畑仕事
ウルカは狼の姿に戻り、畑の土を深く掘り返していた。
爪が湿った黒土に沈み込み、冷たい感触が肉球にじわりと広がる。
掘り返した土の匂い――腐葉土と雨の残り香、かすかに混じる根の甘さ――が鼻先をくすぐり、耳がぴくりと動いた。
「……やっぱ、これ落ち着くなぁ」
酒場でレイと出会った余韻が、まだ胸の奥でざわついている。
白銀の鱗が光る姿。嬉しそうに細められた瞳。
けれど次の瞬間、ロンの視線に引き戻されたレイの表情が、どうしても頭から離れなかった。
もやもやを振り払うように、ウルカは畑に逃げ込んだ。
ここなら誰も干渉しない。期待もされない。
ただ、土と向き合うだけだ。
溝を整え、種袋から小さな粒を一つずつ落としていく。
指先で土を被せ、軽く押さえる。
尻尾が無意識に左右へ揺れ、耳は風や遠くの鳥の声を拾っていた。
種まきが終わると、果物畑へ向かう。
木々の間には、熟れた実が赤く輝いている。
一つ摘み取り、鼻先で匂いを確かめてから、牙を立てた。
甘酸っぱい汁が口いっぱいに広がり、喉を伝って落ちる。
胸のざわつきが、ほんの少しだけ和らいだ気がした。
「ウルカ。久しぶりだな」
低い声が背後から響いた瞬間、全身の毛が逆立つ。
反射的に前脚で土を掴み、勢いよく投げつけた。
土くれは弧を描き、相手の胸元にぶつかる。
銀灰色の毛並みが汚れ、相手の耳がぴんと立った。
「……親父かよ。何しに来たんだ?
魔界に住む貴族様が、こんな辺鄙な森まで来たら、文句言われただろ」
オルカ――ウルカの父は、ゆっくりと土を払い落とす。
彼もまた狼の姿で、ウルカより一回り大きな体躯をしていた。
上質な銀灰色の毛は威厳を湛え、瞳は娘を静かに射抜いている。
「相変わらず口が減らないな。
だが……一応、私の娘だ。顔くらい見に来るさ。
無所属のまま生きていれば、私の立場にも響く」
ウルカは答えず、果物畑の奥へ移動する。
木の根元に身を低くして、次の実へと手を伸ばした。
苛立ちを隠しきれず、オルカの尻尾が地面を打つ。
「私が話している最中に動くとは……」
ウルカは振り返り、低く唸った。
牙を剥き、耳を伏せ、毛が逆立つ。
「私は、あんな生活に嫌気がさしてんだよ!
兄がいるだろ、そっちに継がせればいいじゃないか!」
オルカは一度咳払いをし、声を抑えた。
「息子は頼りない。
ウルカ、お前は強い。戦も、知恵も、すべて優秀だ。
そんなお前が、ここで野菜を育てて生きるなど……」
ウルカの爪が、土を深く抉った。
尻尾が地面を叩き、土煙が舞う。
「私の心を踏みにじって、
あの悲劇を忘れろって言うのか!
私は――絶対に帰らない!」
オルカの表情が僅かに揺らぐ。
一歩だけ距離を取り、静かに言った。
「……いずれ分かる。
お前は、私と同じ魂から分かたれた存在なのだから」
それだけを残し、オルカは森の影へと消えた。
風が畑を渡り、再び土の匂いが満ちる。
ウルカは木に体を預け、摘んだ実を強く握り締めた。
果汁が指の隙間から滴り、地面に赤い染みを作る。
「……分かってるよ。
でも、もう戻れないんだ」
喉の奥が詰まり、小さな嗚咽が込み上げる。
尻尾は力なく垂れ、耳も動かない。
実を地面に落とし、ゆっくりと立ち上がる。
納品の準備をしなければならない。
森の外へ向かう途中、レイの顔がふと脳裏に浮かんだ。
胸の奥が、きゅっと一瞬だけ縮む。
深呼吸を一つ。
ウルカは狼の姿のまま、畑を後にした。




