#32 俺は! 俺は無様だ!
「ありがとう、ございました。またお越しください」
本日のシフトが終わる時間。俺は買い物を済ませたお客様に挨拶をしていた。あの人はいつも決まった時間に、決まった新聞と決まったタバコを買っていくおじさんだ。
あの人、小銭を数えるのに苦戦している俺を優しく待ってくれる良い人なんだよなぁ。
「さて、コーヒーマシンを掃除して、今日の勤務は終了かな」
「あ、もうマシンの掃除は終わったよ? お疲れ様―」
「委員長、仕事が早いな。お疲れ様です」
どうやら本当にやることを終えてしまったようだ。勤怠入力して、帰るとするかな。
「何やっているんだぁ! 俺は!」
おいおい、勤務時間が終了してしまったじゃないか。フェル姉と仲直りする計画が潰れてしまった。どうすれば――どうすれば良い! 非常に困ったぞ!
「愚かだね、ジューイチ」
そ、その声は! マドカ! 生きていたのか!
「え? 僕、死んだと思われていたの? 心外だね」
そ、そうか。サイン会が終わったのか。あ、エミリーとロコもいる。
「つ、疲れました! 人混みって、あんなにも疲れる場所だったのですね!」
「お疲れの極みだな、ロコ」
「そういうあなたは無様な醜態を晒しているようですね、ジューイチさん」
「そう! そうだよ! 俺は! 俺は無様だ!」
「余計に気持ちが悪いのですが――話を聞きましょう」
「実は――」
俺はマドカたちに状況を説明した。フェル姉との約束内容を勘違いしていた俺の無様な状況を、彼らに話すことにしたのだ。話し終えると少しは気が楽になったが、未だに理解できない部分がこの状況にはある。俺は一体、何にサインをする約束をしたのだろうか。
「サイン、ですか? そういえば大変でしたよ、今日のサイン会。エミリーさんがマドカさんに――どさくさに紛れて婚姻届にサインを書かせようとして会場がパニックに」
「コンイントドケ?」
「全く、エミリーにも困ったものさ。そういうものはもっと大切な人に書いてもらえば」
「だから貴様に書いてもらおうとしたのだ! マドカの馬鹿……」
「え? 僕が悪いの、これ?」
コンイントドケ? 婚姻届? 結婚する時に書く、アレ?
「そうか、そうだよ! そういうことだったんだ!」
「ジューイチ先生? どうしたの、そんな声出して? 他のバイト店員さんたちが驚いているよ? お客様のご迷惑にもなるから気を付けてよねー」
「まあまあ、山崎さん。瀬分くんがうるさいのはいつものことだからさ」
次の時間帯に勤務するためにやってきたフリーターの先輩店員が苦笑している。え? 俺って普段からそんなにもうるさかったかな? あぁ、小説家特有のモノローグが原因か。
いや、今はそんなことはどうでも良い。
「先輩! フェル姉は――ファブリエール先輩はどこに?」
「え? そういえば――今日は見ていないな」
見ていない? そんなわけあるか! だって出勤しているはずだぞ。まだ帰っていない。
「まさか――」
嫌な予感がした。フェル姉はウォークイン棚に飲み物を補充しに行った。あの後、誰かフェル姉を見ただろうか。そういえば店長もゴミ捨てに行った後、帰ってきていない。
二人に何かあったのだろうか。
「俺、ちょっとバックヤードに――」
「その必要はない」
「はん! 必要ならあるね! 俺がフェル姉に会いたいだけ――」
「瀬分くん、後ろ!」
大学生の先輩店員が俺の背後を指す。そこにはサングラスを掛けた背の高い女性が立っていた。あれ? どこかで見たような――気のせいだろうか。
「あのぅ、どちら様ですか?」
「お前の敵――と言ったら納得するのか?」
不味い。この展開は予想していたけど、身体が追い付いていない。
「フェルトをお前のような男にはやらん」
サングラスの女性はシンギュラー・ポイントカードを取り出すと、それを握り締めた拳で、俺に向かってストレートを繰り出してきた。これは避けられない。
「ジューイチ先生!」
マイが俺の身体を抱えて、後方に向かって跳躍する。あれ? 何故、俺は宙に浮いているのだろう。否、宙に浮いているのは俺ではなく、マイの方だ。
「どうやらこれが私の特異点武装のようだねー」
マイが持っていたのはエミチキンなどの揚げ物を作るためのフライヤー器具だ。持っているだけで滞空できる能力を発揮するらしい。【フライング・フライヤー】と名付けよう。
「随分とまあ、余裕だな」
「余裕なものか。俺は今、凄く焦っている――フェル姉と店長はどこだ? ファルコさん」
「ほぅ、私の正体に気が付いたか瀬分重壱」
「ファルコだって? フェルトの姉ではないか! 確か武者修行中のはずでは――」
「そういうお前は真戸笑理だな? 私がいない間に勝手なことを!」
ファルコさんの蹴りがエミリーに襲い掛かるが、その前にマドカが銃口をファルコさんに突き付けた。あーあ、マドカを怒らせてしまったようだな。俺、知―らない。
「次、エミリーに同じことをしてみろ」
「こっちの男は期待できそうだな――だが」
「何――くっ!」
ファルコさんはマドカの銃を握り締め、折り曲げてしまった。これでは防犯カラーボールが発射できない。マドカは銃を放棄するとエミリーの前に立ち、彼女を護ることに専念した。
「フェルトたちは拘束した。店長の方は用が済んだら解放するが――フェルトは返さん」
「拘束? 何故だ?」
「フェルトは私とともに、力で天下を取る。これは決定事項だ」
「力で支配、ねぇ? 我が首領が最も嫌うことの一つだな」
「その通りなのだ、ジューイチ。ファルコ! 暴力で世の中を支配など、フェルトは望んでいないぞ! あやつは本当に心優しい人間なのだから!」
「そうだ、そうだ! ちょっと嫉妬深いかもしれないけど、愛情の裏返しだ!」
「その愛情の裏返しに――今まで気が付かなかったヤツが、何を言っている!」
啖呵を切るエミリーと俺に対して、ファルコさんが言い返してくる。痛いところを突かれた。
「それは、そうだけども――」
「そこで弱気になるなよ、ジューイチ!」
「ザコザコの極みです!」
「あ、ああ……」
マドカとロコの激励を受け、マイに宙から降ろしてもらい、俺は一歩前に立つ。そして、レジスターにポイントカードをスキャンした。モップを構えた俺はそのまま結社のメンバーたちとともに、ファルコさんと対峙した。接客対応はあのフリーターの先輩店員――苗木さんに任せて、俺たちは残業という名のフェル姉たち救出作戦を遂行するぞ! 皆!
「ふぇえ! ワンオペなんて聞いていないよぉ!」
苗木さんの悲鳴が聞こえるが気にしない。気にしている場合ではない。




