第4話:ギリシャ神話
扉の先は一面が星空のような壁紙で覆われた部屋だった。
星たちは蛍光塗料のようなもので描かれているのだろうか、きらきらと瞬くように光っている。床すらもそんな感じなので、なんだか自分が、宇宙空間の只中に佇んでいるかのような錯覚を覚えた。
最初は暗かったのでわからなかったが、次第に目が慣れてくると、そこがなにかの乗降口になっているのがわかる。左右に外に通じる回廊のようなものがあり、一段低くなっているところにはレールがある。
早い話が遊園地のライド系アトラクションによくあるような作りなのだ。
「こちらは『ゴルゴンのお話』というアトラクションです。カートに乗っていただき、神話の世界を旅することができるんですよ」
いつの間にやら、ぽつんと手に駅員が持っているような吊り下げ型の懐中電灯を携え、ツクミがにこりと笑った。
「さあ、コースターが参りました。コースターとは言っても、そんなに早く走るものではありません。ゆったりとお楽しみください」
ガタガタと音を立てて、右手からツクミが言う『コースター』がやってきた。ペガサスを模しているのだろうか、全体的に白色を基調としており、馬のような頭、そして羽の飾りがついた乗り物だった。
『ペガサス』がボクの前で止まった。
「どうぞ」
ツクミに促されるままに乗り込む。席は前に2つ、後ろに2つだった。四人乗りのようだ。
ボクが前に乗り込むと、ツクミが後ろに乗り込んできた。
「え?君も乗るの?」
「はい、このライドは『案内役』が必要なので」
某テーマパークでもスタッフが乗り込むライド系のアトラクションもあるので、そういう感じなのかもしれない。
ツクミが乗り込み、『ペガサス』のサイドの扉をしっかりとロックすると、彼女が手にしたランプを少し上げて見せた。
「では、出発します。神話の世界⋯お楽しみください」
☆☆☆
【ゴルゴンのお話】
昔、ギリシアにゴルゴンという、美しい娘がいました。
ゴルゴンは生まれる前に神様から特別な力をもらっていました。その力は、育つにつれて強くなり、国のため、みんなのために役立つはずでした。
ところが、ゴルゴンの父親と母親は心が醜い人たちでした。毎日、ゴルゴンに『お前はぐずだ』『なんてダメなヤツなんだ』などと、悪い言葉ばかりをかけ続けました。ゴルゴンの心の中には次第に悪い言葉が溜まっていきました。
悪い言葉はゴルゴンの心を次第に黒く染めていきました。心の奥底に澱のようにたまった悪い言葉は、次第にゴルゴンの心から溢れ出すようになりました。ゴルゴンは大きくなるに連れて周囲の人に悪い言葉を言うようになっていったのです。
ゴルゴンには神様の力がありましたので、その言葉は普通の言葉よりも人の心を傷つける力が強かったのです。ゴルゴンの言葉は鋭く人の心をえぐり、時には真実さえも捻じ曲げるほどの力を持ちました。
なので、周囲の人はゴルゴンを恐れ、避けるようになっていきました。ゴルゴンの父親と母親は年老いて死んでしまいましたが、ゴルゴンの心の中の悪い言葉は減ることはありませんでした。
むしろ、ゴルゴンが周囲の人に悪い言葉を投げかけるので、村の人も友人となるべき人もゴルゴンを恐れ、彼女を遠ざけようとしたり、逆に彼女を傷つけるような言葉を投げかけさえするようになったのです。ゴルゴンはその言葉を飲み込んで、更に心を黒くしていきました。
ますます心が黒くなったゴルゴンは、どんどん醜い姿になっていきました。目は赤く燃え上がり、口から吐く息さえも毒を帯びるようになりました。ゴルゴンの吐く息を浴びると、花は枯れ、蝶も死んでしまいます。ゴルゴンが住む家の周りには、岩ばかりがゴロゴロ転がる不毛の大地が広がるようになりました。
☆☆☆
ライドが進むと、機械仕掛けの人形が現れ、シーンを再現し、柔らかな女の人の音声で物語が語られる⋯。これはそういうアトラクションのようだった。
一旦、ライドが止まった。
また、きらきらと星たちがきらめく宇宙にボクらは投げ出された。
「いかがですか?今のが、ゴルゴンのお話の【第一部】です」
「なんだか、ゴルゴンが可哀想です」
生まれたばかりのゴルゴンは神様の力を得ていたというだけあって美しい少女の姿だった。それが、父母の口から吐き出される黒い煙、周囲の人から浴びせられるねっとりとした汚れた水のようなものを身に受けている内に、次第、次第に醜い姿に変わっていったのだ。
それは、なんだか胸が締め付けられるような感じがした。
