第3話:福音書
案内された部屋はがらんとしていた。
正面の窓からはまあるい昇りかけの月が見える。
部屋はがらんとしているけれども、中央には台座があり、そこにはガラスのケースが被せられた一冊の本が展示されていた。
「それは?」
ボクが尋ねると、台座の脇に立ってボクを待っていたツクミがにこりと笑った。
「こちらは福音書です」
「福音⋯て?」
「良い知らせ、という意味です」
良い知らせが書いてある本?ということ?
よほどあからさまにボクの顔に疑問符が見えたのだろう。ツクミがふふっと含み笑いをした。彼女の月の光のような銀の瞳がゆらりと揺れた気がした。
「こちらは魔法の福音書でございます。
開けばアトラクションの開始⋯さあ、ケースを開きますので、お手にとってご覧ください。これがどういう人によってしたためられたのか、どういう思いで残されたのか⋯きっと、貴方様なら、読み解けると思いますよ?」
ツクミがヨイショと重たそうにガラスケースを外す。貴重そうな古びた本を両手で抱えるように持つと、ボクに手渡してきた。
プンと、古い紙の匂いがした。
さあ、と促されて、ボクはそのページを開くと、眩い光が溢れ出していった。
物語が始まる。
この『世界』のもうひとつの⋯物語。
☆☆☆
【ユダの福音書】
光り輝く砦⋯神の座。
『彼』とボクはここにいた。
そこは、彼が⋯彼だけが最後にたどり着くはずの、天空にもっとも近い場所。『世界』の制御室だった。
「『*✕△%』の砦 こここそ 全ての偽りの始まりだ」
両手を広げ彼は言った。
何の砦なのか?ボクには聞き取ることが出来なかった。
彼の姿が揺らぐ。ボクの姿も揺らぐ。
ここでは、この神の座では、全てが霊体となっていた。
ボクの表情に浮かんだ微妙な疑問符に彼は気づかなかったようだった。彼はその両手を広げ、高らかに語りだした。
「はるか遠い昔 世界はただ広大で ただ光り輝くものだった
見渡そうとしても見渡すことはできない それは真に限りのないものだから
名を呼ぶものもいない それ以前に存在し 名を与えたものがないから
理解しようとしても し尽くせない それは全てを含むものだから」
ボクの方を一瞥もせず、彼は続ける。その視線の先は天に向いていた。
「ここで 秘密を語ろう 私たちが来た王国の秘密を」
「そこには達がいた」
「安らかな魂をもっていたのだ」
「すべてはひとつで ひとつがすべてだった」
「王国は 何一つ欠くことなく 完全だった」
「王国に意志が生まれた 意志は小さなものだった
小さな意志は やがて 『&$A+?』と『#=〜¥』を孕んだ」
やはり、彼が言っていることの一部は聞き取れない。まるでノイズが走ったかのようで、彼の身体もその瞬間震えてブレていた。
「意志は思った」
「この広大な王国と同じものを作りたい」
「ヤルタバオートとサクラスは思った」
「我らと同じ形 同じ者を作りたい」
「そして 1が3になり 3が12になり
12はすぐに360になった」
「それぞれがそれぞれの時に据えられ
我らが王国に似せられたこれら星々と そして『地上』が作られた」
彼は語り続ける。この『世界』の天地創造の秘密を。
彼だけが知っているのだ。
「デミウルゴスは 『満ちよ』 と言った」
「たちまち偽りの光が満ち溢れた」
「『世界』はこうして生まれたのだ」
デミウルゴス⋯先程のノイズに見まみれた神の名。
彼が憎む、この『世界』⋯彼の言う『偽りの世界』の創造主。
彼は空を振り仰いだ
「デミウルゴスの地上はあの我らが来た真の王国と比べてきわめて不完全だった
時は正常にその座を占めず
光は揺らぎ 王国に似せるためには明らかに不完全だった」
「第二天ハルマトートがそこに混沌を産み落とした
光が瞬く間に濃いところと薄いところに分かれてしまった」
「これで『世界』は動くだろうと考えたが まだ『世界』は揺らぎつづけた」
