コールドアイ
ミカエルは生まれて初めて本当に絶望した人間の目というものを見た。
コールドアイという現象だそうだが、単純に悲しいという言葉では説明ができない。
笑いにも怒りにも恐怖にも行けない、感情のエネルギーとしては確かにあるのにどの方向にも出せない。
単なる死体よりも更にひどい負の存在、否定の否定の否定、無限否定地獄の亡者だけが出せるこの世で最もおぞましいものの一つ。
それを目の前の少女は体現している。
棚ぼたで天使が手に入ると思っていた、自分は幸運な人間だと有頂天になっていた。とんでもない。
この世のあらゆる不吉をはらんだ瞳が、汚物よりも穢らわしい呪いが、小汚ない自分を底なしに穢している。
自分のこの手で自分好みの淑女を育てて、貴族たちに見せびらかしてやろうと思っていた。
ところがあの天使はあの親たちがいてこそ天使足り得たのだ。
自分ではだめなのだ、全く代わりになどなれない、自分はガラクタに変わってしまった天使と共に地獄に堕ちてゆくだろう……
怒り憎み、許しを乞い、恐怖し、怒涛の悲しみが押し寄せるが次の瞬間には全てのものの価値が無くなり、また怒りの炎に身を焼かれ、憎み、許しを乞い恐怖し、悲しむ…
永遠に続く苦しみがラハブを苦しめていた。
ある日この街に何でも治す聖女と呼ばれる存在がやって来た。
本当に何でも治すというならばこの娘を治してほしい、そうでなければわしは神を憎むだろう。
「なんとか癒してやることはできませんか、いくらでもお金は出します」
盲目の聖女は難しい顔をする。
「むむむ、これはなかなか。一体どんなことをすればここまで絶望させられるのですか」
「彼女はとある惨殺事件の被害者でして」
「なるほど、最近あったあの男爵一家惨殺事件で生き残った娘というのはこの子なのですね。どこまでやれるか分かりませんがやってみましょう」
記憶の一部を消して焼き切れた脳神経の一部を復活させ、萎縮した脳細胞に少し膨らみを与え、肉体の傷は癒した。
「できる限りのことはいたしました、寄付の方は教会へ直接お持ちください」
「ラハブたん、どうだい?」
「治った……心が痛くない!」
「かなり頑張りました、力のほとんどを使ってしまったのでしばらくは休ませてもらおうと思います」
「あああ……本当にありがとうございました…」
ラハブは何かを決意した。
「おじさん!私聖女になるよ!」
「え!?」
「私聖女になってたくさんの人を助けたい!」
「あ、ああ」
その夜ミカエルは悩んでいた。
OKを出したものの自分はどうするべきなのか。
あんなことがあって彼女の心がどれだけ歪んでしまっているか想像もつかない。
事件現場をちらっと見たが人間の所業ではない、おそらく彼女があそこで食べさせられていたのは家族の肉だろう。それが分からぬほど彼女はバカではない。
正直言えば彼女が見たであろう絶望を直視するのが怖いのだ。
その時パラパラっと雨が降って来た。
「おや、こりゃ少し降るな……」
そういえばラハブはどうしているのか、さっきはどこにも見かけなかったが……
ふと窓の外を見ると、彼女はそこにいた。
雨の中、一人で舞踏をしていた。その姿にミカエルは思わず見入った。
まるで相手がそこにいるかのように見える。いつまでもいつまでも彼女はそこで踊っていた。
彼女は雨に愛されていた、ヒロイックでミステリアスで、それこそが自分の惚れ込んだ令嬢であったと思い出した。
これからも数々の試練が何の遠慮もなく彼女に降り注ぐだろう。
その度に彼女はこのように雨の中で踊り続けるのだろうという予感がした。




