#43 俺のメルセデスが!
選手宣誓か。おそらく何かで選ばれたであろう選手が、こちらへ顔を向けて、台の上に立った。そしてポケットから宣誓の言葉が書かれた文章を出そうとしている。
しかし、何かが引っかかっているのか、すぐに取り出せないようだ。
「ジューイチ! 伏せて!」
「え?」
マドカが何かに気づいたようで、突然、俺に叫んでくる。どうしたというのだろう。ただの選手宣誓だぞ? 言葉を述べるだけではないか。心配は要らないだろう。
「違うよ! これは選手宣誓ではなく、選手先制だ!」
「だから、選手宣誓だろ?」
「いや、違うって! 選手先制、つまり――」
俺とマドカが問答を繰り返している最中、台の上の選手がポケットからようやく何かを取り出す。取り出したものは――爆弾? 何故。
「ああ――先制って、そっちね」
なぁるほど、なぁるほど――競技が始まる前に、先制攻撃を仕掛けてくるつもりか。宣誓と先制を掛けた見逃しそうなギャグだ。あれ? このギャグ、俺以前言ったことがあるような気がする。ギャグの不正流出が起きているとでもいうのか。
「そんなことを言っている場合じゃないでしょ!」
「わかった、わかった――」
俺はレジスタンス・レジスターを召喚して、特異点武装を顕現した。モップ・ステップ・ジャンピングだ。俺はそれを構えると、こちらへ投げつけられた爆弾を一刀両断した。
爆弾は音も光も発さず、真っ二つの破片がその場に落下した。
「そうか、そうか――つまり、一部のスタッフも、お前の手中にあるというわけだな? ビバーチェ黄昏?」
「おーほっほ!」
台の上に立っていた選手が、深く被っていた帽子を脱ぎ捨て、飛び降りてくる。彼女の正体はビバーチェ黄昏であった。やはりフェルナンドさんの命令を無視して、この運動会にやってきたか。そうまでして、何か目的があるのだろうか。
「おい、ビバーチェ。何故、ここにいる? 俺は待機命令を出したはずだが?」
「八百屋で留守番なんて、ワタクシにとって暇でしかないのです」
「そんなに野菜が嫌いなら、八百屋で修行なんてやめちまえ」
「別に野菜が嫌いなわけでは――強いて言えば世界が嫌いですわ」
「世界が、嫌い?」
「こんな世界はワタクシにふさわしくないからです――だから、嫌ですわ」
ビバーチェはそれだけ言うと、設営されているテントのうちの一つに入り、キャンプチェアのような椅子に座って、こちらを見据えた。
「ワタクシはここで見ていますから、せいぜい醜く争いなさい」
「運動会は争いの場ではなく――競い合い、称え合う場だぞ? そんなことも知らないのか、ビバリーヒルズ?」
「だから名前を間違えないでくださいまし! ワタクシはビバーチェ黄昏ですわ!」
ビバーチェ黄昏がいつものように自身の名を訂正してくる。
どうやらビバーチェは競技に参加するつもりが無いようだ。高みの見物といったところだろうか。とりあえず、ビバーチェを無視して運動会に集中しよう。警戒を解くわけにはいかないのだが――どうやら運動会の運営スタッフの中に、ビバーチェの息が掛かった者がいるようなので、気を付ける必要がありそうだ。
エミリーは、まだ体調が悪そうであり、フェルトはエミリーを看病している。戦力という観点では、我らワールド・イズ・マインは少々不利な状況に陥っている。
冷静に考えたら、問題が山積みのように見えてきた。
「ジューイチさん、呑まれてはダメです」
思考の海に溺れそうになった時、ロコが俺に声を掛けてきた。
ロコの言う通りである。現状に焦るくらいなら、もっと以前に焦っておくべきであり――今、焦らなければならない理由はどこにも無い。
俺は頭の中でモップを振り回すように、思考を整理していく。