「さあ、『ペガサス』が動きますよ」
ガタン、とひとつ揺れると、ボクらを乗せたライドが動き始めた。
ツクミが言うには、次は【第二部】だそうだ。
☆☆☆
ずっと孤独に過ごしていたゴルゴンは、ある日、一人の幼い妖精マーシャに出会いました。マーシャは金色の羽を持ち、光り輝く柔らかな薄い服を着ていました。亜麻色の髪は可愛らしくカールし、その微笑みは、どんな人でも幸せにする魔法の力を持っていました。
ゴルゴンはマーシャに声をかけました。マーシャといるとゴルゴンは、少しだけ昔の美しい姿に戻っていたのです。口から吐く息も、その毒が薄くなりました。顔も優しくなりました。
彼女はマーシャを自分の娘のように可愛がりました。マーシャの母親オケアニデスは、ゴルゴンと一緒にマーシャを育てようと思いました。
しかし、ゴルゴンの心の中の悪い言葉たちはなくなってはいなかったのです。その言葉たちはじわじわとゴルゴンの口から溢れ出し、マーシャやオケアニデスを苦しめました。マーシャの金色の羽は灰色にくすみはじめ、その微笑みの魔法も弱くなっていきました。
そんなマーシャの様子を心配したオケアニデスは、英雄ペルセウスに相談しました。話を聞いたペルセウスは、祭壇を立て、記憶の神ムネモシュネに祈りを捧げました。ムネモシュネはペルセウスに、ゴルゴンの黒い心の秘密を教え、彼にアポロンの神殿に行くように告げました。
「ゴルゴンの黒い心が癒えるかわからない。けれど、それを癒せるとしたら治癒の神、太陽の神アポロンをおいて他にないだろう」
ペルセウスは翼のある馬ペガサスに乗り、アポロンの神殿に行きました。そして、神殿でアポロンに祈ったのです。
その夜、アポロンが夢に立ち、こう告げました。
「わが太陽の光を込めたオーブを持っていくがよい。神殿の西に生えている薬草で薬を作るがよい。太陽の光をゴルゴンが受け入れ、薬を飲み干せば、その心はきっと癒えるであろう」
ペルセウスは言われたとおりにオーブを持ち、薬を作ると、すぐさまペガサスに飛び乗り、ゴルゴンたちが住む谷に向かいました。
ペルセウスはゴルゴンに言ったのです。
「あなたの心を癒やしに来た。あなたの心の悪い言葉を取り除きに来た。
さあ、このオーブを手に持ち、このアポロンの薬を飲んでください」
「誰がお前に私のことを言った!」
ゴルゴンが言いました。それはそれは恐ろしい声です。顔は醜く歪み、その息は馬で一昼夜かけるほどの距離の草木を枯らしてしまうほど強い毒を帯びていました。
「私の心が醜いとでも言うのか!」
ゴルゴンはオーブを払い除け、薬の入った壺を割りました。その恐ろしい言葉の力に、さしもの英雄ペルセウスもたじろぎ、慌ててペガサスで逃げ出したのです。
ペルセウスはもう一度、ムネモシュネに祈りました。ムネモシュネはペルセウスの祈りに応えて言いました。
「掟の女神テミスを訪ねるが良い。良い方法を教えてくれるだろう」
こうしている間にも、ゴルゴンの毒はマーシャとオケアニデスを傷つけ続けました。ペルセウスは眠る間も惜しんで、はるか遠くにあるテミスの神殿を目指しました。
七日七晩飛び続け、やっとのことでテミスの神殿にたどり着くと、ペルセウスはテミスに祈りました。テミスはペルセウスにこう告げました。
「我が掟の力を込めた錫杖を貸し与えよう。ゴルゴンを北の山に封じ込めよ」
ペルセウスはテミスの錫杖を借り受けると、大急ぎでゴルゴンたちの住む谷に駆けていきました。ゴルゴンは自らの醜さをペルセウスやアポロンに触れ回られたと思い、オケアニデスをひどく責めていました。そのあまりの恐ろしい声にオケアニデスは今にも死んでしまいそうなほど弱っています。その様子を見ていたマーシャも、ゴルゴンの吐く息のためにみるみる弱っていきました。
谷に到着したペルセウスはゴルゴンに錫杖を振りかざして告げました。
「掟の女神テミスの名のもと、汝を裁こう。罪なきものを傷つけたる咎により、汝を北の谷へと追放する。これは女神テミスの命である」
神の力が錫杖から光となって溢れ出します。これにはゴルゴンもたまらず叫び声を上げました。
テミスの錫杖の光はゴルゴンを強く照らし、その身体をたちまちのうちに北の山へと追いやってしまいました。そして、そのままゴルゴンを雪が分厚く降り積もる山に封じ込めてしまったのです。
今までゴルゴンの毒を恐れていた国の人々は皆喜びました。
