婚約破棄
それから、孫四郎と小園は姿を見せなくなった。
安堵したが、茶屋での一件を朋輩に見られていたらしく、それが弓江の耳に入ったようで、姉に呼び出された。
半之丞には、長男と姉が二人いて、自分は末子であった。
長女はおっとりしていたが、次女の弓江はいつも弟に厳しかった。どうやら、あの時のかどわかし(誘拐)事件が尾を引いているらしい。もっと強くなれ、と云われるようになった。
今、目の前に襷がけをした姉の弓江が立っている。手には木刀が握られており、半之丞の構えの型をじっと目を光らせていた。
「姉上、少し休みませんか?」
体調を気遣って云ったつもりだが、彼女は首を振った。
「なりませぬぞ、半之丞」
打ちこみを始めてだいぶ日が傾いたが、いっこうにやめる気配がない。
半之丞は汗だくだった。
その時、縁側から女中が現れ、半之丞に客だと伝えた。
ああ、助かった、と半之丞は息をついた。
姉は不機嫌に女中を睨んだが、
「では、ここまでといたしましょう」
と、ようやく解放してくれた。
手がしびれていた半之丞は、木刀を下ろした。
「客とは誰だい?」
手拭いで顔を拭きながら訊ねると、林兵馬が来ていると云った。
友達の名前を聞くと、心が和んだ。
姉の相手は非常に疲れる。
すぐに着替えてゆくからと伝えて、井戸で汗を流した。
着替えて居間に行くと、兵馬が茶を飲んでくつろいでいた。
「待たせてすまない」
「いや、いいよ。弓江殿が来ていたんだな。相変わらずだね」
「まあね」
「今日はね、忠弥さんの屋敷でお祝いごとがあるんで呼ばれたんだ。一緒に行こう」
忠弥の名前が出たとたん、ドキドキした。
お祝いって何だろう。
忠弥と酒を飲み交わす。
想像しただけでのぼせそうだ。
そう思った時、あの日の冷たい顔を思い出して、急にずーんと気が落ち込んだ。
もしかしたら、女と茶屋にいるような軽薄な男と思われているかもしれない。
「いや、俺はやめておくよ」
「なぜだ?」
「気持ちは嬉しいけど、俺は誘われたわけじゃないし、ご迷惑かもしれないから」
「迷惑? そんなこと云われたのか?」
「云われていないけど、谷村殿の一件もあるし……」
「断られたのだろう?」
「うん……」
小園との婚約は破棄されたことは、みんな知っている。
「だったら、気にすることはないさ」
そうなのだが、あの日以来、なんとなく忠弥の態度が冷たいような気がしていた。
稽古をつけてくれるが、前ほど熱心に見てくれない。もしかしたら、見切りをつけられたのかもしれない。
そうだ。どうして気づかなかったのだろう。
本当は心よく思っていなかったのではないか。
「ありがとう。やっぱりやめておくよ」
「そうか? 忠弥さんは残念がるよ」
「そんなわけないよ」
笑ってごまかしたが、本当に残念がってくれたらどんなにうれしいか。
でもそれはない気がした。
兵馬を見送ると、半之丞は叔父の家に行こうと思った。
これ以上、姉の顔を見るのが辛かった。
姉もそうだったのかもしれない。
何も云わず許してくれた。
三浦家に着くと、夕餉のしたくをしていた。
叔父は、半之丞を見るなり、風呂敷包みを押しつけてきた。
「何ですか、これは?」
「成沢家に呼ばれたのだが、俺は行きたくない。お前が届けてくれ」
「えっ」
「成沢の妹の赤ん坊の百日祝いだそうだ」
忠弥に妹がいたのか。全然知らなかった。
風呂敷の中身はお赤飯だそうで、叔父の命令ならば従うしかない。
半之丞は、成沢家へ行く羽目となった。




