俺は君に側にいてほしい
フェルナン視点です。
部屋の隅でフェルナンは震えていた。
己の弱さが彼女の前で露呈した。その屈辱に耐えながらも、やはり恐怖の方が勝っていた。
「不義の子だから呪われている。神は俺の存在を許してはくれなかった」
フェルナンは吐き出すように話し始めた。
扉のすぐ向こうにはアドリアンナがいる。彼女はじっとフェルナンの言葉に耳を傾けていた。、
聡い娘だと思う。可憐で儚く美しい。オフィーリアとはまた別種の美貌を持つ娘だった。彼女が自分のせいで死ぬと思った瞬間、フェルナンの中に抑えきれないほどの恐怖が噴出し、彼女の前に立っていることすらできなくなった。
「生まれは王都だった。母には夫がいたが、その美貌から当時の王の気に召して公然の愛人のような関係だったという。母は王の子を生むために夫のもとを離れ、確実に王の子であるとする期間を経て身ごもり、そうして俺を産んだ。野望と欲望の果てに生まれたのが俺だった。
母の不幸は俺が生まれた数日後に死んだことだ。後に分かるが、俺の呪いのせいだった」
カーテンを締め切り、灯りのない部屋の中にいると、扉の外の彼女の存在が際立つように思えた。知り合ったばかりの好きでもない男のいじけた独白など聞くに耐えないだろうが、我慢してもらわなくてはならない。彼女を己から遠ざけるために。
「先代の王――俺の生物学上の父だが、当時彼には跡継ぎがおらず、そこに待望の俺が生まれた。正妻をさしおいて盛大な祝賀会が催されたようだよ。もし正妻との間に子供が生まれなければ俺が王になる。だから俺には、生まれた日に公爵の地位が与えられた。
母親の夫をはじめ、次期王になる可能性のある俺を引き取りたい家は多かった。結局親族の中で、最も権力のある家が俺を引き取ることになった。
最初の頃は良かったよ。皆俺に親切で、俺もまた未来に約束された自分の幸福を疑ってはいなかった。実の父親とも時折交流を持っていたし、彼も俺の才能を褒めてくれた。俺を溺愛してくれていたし、俺も彼が好きだった。
だが不幸は、俺が八歳の頃に突然訪れた。丁度、実の父親が逝った年でもあった。俺の養家の者が、一晩にして皆死んだ」
「どうして……?」
涼やかな声が聞こえて、そこにいると分かっていたはずなのに、確かにそこに彼女が存在していることを感じフェルナンは破滅的な矛盾を感情の中に負った。
俺のことをもっと知ってほしい。彼女の清らかな精神でこの心を包み込み受け入れてほしい。だが知られたくはない。数日の付き合いながら、物静かでありながらも芯のある人だと分かってきた。そんな彼女にまで異物を見るような目つきで見られてしまったら、元々危うい均衡で成り立っている己の精神は、今度こそ立ち直れない。直るほど元々健全な精神を持っていたのならの話ではあるが。
感情を噛み殺しながらフェルナンは言った。
「言っただろう。俺の呪いのせいだ」
彼女が息を呑む気配がして、フェルナンは自嘲した。
(これで心地の良いこの数日の暮らしも終わりだ。彼女は俺を恐れるだろう)
そうだもっと怖がってくれ、とフェルナンは覚悟をした。俺に同情など微塵も残さないように。彼女を見る度に抱きかける己の倒錯した迷いもまた捨てなければ。それが彼女のためなのだ。
「ひどい有様だった。死体は激しく損壊し、皮膚の一部は溶け中身が漏れ出して凄まじい悪臭を放っていた」
思い出し身震いをした。第一発見者は自分だった。あの光景は脳裏にこびりつき、その事件から何年も経っているというのに、未だに悪夢を見る。
「唯一の生存者である俺が何かをしたのではないかと疑われたが、八歳の子供であったし証拠もなく、疑惑のまま、さして咎められることもなく終わった。
次に俺を引き取ったのは、母親の夫だった人物だ。彼の領地で十二になるまで暮らした。妻が産んだ王の子に彼は驚くほどの愛情をかけてくれた。平穏だったよ、とてもね。彼は誰にでも分け隔てなく接したし、憎んでも誰も咎めないのに、俺を実の子同然に思ってくれていた。彼は人が好きで、友人や領民を招いて年に何度も集まりを開くような人だった」
彼の領地にいた時が、思えばフェルナンが最も平穏で幸福だった時代かもしれない。
故に、その後の惨劇が耐え難く心にのしかかる。続きを言葉にするのが憂鬱だった。
「……だが彼もまた死んでしまった。最初の養家と同じような死に様で、やはり使用人もろともな」
またしても、第一発見者は自分であった。早朝、いつもなら支度を始める使用人も、起きて本を読んでいるその人も、皆、それぞれの寝室で事切れていた。
発見した時、フェルナンは絶叫した。だが叫んだ所で、誰かが助けに来てくれることもなかった。
