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いらだち



 最近、姿を見ぬな…。


 気づいたのは、秋も深まり紅葉が黄色く色づいた季節になってからだった。

 成沢忠弥は道場で汗を流してから、無意識にあの子供を探している自分に気づいていた。

 ここ数日、いや、もっと以前から、三浦半之丞の姿を見ていない。病で臥せっていることは、門弟たちから聞いて知っていたが、あえて、気にしてないふりをしていた。

 半之丞の友達である林兵馬も何も云わないところを見ると、大した病ではないだろう、と思っている。


「忠弥さん」


 呼ばれて振り向くと、笑顔の兵馬がいつものようにべったりと体を寄せてきた。


「終わったか」

「はい」


 幼いころから兵馬の面倒を見てきたため、弟のような存在だ。丸顔に愛嬌ある顔立ち、多少筋肉はついたが、ぽっちゃり体型の兵馬は憎めない性格の持ち主だ。


「お荷物お持ちいたします」

「構わぬ。それよりも、最近、三浦の姿を見ぬが元気なのか?」


 尋ねた途端、サッと兵馬の顔が気色ばんだ。


「あいつ、辞めたんです」

「は?」


 思わず足を止めて、兵馬の顔を見た。兵馬は俯いて、歯を噛みしめている。


「辞めた? なぜだ」


 驚きで、茫然としてしまった。

 まさか、あの子供が辞めるとは夢にも思わなかった。


「知りません。突然、自分は武道に向いていないから、勉学に励むことにするとか、わけのわからないことを云いだして。それで、今は口もきいていません」


 忠弥は顔をしかめると、鼻で大きく息を吐いた。兵馬がびっくりして顔を上げる。


「忠弥さん…」


 忠弥の顔付きが見たこともないほど恐ろしく思えて、兵馬は思わず後ずさりした。


「情けない男だと思っていたが、そこまで腐っていたのか!」


 吐き捨てるように云うと、ずかずかと歩き始める。井戸の方へ行き、思い切り水を浴びた。いきり立った体を静めるためだったが、なぜか、心がざわざわしていた。


「あの…」

「よい。俺が奴に話をする」

「でも、もう門弟ではないのですよ」

「知るかっ」


 忠弥はじゃぶじゃぶと自分に水をかけ続け、おかげですっかり体が冷えてしまった。それが、さらに忠弥を苛々させた。




 三浦の屋敷に行くのは二度目だ。


 確か、国元に帰って次の日だったように思う。あれから、あっという間に日が過ぎた。


 まさか、妹に赤子ができるなんて夢にも思わなかったが、妹も十八を過ぎ、自分も二十五を過ぎた。

 自分に縁談の話はまだない。

 そういえば、あの子供にはすでに許嫁がいたな。


 半之丞の事を思い出すと、思わず眉間にしわが寄る。

 なぜ、このように心がざわめくのか。

 きっと、過去にとらわれ過ぎている自分がいるのだろう。

 道場で半之丞を見た時、すぐに、さらわれた子供だと思い出した。



 成沢家には隠し事があった。それは長女の美津の存在だ。

 世間では次女の小雪が長女として通っているが、事実は違う。だから、美津の存在は成沢一族以外の者は誰も知らない。

 美津は今年で三十歳になる。

 六つ上の姉は十九の時に赤子を流産した。

 誰の子かいまだ分からない。姉は心の病に侵されており、誰にも知られぬよう母屋に閉じ込めていたのだが、見張りの目をすり抜けて町方へ逃げ出した。

 数日、行方が知れず、忠弥が必死で居場所を突き止めた時、見知らぬ子供がいた。

 その子供こそ、三浦半之丞である。

 彼は幼かったため、記憶があいまいのようだったが、自分はよく覚えていた。

 三浦半之丞は愛らしい子供だった。ぱっと見れば、女子にも見間違えそうだったが、しがみついた時の力強さは覚えている。



 気がつけば忠弥は三浦家の門の前に立っていた。約束もせず、黙って来たが、しかたあるまい。

 挨拶もなしに道場を黙って辞めたこと、説明してもらうまでは帰らぬつもりであった。


 門番に取り次ぐと、呼んでもいないのに現れたのは、小姓組頭、三浦みうら十太夫じゅうだゆうだった。


 十太夫は、切れ長の鋭い目でちらりと忠弥を見ると、何か用事か、とだしぬけに云った。

 忠弥は面食らいながらも、半之丞がいれば会わせて欲しいと頼んだ。

 十太夫は、細長い顎を撫でると考える顔付きをした。


「ふむ、半之丞に会いたいと。何故なにゆえ?」

「え?」

「何故に、半之丞と会いたいと申される?」


 まさか、ここで足止めを食らうとは思っていなかった。

 忠弥は苛々して目の前にいる男を睨んだ。


「いるのかいないのか、お聞きしておるのだが」

「いるにはいるが、お主には会いたくないと思うがの」

「は?」


 なぜだ。


 忠弥は、ますます顔をこわばらせ相手を睨みつけた。十太夫は飄々とした顔つきで頭をかくと、肩をすくめた。


「まあ、よかろう。お主が足を運ぶことなど、二度とあるまい」


 いちいち癇に障る男だ。

 忠弥は来たことを後悔し始めていた。しかし、いつかは対面しなくてはならないだろうとも思っていた。


「案内するから入れ」


