第2話:天使の絵
ツクミが案内してくれたのは、がらんとした天井の高いホールだった。
左右には優美な曲線を描く階段が伸び、正面には重厚な扉が据えられている。その扉の向こうに、次なるアトラクションが待っているのだろう。
ここは⋯空き部屋なのかな?
先程のようにシアターがあるわけでもない。左右を見上げると階段から続く回廊があり、大きな窓が並んでいる。そこから青色の月明かりが落ちてきているので、ホールの中に照明はないものの、ぼんやりと明るく照らし出されていた。
「お待たせしました」
いつの間にか姿を消していたツクミが、後ろから声をかけてきた。手にはランプを持っていた。
「上の階にどうぞ」
促されるままに、右の階段から上の階に上がる。左から上がっても同じところにたどり着くのだが、なんとなく、ツクミの後をついていく形だ。
「こちらをご覧ください」
階段を上がったところ、丁度、一階にあった大きな扉の真上に当たる部分に、先程までは気が付かなかったが、巨大な絵画があった。
「これは?」
ツクミが絵の額縁の下の部分に掘られている銘を照らし出してみせた。
『天使』とそこにはあった。この絵のタイトルだろうか?
「こちらの絵は史上初めて天使を描いたもの⋯だそうですよ?そう、まさに、まだ人が生まれてもいないころの話⋯この絵にまつわるストーリーを聞いていただけますか?」
にこりと笑ったツクミに、ボクはコクリと頷いていた。
☆☆☆
【天使】
夜、星屑のさらさらと降り落ちる綺麗な時間のこと。
「白キ者ヨ、汝ノ名ハ⋯」
「天の使い、ですわ」
天使は倒れた彼の脇に降り立ち、ふっと翼を休めた。
彼の目には、今まで同胞の、同族の累々たる屍を目の当たりにしてきた彼の目には、その姿は、清浄に映った。
天使は近くの倒木に腰を下ろすと、彼のその目を見て、言った。
「あなたが最後よ、種としての一番最後」
彼を頭をすこしもたげた。
「我レガ、最後ノ者カ⋯、目ニ映ルハ、見知ラヌ草木ト、同胞ノ骸ノミ、我ガ種ノ栄華モ、ココニ果ツルカ⋯」
天使は少し微笑んだ。
「もう、十分ではありません?山が崩れて砂になってしまう程の時間を
いいえ、それ以上を、あなた方一族は生きてきたのですから。」
彼も、少し笑った。黒い、その水晶のような瞳が、コロリと動いた。
「ソウカ、モウ、ソンナニモ長イ時ヲ経テ在リ続ケタノカ⋯」
天使は彼に歩み寄り、その皮膚に手を触れた。
その皮膚は、硬質で、冷たく、水に漱がれた岩のようだった。
微かに命の温かさを伝える皮膚は彼の呼吸に合わせてゆったりと波打った。
「もう十分でなくて?」
天使は、彼の体をそっと撫でた。
「オヌシラモ、勝手ナ。創造シ、ソシテ、滅ボ⋯スカ⋯。我レラハ、何故ニ、滅ブノカ⋯」
天使は彼が責めるような目で自分を見ていないことに感謝した。
確かに、自分達は、彼らを創り出し、そしてその滅びを止めることをしなかった。
責められる理由はないが、責めるなとも、言えない。
しかし、彼は、責めているのではなかった。
少なくとも、今は。
天使は、ゆっくりとした声で、彼の問いに答えた。
「運命、と言ったら、満足なさる?」
彼はすうっと目をひらいた。口許は微かに笑みを浮かべているように見える。
「簡単ニ言ッテクレルナ⋯」
「あなた方一族は、この星に選ばれなかった。かつて、どれほど栄華を極めようとも、この星の他の生き物との共存の輪から外れていってしまったのよ。
別に、あなた方自体は、悪くないのだけれども⋯。」
「ソレガ運命カ?」
「ええ」
「ソウカ⋯。」
また少し、風が吹いた。その風は、天使の足許の小さな白い花を揺らし、そして丈の低い草を鳴らして過ぎて行った。
もう体の自由もままならぬ彼は、目だけを空に向けた。
空は微かに光を受けて、夜の黒から深い青を生み出していた。
「モウスグ、夜ガ明ケル」
天使も、誘われるように東の空を仰いだ。
「そうね」
「天ノ使イヨ、我レハ、アト、何時、コノ空ヲ、見テイラレルノカ?」
彼が、重々しく尋ねる。
天使は彼の身体に頬を寄せ、その命の鼓動を聞くように耳を澄ませた。