扉の向こうにじっと耳を傾けるアドリアンナの息遣いを感じながら、フェルナンはなおも話し続けた。
「俺は母方の祖父を頼って王都に来た。彼は――」言い淀むが結局は言う。「彼は権力欲に囚われた男だった」包み隠すこと無く彼女に伝えたかった。
「俺の実の父親は死ぬ前に正妻との間に王子を作っていたが、その王子を差し置いて、俺を王にしようと考えていたのが祖父だった。俺が問題を間違えると、彼は俺の手を血が流れるほど鞭で打ったし、俺はそんな彼が憎かった。彼は一番でなければ意味がないと良く言っていたから、俺はわざと勉強ができないふりをしては彼を苛立たせていたよ。
矍鑠とした老人だったが、俺を引き取って半年もしないうちにぽっくりと逝った。心臓の病だったようだ」
死が周囲に溢れていた十代の中にあって、祖父の死には少しの感情の揺れもなかった。
「だから俺は一人になった。俺の世話をしたい人間はまだいたが、俺はもう誰とも暮らしたくはなかった。十二だったし、使用人が少しいればそれなりに身の回りのことはできたからな。
……そうして人々が俺を見る目が、ガラリと変わっていることに気がついた。――彼の周りには死が溢れすぎている。不義の子だから呪われているのだと、そういう噂が流れ始めたのだと知った。
誰も俺の側に寄らず、俺は孤独になった。日々を暮らす金も尽きかけ、知り合いを頼っては金を借りたよ。そういう者に近づきたい奴などいない。俺の味方は誰もいなかった。行き場もなく、珍しく信心深くなり神に祈ったよ。――神よ我を救い給え、とな。そんな生活が数年続いた」
耐えきれずにフェルナンは目を閉じた。アドリアンナと顔を突き合わせていなくて良かったのかもしれない。彼女の目を見ながら平然とこの告白をするほど、フェルナンは己を客観視できていなかった。脆く情けない姿を女の前で晒すのは――それも慈悲深く美しい娘の前であればなおさら――たとえ誰とも関わらず城で一人で暮らしていてもなお、耐え難い屈辱であったのだ。
「そんな頃だ。王都の聖堂で、あの美しいオフィーリアに出会ったのは」
思い返してみるだけで胸の内に陽の光が差すようだった。
「彼女は美しかった。祭壇の前で熱心に祈っていた俺に、丁度祈りの時間に聖職者達とやってきた彼女は微笑みかけてくれた。穏やかに、静かに、俺の目を見てにこりと笑った。ただそれだけだったが、俺は救われた。存在を許されたように思ったんだ。
彼女は俺を人として扱ってくれた。権力と欲望の果てに生まれ、世間に捨てられたような俺に――……」
アドリアンナから小さな吐息が漏れたように思った。彼女は全てが小さい。背も、声も、挙動も全て。にも関わらず、フェルナンはその一挙手一投足が気になって仕方がなかった。この城には、自分の他に彼女しかいないせいだと、フェルナンは思うようにした。別の感情が込み上げかける度にそう言い聞かせていた。
「俺は毎日聖堂に通い詰めた。もはや神には祈らなかった。考えたのはオフィーリアのことだけだった。どうしたら彼女ともっと近づくことができるだろうかと、そればかりを考えていた。
先に話しかけてくれたのは彼女の方だ。『毎日いらしていますね』とそう言ってくれた。今まで誰の口からも聞いたこともないほど綺麗な声だった」
会うのはいつも聖堂だった。ただ会うだけでよかった。それだけで満たされていたはずだった。
「それ以来、毎日話すようになって、少しずつ彼女のことを知るようになった。またたく間に愛するようになった。俺と彼女は間違いなく想い合っていた。
だが呪われた男と国中から愛される聖女の恋だ。叶うはずもなく引き裂かれた。
俺が彼女を害そうとしていると王族どもは判断し、俺はこの地に押し込められた。これが俺の人生さ。どうだ、くだらないだろう?」
言いながら虚しさが込み上げた。
(そうとも、俺の人生は実にくだらない。君が同情を寄せるようなものではない)
アドリアンナはどんな顔をしているだろう。彼女は何も言ってくれない。沈黙が恐ろしかった。
「俺は君に嫌われたくなかった。だから呪いのことを詳細には言わなかった。君は綺麗で賢いし、俺の側にいるのが信じられないくらいいい娘で、本来なら交流を持つことさえ奇跡だ。一緒にいると心に花が咲いたみたいだった。本当の俺を知ったらたちまち嫌いになるだろう。そんなの耐えられない。だからひと月の間隠しておこうと思っていた。そのくらいの間の交流であれば、君に呪いの害はないだろうと思った。せめて親切な男として君の人生の思い出になりたかった。悪人として俺を記憶しておいてほしくなかった。……俺は卑怯だった」
醜い告解だった。フェルナンはもはや武器を全て捨て去りアドリアンナの前に屈服し、その断罪を待っていた。