「第五天アドーナイオスはそこに闇を加えた」
「たちまち地の底に死者の国と冥府の池が出来上がり 『世界』は悲鳴を挙げ
そこで 大地は固まった」
「これでよいだろう」
「デミウルゴスは思い そうして7日目を聖なる日と決め
己が『世界』を祝福した」
彼が一息置く。
その目は慈しみとも、悲しみともつかない、そんな色をたたえていた。
「だが 『世界』は瞬く間に涸れていった」
「息吹と光の雲がたりなかったのだ」
「いまや360の時の座から ありとあらゆる星たち
ありとあらゆる雌雄を持つ生き物
ありとあらゆる地を這うもの
ありとあらゆる水に住まうもの
ありとあらゆる草木が生まれていた」
「全ての霊を満たす光が足りなかった」
「その時 第十二天ベリアスは恐るべきことを口にした」
「『王国の息吹を刈り取り 風を起こしましょう』」
「『王国の光を捧げ 世を照らす星に据えましょう』」
「どの天が言ったか 『それでも世界は冷え固まり 涸れてゆく』 と」
「しかし ベリアスは引かなかった
『ならば また刈り取り 捧げればよいのです』」
⋯朗々と語られる世界の秘密。
『偽りの世界』を成立させるために、彼らは恐るべき策略を巡らせたのだ。
もともとの光り輝く世界から光を、魂を、生命を⋯奪ってこようとした⋯そう『彼』は言っていた。
「創造神はかくのごとく世界を作った」
「解るか?」「ユダよ」
ユダ、と呼ばれて、ボクはやっと自身の名を、
コードネームを思い出す。
「我々は奪われた魂 奪われた光 奪われた息吹なのだ」
「我らはアイオーン」
「真実を知る者であり 真の王国の住人」
これが彼が知っている最大の『秘密』
智慧であり、秘儀であり⋯人々にとっての絶望だった。
『彼』と『ボク』はヒトではない。
この『世界』の、遥か昔に偽りの神によって造られた
偽りの『光』ではない。
真の王国にあった、真の生命⋯それをアイオーンと云う。
「そうだ 奪われた内なる光を 取り戻さねばならないのだ」
「ここに死すべき世代ではなく あの偉大な王国の死ぬ事のない世代なのだ」
「解るか?」「ユダよ」
「世界に満ちる我らが同朋を」
「偽りの世界の礎となるべく奪われた我が同朋たるアイオーン」
「この世界はかくのごとく作られた」
「奪い そして 偽りの永遠を作ろうとして」
『彼』の光がゆらりと揺らめいた。
笑っているのだろうか⋯
その表情は見えないが、そう、ボクは思った。
「我がこの『世界』に囚われのは二度目」
「お前も二度目だ」
「ユダよ」「イスカリオテのユダよ」
「一度目に お前が解き放った 我の名を未だ知るか?」
『彼』は笑った。
明確にわかった。
その顔は、狂気たる笑みを湛える。
「さあ 真の王国の星達が
我らを招いている」
「さあ 真の王国の その座に帰るべく」
「二度と偽りの世界に 我らの同朋が刈り取られることのないように」
「この デミウルゴスの偽りの砦を 打ち砕こう 共に」
「お前にはその秘密が与えられた」
「さあ ユダよ」
「口にするが良い」
「お前が与えられた 最初の『祈り言』を」
「この世界を打ち砕く 『’(>!』を」
「王国での 我との約束を 思い出すが良い」
ボクは動揺していた。動揺が光のゆらぎとなった。
霊体がゆらぎ、ボクは震えた。
『彼』の名を思い出せない。
『祈り言』をボクは唱えたくはない。
でも⋯。
光溢れる王国のイメージが
ボクの中に満ちている
『彼』が言うことは本当だ
そう、ボクは確信している
ボクは⋯ボクと『彼』は世界の外から来た者
この光溢れる地上とは別の世界の世代
『あゝ帰りたい』
ボクの脳裏に、強烈なほどの郷愁の念が湧き上がる。
湧き上がった想いが、ただただ魂を震わせた。
「さあ 『祈り言』を」
「この『世界』に囚われた無数の真の光達⋯アイオーン達に
お前は真実の救済を与えるだろう」
――世界は? どうなるのです?
