表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
酒は飲まんよ。真剣な話があるんだ。  作者: 春野セイ
第三章 そうだ。湯屋へ行こう!
PR
22/23

憧れ



 久しぶりの湯屋に満足して二階へ上がると、忠弥がのんびりと外の景色を眺めているところだった。

 半之丞はまたもやドキリとした。

 ああ、まだいらしたのだ。

 嬉しさに半之丞の心ノ臓が激しく打ち始める。

 一方、兵馬は顔を明るくさせると、いそいそと忠弥のそばに行った。


「いい湯でしたね」

「ああ」


 半之丞は心の準備をしていなかったため、先程と同じように喉がカラカラになってしまっていた。

 声を出さなきゃ、と思うのだが、いつもと違う状況に緊張する。

 すると、忠弥の方が気を利かせたのか、半之丞に隣に座れと声をかけてきた。


「お主、まさか、まだ俺に慣れぬのか?」


 率直な物云いが忠弥らしい。

 呆れたような顔をしていたが、怒っている風ではない。

 半之丞は、咄嗟に謝りかけて言葉を探した。

 いやいやここで謝ってはいけない。


「仕方がないですよ。半之丞は幼い頃からずっとあなたに憧れてますからね。忠弥さんだって覚えがあるでしょう」

「は? なんの話だ?」


 兵馬が横から口を挟んできたが、要領を得ない。

 半之丞は胸が暗くなった。

 知らなかった。

 忠弥さんに誰かいい人がいたのだろうか。


「ほら、堀内道場のお嬢様」

「ああ……!」


 忠弥が思い出したように膝を叩いた。


「昔の話だ。もう、何年になるかな。カナ子様は五つ年上で、俺が門弟になった頃には皆伝を貰っていた」


 忠弥が笑っている。半之丞はその笑顔に見惚れた。


「ん? それと同じか? まあ、確かに、俺もあの頃はカナ子様を目にすると緊張したな」

「そ、その方は美しかったのですか?」

「ん?」


 半之丞が思わず声を上げてしまうと、忠弥がこちらを見た。


「そうだな。体の線もほっそりしていて小柄だったが、剣の速さは誰もついていくことができなかったな」


 美しさの答えではなかったが、忠弥にとって憧れだったのだろう。

 話ぶりからそれが感じられた。


 相手は女性、自分は男。

 忠弥が憧れた相手が女性であったのは意外であったが、どう転んでも半之丞には勝てる見込みはない。


「そ、そうでしたか……。よほど美しい方だったのですね」

「あら? そうでしたの?」


 突然、半之丞の背後から女の声がして、一同はそちらを見た。

 すると、かなり恰幅のよい、いい感じに横に広がった武家の女性が、風呂敷つつみを抱えた女中を従えて立っていた。年は忠弥よりもいくつか上に見える。


「おお、カナ子殿かっ」


 忠弥の顔が見たこともないほど破顔はがんした。半之丞は息を止めた。


「今、貴方あなたの話をしていたところです。ところで、どうしてここに? まさか、お一人で湯屋へ参ったというんじゃあ、あるまいな」

「ここにちゃんと共の者がおりますよ」

「この時刻に女子おなごは珍しいからな」

「あら、わたくしはもっと早くから来ていたのです」


 久しぶりに会ったのに、二人の会話はトントンと弾むようだ。


「聞きましたぞ。カナ子殿のご息女も剣の腕が立つとの噂が」

「唐突ですのね。どこからそのような噂が? それに成沢様らしくありませぬ」

「俺らしくないとは?」

「そのような噂を信じるようには思えません。そもそも、わたくしの娘どころかまだ一人も生んでおりませぬが」

「そうか、それはすまんかった」


 全然、すまないと思っていないように豪快に笑った。

 そばで話を聞いていた半之丞は、忠弥が珍しく饒舌だなと思い、胸がツキンと痛んだ。

 そもそも忠弥は女好きである。

 茶屋にはなじみの女、お染だっているのだ。

 自分は焼き餅を焼く資格もない。


「では、成沢様、もし、わたくしのお子が産まれたら、男でも女でもあなたの弟子にしてくださいますか?」

「え?」


 一瞬、カナ子の頬が染まった気がした。

 半之丞は、忠弥がどのように答えるかハラハラしながら見守った。

 すると、忠弥は頭を掻きながら困ったように答えた。


「ああ、それは難しいな」

「……え?」


 断られると思わなかったのだろう、カナ子がきょとんとした。


「すまぬ。今はこいつのことで手がいっぱいでな」


 と、半之丞の腕を取った。


「男にすると約束をしたのだが、これこの通り軟弱すぎていつになるやら分からん」


 半之丞は取られた手のたくましさにドキドキした。

 風呂上がりで火照った体がさらに熱くなる。


「も、申し訳ありません……」


 小声で謝ると、カナ子がこちらを射抜くように見た。


「カナ子様は湯屋にお背中流してもらいに来たのですか?」

「は? 一体何のこと?」


 突然、横から兵馬が間抜けな事を云いだす。


「三助じゃなくても、こちらの湯屋であれば、きっと湯女でも運気が上がるんじゃないですかね」

「お主ら、それが目的か」

「そんなの出鱈目でしょ」


 カナ子が鼻で笑った。


「いいえ!」


 突然、半之丞が声を出すので、忠弥もカナ子もびっくりした。


「真実ですよ。だって、俺……。ここに来ただけでこんなに……」


 恥ずかしくて次が云えない。

 忠弥が苦笑している。


「そう言えばお主、以前に俺の背中を流したいと申しておったな」

「は、はい」

「ならば、今度頼むぞ。その時もまだ、軟弱なままでは許さんからな」

「は、はいっ」


 半之丞は答えながら、もうこのままでいい、と思った(いや、駄目だろ)。

 カナ子はふんと鼻で息を吐くとそのまま階下へ降りていった。

 兵馬はニコニコしながらいつものように、よかったな、俺のおかげだなと半之丞の背中を叩いた。


 初めて、兵馬が友達で本当に良かった、と半之丞は思った。

 そして湯屋へ来てよかった、と心から笑った。



第三章 そうだ。湯屋へ行こう! 終わり

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