マーシャとオケアニデスは随分と弱っていましたが、ペルセウスが必死に介抱したおかげですぐに元気を取り戻しました。
こうして、国に平和がもたらされたのです。
☆☆☆
『ペガサス』が岩山のようなところに止まりました。
振り仰ぐと、大きな満月が辺りを青く照らしています。
見渡す限りの荒野の先に、白く雪と氷に閉ざされた山が見えました。
「ゴルゴンは、死んでしまったの?」
ボクは尋ねました。国中の人が歓喜に酔いしれ喜んでいましたが、なんとなく、胸がつかえたような気持ちになっていたのです。
「封印した⋯ということは、死んではいない、ということではないでしょうか?」
「これから、どうなるの?」
「ふふ⋯気になりますか?」
ツクミが笑うと、ライドが動き出した。
どうやらまだお話は続くらしかった。
【第三部】が幕を開ける。
☆☆☆
マーシャとオケアニデス、ペルセウスは、それから幸せに暮らしていました。
しかし、オケアニデスの心は晴れませんでした。確かにゴルゴンにはひどい目に合わされましたが、彼女がマーシャに優しくしてくれたのも本当のことだと知っていたからです。
そんなゴルゴンは今、寒い北の山にたった一人で閉じ込められているのです。
オケアニデスはテミスの神殿まで旅をしました。そして、女神テミスに祈ったのです。
「どうか、ゴルゴンを解放し、癒す道を示してください」
テミスは告げました。
「では、北の山に入るための許可を与えよう。ただし、そこから先はお主の力で進むしかない」
それを聞いて、オケアニデスは喜びました。
オケアニデスの願いで、彼女を北の山の麓まで連れて行くと、ペルセウスは言いました。
「これ以上は私も同行を許されていない。ここからはお前一人で行かなければいけない。これを持っていくといい」
彼の手には、かつてアポロンから授かったオーブがあったのです。
「アポロンが言っていた。ゴルゴンのもとについたら、このオーブを割りなさい。そうすれば、その一瞬、太陽の光が溢れ出す。太陽の光はすべての悪い空気を追い払い、その時になら、そなたの言葉がゴルゴンに届くだろう、と。」
オーブを受け取るとオケアニデスは吹雪の吹き荒れる北の山を登り始めました。
北の山は、封じ込められたゴルゴンの口から溢れ出した悪い言葉と毒気が満ちていました。それは神々ですら命を落としかねないほどの酷い有様でした。しかし、ペルセウスが授けた癒しの神アポロンのオーブの加護がオケアニデスを守りました。そして、オーブの光は、まっすぐにゴルゴンのいる方を指し示し、ひどい吹雪の中でもオケアニデスが道に迷うことはありませんでした。
ついに、オケアニデスはゴルゴンのもとにたどり着きました。
ゴルゴンは吹雪の中心で、怒りとも嘆きとも付かない表情を浮かべ、苦し気な声でうめいていました。彼女はオケアニデスを見ると、とたんに目を真っ赤に血走らせ、髪の毛を逆立てて天にも届くほどの大声で怒鳴りました。
「オケアニデス!私からマーシャを奪った!私を閉じ込めた女!」
オケアニデスは恐怖で足がすくみました。しかし、勇気を出して、手に持ったオーブを大地に叩きつけて割ったのです。オーブからは太陽の光が溢れ出し、一瞬で辺りの悪い空気を払い除けました。
恐ろしいゴルゴンの顔も光に照らされ、怒鳴り声が一瞬やみました。
オケアニデスは、力の限り叫びました。
「ゴルゴン!私はあなたのことが恐ろしいけど、あなたにたくさん傷つけられたけど、私はあなたがマーシャに優しかったことを知っている。私に優しかったことも知っている。どうか、悪い言葉を使うのをやめて!ここから出ましょう!」
ゴルゴンはオケアニデスの言葉を聞きましたが、たちまち表情を歪め、その顔を睨みつけました。
「お前はペルセウスと共に私を悪魔に仕立て上げたのだ。私を閉じ込めるために!」
ゴルゴンは金切り声を上げました。オーブの光の力が徐々に弱まり、オケアニデスを守る力もなくなりました。ゴルゴンの口からは再び毒が溢れ出て、周囲に満ちました。この毒を吸い込めば、いかな妖精のオケアニデスであっても死んでしまいます。
「オケアニデス!」
声がしました。振り返るとペガサスに乗ったペルセウスが天から舞い降りてきます。毒気が襲いかかる寸前、ペルセウスはオケアニデスを抱き上げ、ペガサスで飛び去りました。
オケアニデスが振り返ると、ゴルゴンは彼女たちを睨みつけ、恐ろしい声で何ごとかを叫び続けていました。
「ペルセウス。私はゴルゴンを救えなかった。私の声は届かなかった」