 十太夫の物言いは誰に対してもこうなのだろうか。これが小姓組頭というものなのか。


 頭を悩ませついて行くと、客間に通されるかと思ったが、十太夫は長廊下を歩き、どこかの居間のふすまを開けた。

 中ではドタドタと走る音がしていたが、ふすまが開くなりぴたりと音が止まった。


「客だぞ」


 声をかけてずかずか入り、忠弥も後に従うと、畳に四つん這いになり、幼子を背負った半之丞が表情を固まらせてこちらを見ていた。

 幼子は女の子で二つか三つくらいに見えた。女子は、あんぐりと口を開けている半之丞にべったりしがみついて満面の笑みだ。


「あ、な、何故なにゆえ…」


 半之丞が体を起こすと、女子は膝に乗って満足そうに微笑んでいる。


「な、奈美、ごめんね。お客様がお見えになられているみたいだ…」


 おろおろしながら小さい子に話しかけると、女子は顔をくしゃりとさせると泣きだした。


「いやあーっ」

「後で遊んであげるからね」


 優しい声音で云っても、奈美と呼ばれた女子はいやいやと顔を振ってしがみついて離れない。


「よいよい、そのまま話をするがよい」


 ハハハと十太夫が笑う。


 おそらくこの奈美という幼子は、三浦十太夫の娘であろう。どう見てもしつけがなっておらぬ。


 忠弥は、頭が痛くなってきた。

 間に挟まれた半之丞は、白い顔をさらに白くして今にも引っくり返りそうだ。


「お、叔父上、なぜ、こちらに成沢様がおいでなのですか?」

「知らんわ」


 十太夫はそう云うと、奈美、と娘に声をかけた。


「ほれ、俺が遊んでやる」

「ちちうえー」


 奈美が小さい足で畳を蹴り、父に飛びついた。首にまわされた腕は二度と離すものかというくらい強く抱きしめている。


「これ、息ができんだろうが」


 笑いながら二人は部屋を出て行った。

 残された半之丞は茫然とした顔で頭を押さえ、忠弥もまた、このような展開になろうとは思ってもいなかった。






「た、大変、見苦しい姿をお見せ致しまして、申し訳ありませぬ」


 はっと気がつくと、半之丞が頭を床につけて謝っていた。


「いや、構わぬ。俺の方こそ、突然訪ねて申し訳なかった」


 忠弥はすっかり汗をかいていた。思いついて訪ねたばかりに、半之丞に迷惑をかけた気がした。


「すぐにお茶をお持ち致します」


 半之丞は部屋を出て行こうとした。忠弥はすかさずそれを押しとめた。


「待て、茶はいらぬ」

「え…?」


 不安そうな顔でこちらを見上げる。

 彼はいつも自分をおびえたような顔をしていた。

 それも奇妙に思っていた。


「今日はそなたが道場を辞めた理由を聞きに参った」


 そう云うと、半之丞の顔がこわばった。すぐに目を逸らされる。


「目を逸らすな」


 つい、厳しい口調で云うと、半之丞はこくりと頷いて顔を上げた。まっすぐに見つめる目には表情がない。

 忠弥は思わずドキリとした。


「黙って辞めましたこと、申し訳ありません。今さらながら、私は武術に不向きであることにようやく気付いたのでございます」

「それは誰が決めたのだ」

「え?」

「お主が不向きかどうかは俺が決める」

「そんなっ」


 半之丞が泣きそうな顔で首を振った。


「ご勘弁くださいませ。私はもう門弟ではございませぬ」


 きっぱりと拒否された。

 忠弥にはさっぱり意味が分からなかった。


「なぜだ。何かあったのか?」

「何もありませぬ」


 即座に答える。

 これでは何かあったと云ったも同然だった。


「俺には云えぬのか」


 卑怯な尋ね方だったが、瞬間、半之丞から表情が消えた。


「お答えする義理はございませぬ」


 半之丞は黙って目を伏せた。


 あれほど自分に憧れていたという子供がなぜ急に離れていこうとしているのか。その理由がまったく思いつかなかった。

 これまで冷たい態度を取ったのが悪いのだろうか。


「どこかの道場へ入るのか?」

「いいえ」

「しかし、いずれ家督を継ぐのであれば、何かしらの武道は身につけねばならんだろう」


 半之丞は何も答えない。

 忠弥はじれったさに苛々した。

 こんなに頑固な子供だったのか。外見とは裏腹に芯の強さはあるらしい。


「では、俺が稽古をつけてやろう」


 喜ぶだろうと思って云ったが、半之丞はがばっと顔を上げた。その顔は恐怖に顔を歪め、こちらを睨んでいるように思えた。


 半之丞はごくりと唾を飲むと、声を震わせた。


「なぜですか? 何か悪さをしたでしょうか。成沢様は私を気にかけることなど露ほどもないはずなのに」


 なんと大げさな。


 笑いそうになったが、半之丞は本気で云っているようだった。


「とにかくお前は未熟だ。しばらくは稽古をつけてやるから、ありがたく思え」


 忠弥はそれだけ云うと、魂の抜けたような半之丞を無視して部屋を出た。門を出る時も、見送りは誰もなかったが、思わず顔がにやついていた。


 あの子供をいじめるのは、楽しいかもしれぬ。


 やんちゃだった幼心に戻った気がした。




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