いい湯だねー
湯気がもくもくと立ちこむ中、忠弥の声がする。
半之丞はぴんっと背中を伸ばした。
「お主らも来ていたのか」
「忠弥さん、今日は非番でしたね。会えないと寂しいですよ」
兵馬が三助に肩を揉んでもらいながら、さらりと云う。
そ、それ、俺も云いたい、と半之丞は先程とは真逆のことを思ったが、云えるものなら云ってみろである。
「休みとはいえ、体を鍛えんと一日が始まらんのでな。汗もかいたし、久々にゆっくり湯に入りに来たわけよ」
「俺は運を上げてもらいにきたんです」
「へえ……? それはまた……」
忠弥が返事に困っている。
半之丞は心ノ臓をバクバクさせながら、顔を動かすことすらできなかった。
いや、ここでためらっていては男じゃない。
以前、忠弥のために背中を洗って差しあげたいと思ったではないか。
半之丞は覚悟を決めて顔を上げた。
男前な上に盛り上がった筋肉を見てくらくらする。
自分の腕が楊枝に見えて、比べた途端、ガクッとうなだれた。
忠弥はさっさと体を洗ってしまうと、俺は先に入るぞ、と柘榴口へと向かってしまった。
話しかける機会を失い、茫然自失の半之丞。すると、三助が隣で大きなため息をついた。
「いやー、成沢の旦那は野郎の俺が見てもいい体つきでいらっしゃる。あれほど見事な体躯の方はそうはいねえ」
「ですよね~」
と兵馬が頷く。
「惚れちまうよ」
三助の褒め言葉に、半之丞は顔を上げた。
「や、やはり、忠弥さんは誰の目から見ても素晴らしい方なんですね」
「そりゃあ、ねえ。大勢の体を洗っているあっしが云うんですから、間違いねえ!」
「そんなに、すごいんですね……」
半之丞は自分の目に狂いはなかったのだと、と今さらながら思った。
忠弥さんに惚れてる男は自分だけではなかったのだ。
ああ、あの時、背中を洗わせてください、とひとこと云えたら。
「かたくてしなやかな筋肉、触らせてもらえるだけでありがてえことです。成沢様は滅多に頼みませんからねえ」
「えっ? そうなのですか?」
半之丞の食い付きがいいので、三助は調子に乗ってペラペラと話し始めた。
「そりゃあ、そうですよ。江戸まで行って帰国されるだけでも骨が折れるってえのに、非番の日まで鍛えてるったあ。そりゃあ、どこもかしこもいい感じに鍛えられてるでしょうし、あっしの知っている世間なんて、湯屋ぐらいなもんですがね」
「半之丞、そろそろ俺たちも湯に入りに行こうよ」
珍しく、兵馬の方から急かすように声をかけてきた。
そうだった。
忠弥はすでに向こうへ行っていたのだ。
「じ、じゃあ、湯に浸かりに行って参ります」
「いってらっしゃいまし!」
三助がさらに目を細めてにっこり笑った。
今日はなんてついてる日なんだろう。
半之丞は心から思った。
石榴口をかがんで通り抜けると、入り口の向こうはもう白煙で見えない。
みんながぶつからないように声を掛け合い、半之丞は兵馬から離れないよう、声と姿を追いかけた。
人の空いている場所があり、二人はそちらの湯の中に入った。
熱めの湯で腹の辺りほどまで浸かると、ほっと息が漏れた。
「いい湯だねー、半之丞」
「うん……」
忠弥さんは、もういらっしゃらないか。
半之丞は見渡せる範囲を探して見たが、忠弥の姿はなかった。
そりゃあ、あんまり長湯したらあたるだろうし。
半之丞は内心がっかりもしたが、半分安堵していた。
今日は顔を見られたし声もきけたし、これ以上云うことはない。
忠弥がここの湯屋を利用していると知っただけでも儲けものだ。
それからゆっくり湯に浸かり、兵馬と共に湯から上がった。




