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酒は飲まんよ。真剣な話があるんだ。  作者: 春野セイ
第四章 一話読み切り短編 
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見え透いた嘘と半之丞



 またいなくなっている。


 夕刻からの稽古が終わり、門弟もんていたちが帰る頃、ふと気づくと成沢なるさわ忠弥ちゅうやの姿がないことに三浦みうら半之丞はんのじょうは気づいた。

 おそらく常に自分は忠弥の姿ばかり追っているからだろう。

 気づいている者はいないらしかった。


「半之丞、帰ろう」


 友達のはやし兵馬ひょうまがにこにこ顔で声をかけてきた。


「うん」


 片づけをしながら兵馬に、忠弥がいなくなっている話をした。


「ああ、そういえば時々姿がないねえ」


 兵馬はなんでもないことのように答えた。そして、呆れたように半之丞に言った。


「忠弥さんのことが好きなのは分かるけどさ、ほどほどにしないと疲れるぜ」


 忠弥にべったりなのはお前もじゃないかと云いたいのをぐっと我慢して、兵馬の云う通り気にしないことにした。

 一人になりたいというのは誰にでもあることだ。

 あんまりつきまとっているとほんとうに嫌われるかもしれない。


 半之丞は道場を出て武家町へまっすぐ戻るつもりだったが、まだ空もうす青く風も心地良いので、久しぶりに河原の方へ行って景色を楽しんで帰ろうと思いついた。

 兵馬はそのまま帰るというので、二人は途中で別れた。


 半之丞は何も考えず土手の方へ歩いて行くと季節はもうすっかり秋に近いのか、曼殊沙華がたくさん咲いていた。


「ああ、だいぶ涼しくなったものな」


 ひとりごちて赤トンボが飛んでいるのを目にする。

 気持ちがいい。

 ふっと立ち止まり大きく息を吐いた。

 土手の下を流れている川の方へ降りようと、ススキの生える場所を突き進んだ。

 ゆらゆら揺れるススキの穂をさわり、根元から一本引き抜いては捨てて、さらに川へと近寄った。

 すると、ススキ野原の一部分がへこみ人の足がのぞいている。

 あまりに驚いたので、申し訳ありません、とあわてて謝った。

 すると、足の主がむくりと起き上がり、なんだお主か、と聞き覚えのある声がした。


「ち、忠弥さんっ」


 なんでこんなところで横になっているのか。


「まあ気にするな」


 半之丞だと分かると、忠弥はごろりと横になった。

 ススキの穂が揺れる音がかすかに聞こえ、静かな時が流れ始める。

 このまま立ち去るべきだろうが、半之丞は足が動かず、自分でも驚いたが隣に座っていた。

 空を仰いだまま、忠弥が云った。


「俺が……ここにいたなんて誰にも云うなよ」

「え?」

「たまに一人になりたくてな。時々だ。だからみのがしてくれ」

「はい」

「それで? なんでお主はここにいるんだ?」

「わたしはただ、空が青いので川のあたりを歩こうと思ったんです」

「ふうん。そうか」

「はい」


 半之丞はそう云ってから、しまった、と思った。

 川辺を歩くと云っておいて隣に座るやつがあるか、と云われそうだ。

 おそるおそる隣を見ると、忠弥は寝ていた。


「寝てる……」


 何も云われないのをいいことに隣に座ったまま、自分は動かなかった。

 そして忠弥の顔をじっと見る。

 日焼けした顔。精悍な顔立ち。

 帰国してから少し筋肉が落ちたと云っていたが、日頃から鍛えているのはよく知っている。

 道場ではあんまり見つめることもできないので、眠っている姿に見入ってしまった。


「そんなに見られると穴が開く」


 いつから起きていたのか、忠弥が頬をぽりぽりと掻いて苦笑した。

 むくりと起き上がり半之丞を見た。


「俺の顔に何かついていたか?」

「あっ、い、いや、そのトンボ。赤トンボが鼻の先に止まっていたので」


 嘘をついてしまった。忠弥がそれを聞いて大笑いをした。


「トンボか。確かにトンボがたくさん飛んでおるの」


 見え見えの嘘を見逃してくれる。

 半之丞は恥ずかしさのあまり立ち上がった。


「か、帰りますっ」


 本当はもっとそばにいたい。

 忠弥のことをもっと知りたい。けど、それを云う勇気がない。


「待て、半之丞」


 さっと手首をつかまれる。大きな手のひらからは逃れられなかった。


「もう少し俺に慣れたらどうだ。いちいち怯えられるとこちらも気分が悪い」


 気分が悪いと云われて青ざめる。


「申しわけ……」

「謝るな。俺は何もしないし、ふつうにしたらいいさ」


 そうはいっても身分の差というものがある。

 忠弥は誰に対しても優しいが、半之丞が過剰に反応してしまうのは、あこがれが過ぎるからだ。

 こればかりはすぐには直せない。


「そのうち……慣れると思いますから、どうか勘弁してください……」

「ん? 何か云ったか?」

「いいえ。ひとりごとです」

「好きにしろ」


 このやりとりを何度やったことだろう。

 一緒にいるとたまらなく嬉しいのに、忠弥のひとこと一言に心が震え動揺し迷ったりそわそわしたり。

 そして、最後にはへとへとになる。


 この人はそれを分かっていない。

 そう思いながらも離れることができない。


「風が出てきたな」


 忠弥がようやく起き上がった。


「帰ろう」


 袴にススキの穂をくっつけて忠弥が伸びをして云う。

 半之状はそれがおかしくて少し笑った。

 忠弥は首を傾げただけだった。


 帰り道、少しだけ忠弥のことを知った。

 甘いものは嫌いじゃないとか実は酒にはあんまり強くないとか。

 寄り道をしてよかった、と半之丞は思った。


第四章 一話読み切り短編「見え透いた嘘と半之丞」  終わり

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