「委員長、次の競技は何だ?」
「えっと、早速だけどパン食い競走だよー」
本来なら、エミリーが参加する予定だった競技の一つだ。さて、誰が代わりに出場するか、決めなければならない。
「私が出るよー」
「委員長が?」
「だって、パン食い競走でしょー? ここはパン屋の娘に任せておいてよー」
マイがパン屋の娘である事実と、パン食い競走はあまり関係が無いような気がするが、本人のやる気を尊重しようと思う。ここは彼女に任せよう。
「それでは、パン食い競走を始めます。出場選手は集まってください」
会場にアナウンスが流れ、選手たちが集合場所へ揃っていく。マイはシンギュラー・ポイントカードをポケットに仕舞うと、集合場所へ向かって歩き始めた。
「じゃあー、行ってくるねー」
「ああ、頼んだ――委員長、怪我とかに気を付けてくれ」
「わかったー」
送り出したマイがスタート位置に着いていることを確認した俺たちは応援席に座って、競技の開始を待つ。そんな中、ロコが心配そうに口を開いた。
「なんか、嫌な予感がします」
「ははっ、ロコは心配症だな」
「いや? ロコちゃんの言う通り、警戒しておいた方が良いと思うよ」
「いくらビバーチェ黄昏でも、こんな序盤から仕掛けてくるか?」
「違うよ、ジューイチ。ビバーチェさんではなく、この運動会自体に警戒しているのさ」
まさか、俺の担当編集者が言っていた通り、この街の運動会はタダでは済まないのか?
「それでは、位置に着いて――用意」
心配そうな俺たちを他所に、マイは余裕を感じさせる表情で号砲を待っていた。
そして競技が始まり、選手たちが一斉に走り出す。マイは真ん中くらいの順位で走り続けていた。まだパンまで距離があり、序盤はシンプルに足の速さが問われるだろう。
「へへっ、いただき!」
先頭の選手――八百屋のチームの選手がパンを食らい始める。最初は美味しそうにパンを食べていたが、彼の表情がみるみるうちに青ざめていく。どうしたというのだろうか。
「うお! 俺のメルセデスが!」
メルセデス? ああ――便通のことね。メルセデス、便通ってことか。
「何だ? どうした?」
「どうやら、パンの中に何か仕掛けられていたみたいだね」
「そんなのアリかよ! 食べ物を粗末にしやがって!」
「人体には影響が無いものがパンの中に入っております! 余ったパンはスタッフがいただく予定ですので、ご安心を!」
「そういう問題じゃないだろ!」
「マイさんはご無事なのですか?」
ロコとともに俺たちはマイの姿を視線で追った。マイは吊るされているパンの前に立つと、目を閉じて、静かに深呼吸をしていた。あれは――何かを聞いているのか?
「そ、そうか! パン屋の娘である委員長は、パンの声が聞こえるのか!」
「何を言っている、マドカ。流石にそんな能力を委員長が持っているわけ――」
マイがパンに噛り付き、咀嚼しながら次のパンに向かって走りだす。迷いなく、パンに噛り付いたのだ。本当にパンの声が聞こえているのかもしれない。諸説ありってヤツだ。
「来て、レジスタンス・レジスター」
次々とパンを食べたマイが、最後のパンを食べ終わると、レジスタンス・レジスターを召喚して、ポイントカードをスキャンした。そして特異点武装である揚げ物調理器具を顕現したマイは武装が持つ能力、空中浮遊の力で一気にゴールに辿り着き、一位となる。
「エミリーマート古座駅前店チームが一位です! 何か秘密があるのでしょうか?」
「ふふふー、内緒―」
会場のアナウンスに対して、笑みを浮かべたマイはまだお腹が減っているのか、実家のパンを取り出して、頬張っていた。というか、よく競技中に潰れなかったな。
「ジューイチ先生、それは乙女の秘密ってヤツなのだよー」