「オケアニデス。アポロンのオーブを使ってもなお、ゴルゴンの心に光は届かない。どんな神の力でも適わぬということだ」
北の山から逃げ出した二人ですが、女神テミスの掟を破ったことで、ペルセウスはペガサスを失い、また、ゴルゴンの毒に侵され、その右腕は動かなくなってしまいました。
オケアニデスは心配しましたが、ペルセウスは
「左腕は盾を持つ腕。お前たち二人を万軍の敵から守ることはできる」
と、言うのでした。
☆☆☆
危機一髪の救出劇に、ボクはほっと胸を撫で下ろした。機械仕掛けとわかっていてもなお、ゴルゴンの表情も声もとても恐ろしいものだった。
「なんで、ゴルゴンに声は届かなかったの?」
神様の力だったのに⋯オケアニデスは救いに行ったのに。
後ろに座っているので、ツクミの表情はわからないけれども、なんとなく気配で、彼女が微笑んでいるような気がした。
ボクらの『ペガサス』は更に進んでいく。
ストーリーは【第四部】に続いていく。
☆☆☆
ペルセウスはオケアニデスとマーシャと共に暮らしていました。
マーシャは美しい娘に育ちました。オケアニデスは時折ゴルゴンのことを思い出すのですが、あの恐ろしい日のことを思い出すと、とてもいられず、ゴルゴンのことを考えることをやめてしまうのでした。
国中の人もそうでした。数年もすると、誰もゴルゴンを心配する人はいなくなっていきました。
こうして、幾年もの年月がたちました。
相変わらず北の山は、ゴルゴンの吐き出す毒気と悪い言葉で満ちていました。
ゴルゴンは起きては自らの孤独と苦悩を嘆き、怒り、呪いの言葉を吐き続けました。そして、疲れ果て、眠り、また目が覚めてうめき続けることを繰り返していました。
ゴルゴンが両親から受け取った悪い言葉は、本当はもう殆ど残っていないのです。今、彼女の身体や心を満たしているのは、ゴルゴン自身が、国の人々やオケアニデス、ペルセウス、マーシャに向けて放った悪い言葉だったのです。それが、彼女の全てを真っ黒に染め上げていたのです。
ゴルゴンはこのような日々に疲れ果てていましたが、それでも悪い言葉を吐くことをやめることはできませんでした。
ある満月の晩でした。テミスの施した封印の障壁を通じても、アルテミスの放つささやかな月光は北の山に降り注いでいました。疲れ果てて眠っていたゴルゴンの額にも、その光は優しくこぼれていきました。
ふと、ゴルゴンはオケアニデスの言葉を思い出しました。
『私はあなたがマーシャに優しかったことを知っている。私に優しかったことも知っている。』
ゴルゴンは岩の上にだらりと横たわり、その言葉を何度も思い出しました。
心の中のマーシャは笑っていました。
オケアニデスも笑っていました。
しかし、自分が声をかけると、その顔はたちまち曇ってしまうのでした。
ゴルゴンは何度も、何度も、その様子を思い浮かべたのでした。
同じ時、マーシャは眠りにつこうとしていました。天窓から落ちる青い月明かりがマーシャの頬を照らします。オケアニデスはマーシャにおやすみなさいと告げました。
マーシャが言いました。
「お母様、この月の明かりは、北の山にも届いているかしら」
オケアニデスは
「ええ、月の明かりはどんな暗闇も通り抜けて、森の奥にも届くのよ」
と答えました。
マーシャは安心したように眠りました。
ゴルゴンがどうなったか、それは誰にもわからないことです。
☆☆☆
『ペガサス』が止まった。乗ってきたのと反対サイドの扉の鍵が自動で開き、ここが終着点であることをボクに教えた。
それでも、ボクは少しの間、立ち上がることができなかった。
「いかがなさいました?」
ツクミに声をかけられて、ボクはハッとしてやっとコースターから降りることができた。
僕らが降り立つと、コースターは勝手に進み、奥の通路に消えていった。きっと、次の客を乗せるのだろう。そして、またあの話を繰り返すのだ。
「ねえ⋯ゴルゴンは⋯」
そこまで言いかけて、ボクは首を振った。
なんとなく、言っても仕方がないことだと思ったからだ。
きっと、あれは神話で、もうずっと昔に終わったことなのだ。
いろいろな人が努力しても、届かない思いがあるということは、ボクの胸を少し苦しくした。
ツクミの瞳はいつも通り優しかった。
「さあ、次のアトラクションはあちらの扉を出てすぐです。
少し、休憩をなさいますか?」
聞かれて少し考えたが、ボクは首を振った。
そんなボクを見て、ツクミはまたにこりと笑うのだった。




