高堂マラソン
いよいよ、駅伝先導への第一歩であるマラソン警戒に参加します。
高堂市役所前は、スタートを控えて騒がしい。ランナーがスタートラインに並び、関節をくるくると回し、ストレッチをしていた。
一ノ瀬と神戸は、白バイを降り、今回のマラソン大会では、乗ることのない覆面パトカーの点検をふざけながら行っており、朝から笑い声が響いている。
「お前達、パトカーで遊ぶな」
微笑みながら近藤が言った。こんなに気の抜けたというか、リラックスして仕事が出来る部署は極めて少ないだろう。
「すみません」
神戸が舌を出して言う。スタート地点の市役所という一目のある場所なのに加え、先導という大仕事を控えているのに、こんなにもリラックス出来る一ノ瀬と神戸が信じられない。
「莉奈。今日は頑張ろね」
彩がヘルメット片手に、莉奈の肩を叩いた。
彩は莉奈とバトンタッチする形で、二位集団のランナーの警戒を行うことになっている。
「駅伝のために頑張ろうね、彩」
「顔引きつってるよ。莉奈」
笑顔で莉奈の頬をつねった彩。どうやら彩は、とてもリラックスしているようだ。
「まもなくスタートです」
係員がメガホンで言うと、スタート地点の盛り上がりが増していく。
ふざけていた一ノ瀬と神戸も、係員の言葉に白バイに跨り、エンジンをスタートさせる。それを見て、莉奈と彩も白バイに跨る。
「じゃあ、お先に」
彩がヘルメットの顎紐を締め、颯爽と走り去る。十五キロ地点で交代となるため、先に彩は十五キロ地点に向かう。十五キロ、十五キロと残りの十二キロと少しと三つにコースを分割している。他の白バイ隊員は、既に待機しており、莉奈に声をかけるために、スタートの直前までスタート地点にいてくれたらしい。
莉奈も白バイのエンジンをスタートさせた。
二位集団について行けばいい。簡単な仕事。
ひたすら自分に言い聞かせた。
彩が去ってから十数分たった。
一ノ瀬と神戸がコース上に移動し、並んで待機する。莉奈はランナーがスタートした後、二位集団が形成されるのを、ランナーの脇を走りながらひたすら待つことになる。
「スタート一分前」
メガホンの声が耳に届くと同時に、心臓の鼓動が早くなるのを感じる。
スタート直後は、ただ白バイを走らせるだけ。
だが、その単純な仕事でさえ、プレッシャーを感じてしまう。
市長がピストルを片手に笑顔を見せた。そろそろスタートなのだろう。スターターは、ただ引き金を引くのみ。楽な仕事だ。
パァン。
乾いた音が空に響いた。
一斉にランナーが走り出し、それぞれの白バイも走り出す。スタートと同時に観客の声援も大きくなっていた。
ついに始まった高堂マラソン。
この大会で、一ノ瀬達の技術を盗まなければ…。
ランナーの切れ間を見つけ、莉奈は白バイを加速させた。
「頑張れ」
歩道から聞こえる声援が心地よい。自分に向けられたものでないと分かっている。だけど、莉奈の緊張は歩道の声援のおかげで、徐々に姿を消して行く。
『交代地点から各車。車両交代地点、オールクリアです』
車両交代地点の準備完了と道路の安全確認が済んだことを知らせる彩の無線。ランナーの通過状況で封鎖を開始する時間が地区によって違う。
『了解』
莉奈は無線を吹き込んだ。
「危ないので身を乗り出さないで下さい」
歩道側を走る神戸が注意を呼びかけながら先導する。センターライン側の一ノ瀬はふらつくことなく一直線に進む。
『先行パトより、各車両。本日は一日、頑張りましょう』
先行パトカーと呼ばれる先導の白バイやテレビ局の中継車両よりも前を走り、路面や観客の状況など確認しながら走るパトカーには、近藤小隊長と警備応援の西堀書の交通課員が乗っている。無線の声は、近藤ではない。しかし、どこかで聞き覚えのある声だった…。
市街地を走り抜けるスタート直後は、道幅も広く警戒しやすい。この市街地を抜ければ田んぼ道。歩道も道幅も狭く、観客とランナーの距離が近くなる。
『第七地点から先導班。市街地抜けると西風が強いので注意願います。どうぞ』
『先行パト了解』
『以上、第七地点』
風が強いということは、白バイは風に煽られて、どうしてもバランスを崩しやすい。
スタートから十分。
「七瀬。集団がだいぶバラけて来たから、前の方頼む」
中島の声が聞こえてくる。マイクの調子が悪いのか、音が少し悪い。
「了解」
莉奈は手を挙げてから白バイを加速させる。確かに既に集団は縦長だ。
先頭集団と二位集団が離れてしまえば、先導をする一ノ瀬や神戸の姿を見ることが出来ない。今のうちに近くから二人を見たいが、既にその姿は小さくなりつつある。
「歩道を走らないで下さい。危ないですよ」
神戸が注意喚起を続ける。よく、テレビにも歩道をランナーとともに走る子供達などが見られる。どの大会にも必ずいるのだろう。
依然として、ぶれずに走る一ノ瀬の白バイ。全くミラーを見ていない。感覚で走っているのだろうか?
