馴染みの居酒屋
忠弥は馴染みの居酒屋に向かった。
道場から近いのでよく朋輩と呑みに行く店だ。
暖簾をくぐると、元気な女の声がした。
「いらっしゃいまし! あら、忠弥さま。今日も来てくれたんですか」
「うん」
刀を差したまま床几に座る。
兵馬は自分の隣に座り、半之丞は兵馬の前に座った。
半之丞の顔色はすでに悪く。今にも外へ飛び出して行きそうだ。
「酒を頼む」
「あい」
女が奥へ引っ込み、忠弥は半之丞を見た。今は俯いている。
「三浦はこういう場所は初めてなのか?」
「はい。こいつ、酒も呑んだことないんですよ」
代わりに兵馬が答える。すると、半之丞がきっと目を上げた。
「私はお酒など呑みたくありません」
きっぱりと云い、突如立ち上がろうとする。
「えっ? ちょ、ちょっと半之丞っ」
焦って兵馬が止めようとすると、酒を持ってお染が現れた。
忠弥を見て切れ長の目を細めるとにこりと笑った。
「お待ちどおさま」
「おう」
「また、来て下さったんですね」
お染が嬉しそうに云って酒とつまみを飯台へ置いた。
そばに来た女の体からはいい匂いがした。
「こいつらにうまいものを食わせてやってくれ」
「はい。あら?」
そう云って、お染は目をパチクリさせた。うなだれている半之丞に気がつく。
「どうかなさったの? 気分でもお悪いのですか?」
「お主があまりに美しいので緊張しているんだろう」
忠弥が云ったが、半之丞は動かない。
お染は心配そうに近づいて、そっと背中を撫でた。
「大丈夫?」
優しく問いかけられて、半之丞が顔を上げた。
「まあ、綺麗なお顔」
半之丞の顔がカッと赤くなった。まだ酒も飲んでいないのに目が潤んでいる。
「ねえぇ、この方とてもしんどそうですよ」
「こいつはいつもこんな顔だ」
「でも……」
お染はそう云うと半之丞の背中を撫でながらそっと耳元に囁いた。半之丞が顔を上げて頷いている。
それから何も云わずすくっと立ち上がると、あっけに取られている忠弥と兵馬を置いてさっさと店を出て行ってしまった。
「あっ、待てっ」
「忠弥さま」
お染がそっと腕を取って絡ませてきた。
「離せ」
「嫌です。あなたの悪い癖ですわ」
「なに?」
忠弥がドキリとしたように体をこわばらせた。
「からかってらっしゃるんでしょう? あの方、震えていましたよ」
「男のくせに情けない。お染、あいつに何を云ったのだ」
「気分がお悪いのなら、無理してここにいなくていいんですよって云ったんです。だって、気分が悪いのにお酒を呑むなんて」
お染がため息をついた。
「あたしだってヤですよ」
思惑がすっかり外れて、忠弥はますます苛立ったが、一緒にいる兵馬はあまり気にしていないようだった。
「忠弥さん、早く食べましょうよ」
あどけない顔でにっこりと笑った。
暖簾をくぐって出て行った半之丞の事など、最初からいなかったかのような態度だ。
「お主……友達ではないのか?」
「あいつ、よほど嫌だったんですね」
半之丞に居酒屋で逃げられて、むしゃくしゃしたまま兵馬とお染と共に酒を呑んだが、何か物足りない。
せっかくいろいろと話を聞く機会だったのに、逃げるとは卑怯な。
何故自分を避けるのか全く理解できなかったが、兵馬はすぐに酔ってしまうし、お染は話を静かに聞いてくれたが、明言せず黙っているだけで、その上何か思案しているようだった。
忠弥が聞いても、あたしにはさっぱり分かりません、とはぐらかした。




