしていたという。きっとそこでは上位貴族のような暮らしをしていただろうし、これが本来の彼の姿なのかもしれない。アドリアンナの視線に気が付き、フェルナンは咳払いをした後に言った。
「君は毎日身綺麗にしているから、俺もそれに倣うことにした。考えてみたら、人前に平然と晒せるような姿ではなかった」
こうしてみると、自分のみすぼらしさが際立つようだ。もとは上等だった生地ではあるが生家で服を新調する余裕などなく、破れたところを何度も繕い直したし、さらに動きやすいように改造したワンピースだ。それを数着持っているだけ。初日に着た母のドレスは、そのまま着ずに残していた。
フェルナンはアドリアンナの胸の内を敏感に察したらしい。さっとアドリアンナに目を滑らせた後に小さく唸り言った。
「どこの部屋だったかに、形は古いが着れそうなドレスがあるのを見たことがある。午後までに探しておくから、気に入ったら着ればいい」
「まさか! そこまでのご厚意に甘えるわけにはいきませんわ。せっかく綺麗な形で残してあるのなら、わたしが着るなんて勿体ないことです」
はは、と彼は笑う。
「俺に着ろというのか? 誰も着ない方が勿体ないだろう」
アドリアンナが答えられないているうちに、彼は背に隠していたらしい何かを差し出す。見るとそれは皿に乗った食料だった。
「朝食を作ってみたから食べていいぞ」
差し出された皿をアドリアンナが受け取るのを満足そうに見た後で、
「君はそいつの世話をしていてくれ。時間があったら休んでいなさい。俺は畑に水を遣ってくる。今日は晴れていて瘴気も少ないから、日が届くだろう」
フェルナンはそれだけ言って足早に去っていった。言いたいことは様々あった。
公爵自ら畑に水を? 公爵自ら料理を? ――信じられない。
信じられないが信じるしかない。皿にはパンとチーズと、アドリアンナが作ったジャムが乗っていたし、窓の外では魔法により水を散布する彼の姿が見えたから。
「不思議な人だわ。ねえ、そう思うでしょう?」
籠の中の雛にそう言うと、雛は首をもたげ応えるように小さく鳴いた。
アドリアンナは恐る恐るパンを齧ってみる。
「……美味しい」
実際の味以上に美味しい。なぜならこれは、フェルナンがアドリアンナのためだけに用意した朝食だからだ。
(誰かにご飯を作ってもらうなんて久しぶりのことだわ)
皿を持ち上げて、窓から差し込む日の光に翳してみる。それはまるで宝石のように輝いて見えた。
フェルナンは言葉通り城の一室でドレスを発見したらしく、昼食の後にアドリアンナはそこへと招かれた。
「いくつかあったが、君の黒髪と白い肌は、この真紅でより映えると思うんだ。黒も悪くはないが、この城だと暗すぎる。だからまずはこれを直そうと思ってな」
両手を自らの腰にやりながらフェルナンは言った。
トルソーにかけたのはフェルナンだろう。
虫食いもシミもなく、ほとんど完全な姿で残されていた。以前のグリフォン公にも、もしかするとこんなドレスを身に纏う同居人がいたのかもしれない。
真剣な眼差しでフェルナンはドレスを睨みつける。
「やはり少し古くさいな。今の流行りはどんな感じだ? 俺が王都にいたのは六年も前の話だから、今は変わっているんだろうな」
アドリアンナは首を横に振る。
「わたしは疎くて、あまり流行は分からないんです」
馬鹿にした風でもなく、フェルナンはそうかと頷いた。
「なら俺の趣味で直そうか。君は背が高いからもう少しボリュームを絞ってもいいかもしれない。体に合っていた方が美しいだろうし」
アドリアンナは目を見張った。
「直すって、公爵様がされるのですか?」
「当たり前だよ、他に誰がいるんだ? それに、そうでなければ贈り物の意味がないだろう」
そんな風に言われてはますます困惑する一方だ。
(贈り物――? だけどどうして?)
声には出さなかったはずだが伝わったらしく、苦笑しながら彼は言った。
「そう、君の親切に対する贈り物だよ。今の俺にできることを君にしてあげたい。なんとも情けない話だが、今はこれくらいしか思いつかないんだ。断らないでくれよ、少しでも俺に同情を寄せてくれているのなら、黙って受け取ってほしい」
そこまで言われては、断れるはずもなかった。