「私には、それはわからない。でも、仮にそれが分かっていたとしても、あなたには言わないわ」
「ソウカ⋯、ナラバ、聞クマイ」
彼は答えて、また目を閉じた。
天使にとって、生命の尽きるその瞬間を見届けるのは、嫌いなことではなかった。
実際、今も、彼に向けている瞳は、憧れの色彩すら帯びている。生きているものが全て美しくあるように、その死の間際もまた綺麗だと天使は思った。
冷たい空気が透き通るような静寂を含んで、そっと佇んでいた。
彼が口を開いた。
「天ノ使イヨ、我レガ生マレ出ヅル遥カ昔ハ、コノ地モ、コレホドニハ、冷タクナカッタト、聞ク。巨キナル木々ガ繁ル森ハ、彼方霞ニ紛レルマデニ続イテイタト言ウ。」
天使は彼の大きな体躯を見渡すのを止め、くるりと、あどけない顔を彼に向けた。
「そうね、そう、あなたのおじいさんのおじいさんの、おじいさんの、そのまたおじいさんの、おじいさんの⋯とにかく、ずうっーと昔は、そうだったわね。地面はずっと向こうまで森で、もっとずっと暖かだった。海にも、陸にも、そしてこの空にも、あなた方の一族が、繁栄を誇っていた、その頃はね。」
そして天使は、にっこりと笑って見せた。
彼は目をつむったまま、吐き出すようにポツリと呟いた。
「モウ全テ昔日ノ彼方ダト、言イタ気ダナ。」
天使は、彼の言葉に、軽い口調で答えた。
「もう、昔のことよ」
彼はふと苦笑を漏らした。
「ソウ、ソレハ、分カッテイル。分カッテイルノダ。」
そして、続ける。
「⋯見ロ、天ノ使イヨ、夜ガ、夜ガ明ケル音ガスル!」
天使は空を振り仰いだ。空は海の底の濃紫から、仄かな紅へと、その色調を変えていった。東の空の積雲は紅に染まり、燃える炎の燈色に似ていた。
遠くに連なる山々の間に、一点、眩い光が灯った。
「ええ、何も変わらぬ、夜が明けるわ。」
山間の光は時とともにその大きさを増し、光は天使と彼とそして全てに舞い降りた。それは風景を仄白く燃え立たせ、あまねく存在に、朝の到来を告げる。
彼が、そっと口を開いた。
「何モ変ワラヌカ⋯。」
また、一息おいて続けた。
「天ノ、使イ、ヨ。我レハ生マレ出ヅルコトヲ、誇リニ思ウゾ、コノ時、コノ地ニ在レタコトニ満足ヲ覚エルゾ。
モシモ、叶ウモノナラバ、次モ、コノ地ニ、生マレ出ヅル⋯コ⋯ト⋯ヲ⋯」
瞳が輝きを失い、彼は目をゆっくりと閉じた。
天使はその閉ざされた瞼をそっと掌で撫でる。
今や彼の体は力なく横たわり、生命の鼓動は、消え入ろうとしていた。
天使は、独り呟いた。
「あなたの願いは、叶わないわ。もう、ひとつの世は終わりを告げたのだから。」
天使は彼の魂を手に、ひとつ、大きく翼を羽ばたかせる。
ふわりとその純白の身体を浮かび上がらせ、天高く、天高く飛びたっていった。
彼の骸を、後世において『竜』と呼び称される一族の最後の骸を、後にして。
☆☆☆
なんか⋯悲しい話だな⋯
ボクはそう思った。照らし出された絵は、暁の中、大地に横たわる恐竜のそばに座る美しい白い衣を纏った天使の絵だった。
「この時の日の出も⋯おそらく、私達が見ているのと同じ光だったのでしょうね」
ツクミがランプを掲げながら言った。その表情はランプの光の影に沈んで、よく見ることが出来なかった。
「きっと、私達が滅んだとしても⋯太陽は同じように昇って、世界は同じように回っていくのでしょうね」
「なんだか、それは悲しい気もするけど⋯」
ふっとツクミがランプを腰のあたりに下ろす。彼女の顔がよく見えるようになった。
それはとても、とても優しい顔立ち。
「そうですか⋯?私達がどんなに悲しんでも、世界は壊れずに回っていく⋯それは、なんだか安心できること⋯のようには思えませんか?」
そうだろうか⋯?
ツクミが別の部屋を案内するというので、歩き始める。
少し離れて、ボクは『天使』の絵を振り返った。
確かに、恐竜は⋯最後の恐竜は、死に瀕してもなお、とても穏やかで、凛としている⋯そんなふうにも見えた。
「さあ⋯次はこちらです。どうぞ、お入りください⋯」
ツクミがひとつの扉を開く。
次は、いったい、どんなものが待っているのだろうか?