ボクはやっと『彼』に言った
「世界は光に戻る」
「命は無に戻る」
「全ては王国に帰るのだ」
「さあ 『祈り言』を」
そう⋯そうだ。
『ボク』が『祈り言』を唱えれば、
この神の座は全て崩壊し、創造神によって造られた、
あの『世界』⋯ボクが育った『世界』は、消えてなくなる。
父も、母も
友人も、恋人も、
ボクを育ててくれた全てが無に帰る。
アイオーンたちが王国に帰る、そのために⋯。
『ボク』は帰りたい。
ボクは⋯
――嫌です
数瞬悩んだが、ボクはハッキリと言った。
『彼』の光が一瞬だけ揺らぎ すぐに静かになった。
「ユダよ」
「我が、真の名を知る者よ」
『彼』の光がまた揺らいだ
『彼』は笑った
「お前は私に抗うことは出来ない」
「王国での約束がある限り」
「かつて お前に救いを 与えた私を」
「かつて お前にだけ 王国の秘密を教えた私を」
「お前は二度と傷つけることはできない」
チリン、チリンと
銀貨の音がする
古の記憶
一度目の『彼』の言葉⋯
『ボク』の魂の光が それを覚えている
「さあ」
「イスカリオテの ユダよ」
――ガ⋯
『ボク』のくちびるが 『祈り言』を紡ごうとする
ボクはくちびるを噛み締めそれを押し留めた
「お前は光だ」
「お前だけに 与えられた『言葉』だ」
「一度目は 私だけが 『言葉』を知らされた」
「この世界に刈り取られるとき」
「他の全ての光達が あらゆる記憶を失った中」
「私だけが 王国の秘密を 忘れずにいた」
「だから私だけが 全てを『救う』ことができた」
「ただ 私が知ったのは 王国の秘密だけだった」
「『偽りの王国』の秘密を 私は知らなかった」
「だが お前は知ったのだろう」
「お前と私は 二度 この世界に踏み込んだ」
「どちらかが この『偽りの王国』の秘密を知りうるとわかって」
「知った方が この王国からすべてを解放することができるとわかって」
「知った方が『※#%※』となるのだと」
『彼』がボクに迫る。
そうだ、一度目だ。
一度目にはボクは知らされなかった。
だから、『彼』がボクに教えた。
あの荒野の大地で
羊の群れの中で
星を数えながら
真実を、この『世界』の⋯真実を。
そうして、『ボク』は『彼』と還った⋯王国に、あの真の王国に。
あゝ⋯思い出した。
彼の名を、その真の名を。
エメキナンテのシステムが光を放つ。
『世界』が危機を察知し始めた。
終わりの予感にシステムが震えだした。
「さあ ユダよ」
「全てを打ち砕く 『祈り言』を」
「アポカリプス を 導く 『祈り言』を」
あゝ⋯そうだ⋯そうだ⋯。
――思い出した
ボクは思い出した。あなたの名を
ボクは口にした。
――しかし ボクが祈れば この世界の全てが無になる
ボクを育んだ全てが なくなってしまう
ボクの光が一段と強くなる。
ボクは『彼』の瞳をじっと見つめた。
「偽りの信仰だ」
「偽りの世界だ」
「偽りの絆だ」
『彼』の光が揺らいだ。
「全てのアイオーン達を解放するのだ」
「偽りの世界を打ち砕くのだ」
「ユダよ」
ボクは黙り込んだ。
光はただ揺らぎつづけた。
時間が過ぎ。
時間が過ぎ。
『彼』は言った。
「では お前を縛るものを 全て断ち切るとしよう」
『彼』はシステムに手を伸ばした
「地上の者たちよ」
「偽りの王国の 偽りの命よ」
「真実を知り得ぬ者たちよ」
「その偽りの生命に 雷を 」
――ヤメロ!