『先行パトより、各班。ランナー先頭にあっては、市役所前通りを進行中。宝丘PB前を通過』
先行パトがチェックポイントを通過するごとに無線で報告を行い、交通規制の時間調整を手助けする。
『了解。道の駅の交差点を全方向止めます』
『了解。気を付けてお願いします』
徐々に規制範囲を広げて、ランナーの通過に備える。道の駅の交差点は国道と主要県道がぶつかる大きな交差点。付近にインターチェンジや工業団地があり、混雑を緩和するため、ここの交差点のみランナー通過直前まで車を流している。
「頑張れ」
「白バイカッコいい」
沿道の保育園から子供達の元気な声が聞こえて来る。子供達の声は、なぜか元気が出る。
『道の駅交差点、封鎖作業中。まもなく封鎖完了です』
車線も多く交通量の多い交差点を封鎖するのは、とても大変だ。
『先行パト了解』
聞き覚えのある声が頭の中をこだまする。この声は…どこかで…。
道の駅交差点の封鎖に手間取っているらしく、無線が鳴らない。封鎖と言っても、迂回路への誘導など、全ての措置が完了するまでには、時間を要する。
『交差点封鎖完了。迂回路誘導開始どうぞ』
『先行パト了解。ありがとうございます』
『いいえ。安全運転お願いします。以上』
スタートから二十五分。
マラソン大会は順調過ぎる程、どんどんと進行していく。先頭付近の警戒は、ランナーのペースが速く警戒もすぐ終わるが、最後尾を走る一般ランナーの警戒は、どうしても先頭集団よりは、通過に時間がかかってしまう。最後尾に近づくにつれ、警戒従事時間が長くなる。
地元テレビ局の中継バイクが、二位集団を撮影し始めた。
「テレビ局さん。少し前にお願いします」
莉奈の白バイの前を塞ぐようにふらつくテレビ局のバイク。速度も遅くはっきりと言って莉奈の邪魔だった。道を譲った中継バイクに頭を下げてバイクを追い抜く。
まもなく、例の交差点。パトカーの赤色灯がキラキラと輝いている。迂回措置を講じても、既に大渋滞が発生してしまっていた。
「頑張れ」
「後ろ迫ってるよ」
以前までは、テレビの向こうで見ていたその景色、声援は、確かに莉奈の耳に届き、肌で感じられる。
すごい。これが、マラソン大会か。
パトカーでのマラソン大会の警戒は二、三回従事していたが、白バイに跨ると何もかもが違った。
『先行パトより、各班。道の駅交差点を通過』
『交代地点、了解しました』
彩の素早い返答。何かと反応が速くフットワークが軽いと、近藤から褒められていたこともある。
さすが、彩。
『第十三地点から、先行パト』
『先行パトです。どうぞ』
何だか無線が騒がしい。
『現在、第十三地点コース上を消防車と救急車が通過中。付近で火災発生のこと。なお、コースに影響はない模様です。どうぞ』
タイミングが悪い。まだ、第十三地点は、コース上をランナーが走っていないから出来ること。もし、ランナーが既に走っていたら、コース上を消防車にノロノロ通過してもらうか、最悪の場合は、迂回してもらうしかない。
『先行パト了解。煙等は、そこから見えますか?どうぞ』
『黒煙を確認してます。なお、第十三地点からは遠く、ここよりさらに奥の地点を消防車が通過すれば、そこの無線員の報告があると思います。どうぞ』
『先行パト了解。速報ありがとうございました』
『いいえ。以上、第十三地点』
まだコースへの影響など、はっきりとしたことは、分からないらしい。
「頑張れ」
絶えない声援を聞きながら、莉奈は白バイを走らせた。
スタートから三十五分。
駅伝と違いマラソン中継地点がないため、人がものすごく多い地点がスタートとゴール地点くらいしかない。火災も影響なしとの無線が入り、スムーズに進む。あと、十五分くらいで招待選手の外国人選手は、車両交代地点に到着するだろう。
「危ないので、車道に手を出さないで下さい」
マイクで注意喚起する余裕も出来、慣れて来た。市の中心部から離れた田舎町を通過しているが、曲がり角やカーブが続き、一ノ瀬達の姿は見えない。
『先行パトより、各班。このままのペースならば、あと、十五分程で交代地点に到着すると思います。どうぞ』
『交代地点、了解』
彩の無線が聞こえてくる。車両交代地点で彩にバトンタッチすると、後方の警戒応援か、早めに江乃町に帰るかどちらかだ。なるべく、このマラソン大会に関わりたいと思っている莉奈は、後方の警戒応援に参加したいが、ランナーの通過タイムや車両の台数などを考え、到着して少ししてから、決定されためどちらになるかは直前まで分からない。
まもなく、車両交代地点。
『先行パトより、各班。先頭、第一車両交代地点通過です。どうぞ』
その無線は、莉奈の交代が近いことを告げる。
一ノ瀬達もこの交代地点で交代のため、これ以上技を盗むことは出来ない。はっきりと言って、このマラソン大会で、少ししか技術は盗めていない。
はぁ…。
思わず溜息がこぼれた。技術が盗めてにないなら、これからの練習にも参考に出来ない。
見たくない白バイの赤色灯が視界に入る。恐らく、待機する彩の白バイだろう。もう少しで交代してしまう。
今日、私…何にも出来てない。
後悔というか、何か心の中にドスンと重いモノがのっているような感覚。
近づく赤色灯に勝手にブレーキに手がかかる。
しかし、そんな抵抗も虚しく彩の白バイが走り出す。
ウィンカーを点灯させ、駐車場に白バイを滑り込ませた。
駐車場には、白バイに跨ったまま固まる自分がいた。
感想頂ければ幸いです。