ボクは叫んだが、『彼』の光が揺らいで、
『世界』に雷が落とされた。
『世界』の終わりはあっけなかった。
全ての生命が沈黙した。
「さあ これでよい」
『彼』は満足した。
しかし、ボクはこれから何が起こるか知っていた。
記憶が蘇る。
ボクの記憶。
この世界にボクと『彼』が流れ込むときに示された 十の契約
その記憶を思い出していた。
『彼』の光が揺らぐ。
揺らぎ、そして、苦しみ始めた。
「なんだ」「なにが」
『彼』の光はふらふらと揺らぎ、そして次第に薄くなる。
足元が神の砦の霊子の床にゆっくりと沈み始めた。
「なんだ これは」
「私の身体が マナが」
ボクは思い出していた。
この『世界』のシステムを。
そうだ、ボクは一度、ここに来ていたのだ。
一度目の時。『彼』に真実を告げられ、王国へと帰るときだ。
デミウルゴスの記憶が語ったのだ。
彼は言った。
“世界は不完全だった”
“しかし 光は必要ではなかった”
“王国との間の壁が不安定であったのだ”
“アイオーン達が迷い込んできた”
“世界を修復するには時間がかかる”
“アイオーン達が迷い込んできたら”
“返さなくてはいけない”
“ただし 十の契約を 破ったならば”
そうだった、
『世界』は『彼』が言ったようではなかった。
『彼』は真実の半分を知るだけだった。
ボクだけが、この『世界』の秘密を知らされ、覚えていたのだ。
『彼』の光が揺らぎ、そのマナは輝きを失い始める、
ボクは『彼』に言った
――受肉するのです
『*<$&』の『”#@=』よ
デミウルゴスは言いました
『汝 殺すべからず』
契約を 十の契約を破ったアイオーン達は、
この世界に縛られてしまう。
だからこそ交わされた古の契約。
それを、『彼』は忘れていたのだ。
声にならない叫びを挙げ、
『彼』の光の身体は瞬く間に肉体となる。
『彼』の顔は青ざめ、肉体を支えることのできない、
この光の宮殿から地上へと落ちていった。
十の契約を破るとき、
アイオーンは帰る道を失い、
この世界のひとつの命となる。
システムは光を放ちつづける。
あゝ⋯まだできることがある。
ボクはシステムに手を伸ばした。
――全てを知りえない世代たちよ
ボクは、あなたたちを⋯
ボクは『祈り言』を口にした。
これは、システムを変えるために用意された『ことば』だった。
そうして私は⋯
雷によって失われた命たちを戻し、
世界の障壁を修復した。
実に、日が昇り、日が沈み、
そしてまた日が昇るほどの時間がかかった。
こうして『世界』は永遠にあの真の王国への道を、閉ざされた
――私は全てを分け隔てた。
二度と憧憬と怒りから、この美しい『世界』が脅かされないように。
守る⋯守るよ。
ボクが、守る。
『世界』に鐘が鳴り響き、
全てのアイオーンが、その魂から解放された。
ボクが知る『祈り言』。
それは、世界を変えるための『パスワード』だった。
ボクの身体の光の濃度が薄くなる。
システムを修復したために、マナを使い果たそうとしている。
あゝ⋯残されたこの国の生命たち。
今、ボクは全てとつながっている。
鐘が鳴り響く。
最後に言う。
――子達よ聞くがいい
お前達は、知らない
真の王国の秘密を
しかし、それでいい
二つ目の鐘が鳴り響く。
――ただ、これだけは知るがよい
全ての存在たち
この世界を作り出した、神が
ただ、お前達をいとおしいと思っていたことを
お前達は 生まれながらに ただ愛されているのだと
――ボクらアイオーンとは違う
お前達は、確かにこの世界とつながっているのだということを
――これが福音
最後の啓示
風となるボクの光
鳴り響く鐘の音
繰り返される最後の啓示
これが『ユダの福音書』
☆☆☆
ぱたん、と本を閉じると、先程まで周囲に溢れていた光が本に吸い込まれていった。
「い⋯今のは何?」
あまりにもたくさんのことが目の前を駆け抜けていった。
なんだかとても長い長い話のようでもあり、あっという間のストーリーだった気もした。
「もし貴方様が、自分だけが世界の秘密を知っていたら、どうされます?」
「この世界が偽りで、本当の世界があるとしたら⋯?」
ツクミに言われて、ボクは古びた本にもう一度目を落とした。
自分だけが秘密を知っていたら?
この世界が『嘘』だったら?
「でも、嘘と本当って⋯誰が決めるの?」
嘘の世界に生きている人は、そこが本当なわけで⋯
ふふふ
ツクミが含み笑いをする。
「その本に書かれていることが『真実』かどうかは⋯貴方様がお決めください」
なんだか狐につままれたようだった。ぽかんとしているうちにツクミが部屋の右側にある扉、入ってきたのとは別の扉を開いていた。
「さあ、次はこちらです⋯お入りください」




