第7話 声のない夜
公民館には時計がなく、窓の外も霧に覆われたままだったため、仁にはいつ日が暮れたのか分からなかったが、ガラスに映る自分の輪郭が次第に濃くなり、広間の隅に積まれた座布団や古い棚が闇へ沈んでいくのを見ているうちに、村人たちが自分をここへ残した理由を考えることにも疲れ、壁際へ座って、声を出さずに朝を待つことだけへ意識を絞った。
黙っているだけなら難しくないはずだったが、声を聞かせてはならないと思うほど喉は乾き、咳払いや溜息を堪えるたび、身体の内側に閉じ込めた声が別の出口を探しているような息苦しさが強くなり、唾を飲み込むわずかな音さえ、戸の外で待つ何かに拾われてしまうのではないかという恐怖から、仁は口元を手で覆ったまま、できるだけ浅く呼吸を続けた。
どれほど時間が過ぎた頃か、集落の奥で板戸の開く音がし、長く軋んだあとに静かに閉じると、それより少し近い家でも同じ音が繰り返された。
誰かが一軒ずつ訪ねているらしかったが、家と家の間を移動する足音は聞こえず、戸が開き、しばらくして閉じる音だけが、霧の中を公民館へ向かって近づいてくるため、仁には、見えない何かが道を歩いているというより、集落そのものが一軒ずつ口を開け、それを奥から手前へ受け渡しているように思えた。
やがて二、三軒先と思われる場所から、怯えを押し殺した男の声が聞こえた。
「誰だ」
外から返ったのは、仁の声だった。
「佐久間仁です。道を聞きたいんですが」
声の高さも話す速さも、見知らぬ相手を警戒させないよう語尾をわずかに柔らかくする癖まで、仁自身のものと寸分違わなかったが、その言葉を聞いた家の中から返事はなく、代わりに戸の裏へ重い家具を押しつける音だけが響いた。
外のものは戸を叩きもせず、苛立った様子も見せず、相手が口を開くのを待つように沈黙してから、穏やかな声で言った。
「一人ですから、開けてください」
仁は、その文章を口にした覚えがなかった。
自分がその日に使った言葉を組み合わせたにすぎないとも考えられたが、声はすでに聞いた音を繰り返しているのではなく、仁の話し方を使って自分の考えを伝え始めているように聞こえ、家の中からかすかな泣き声が漏れると、困ったときに場を取り繕う仁の癖そのままに、喉の奥で短く笑った。
その後も声は家から家へ移り、仁が仕事で来たことや、一人で山へ入ったことを、少しずつ異なる言葉に組み替えながら話しかけていたが、村人たちは灯りをつけず、返事もせず、集落全体が死んだふりをして息を潜める中で、仁の声だけが生きた人間のように霧の中を歩き続けた。
やがて声が途絶えた。
遠ざかったとは思えず、どこにいるのか分からなくなっただけだと気づくと、それまで声の位置を頼りに保っていたわずかな安心も失われ、仁は戸や窓から目を離すことができなくなった。
しばらくして、正面の窓が軽く鳴った。
風で枝が触れたような音ではなく、指の関節でガラスを一度だけ叩いたような硬い響きがあり、仁が身体を強張らせていると、曇った表面を爪とも指ともつかないものがゆっくりと滑り、仁の顔がある高さまで下りたところで止まった。
「佐久間さん」
窓の向こうから聞こえた声には、もはや借り物らしい不自然さがなく、自分が外に立ち、室内の自分へ呼びかけているとしか思えなかった。
「聞こえていますよね」
仁は両手で口を塞いだ。
窓の上部に、人の頭ほどの黒い影が浮かび上がったが、その位置は立って覗き込める高さではなく、軒より上から首だけを垂らし、逆さになって室内を見ているように思えた。
「俺は、佐久間仁です」
外のものは、確かめるのではなく、すでに決まった事実を告げるように名乗った。
それからしばらく黙り、曇りガラスへ額を押しつけるような鈍い音を立てると、今度はひどく静かな声で尋ねた。
「中にいるのは、誰ですか」
仁は答えなかった。
やがて窓の影が消え、外の気配も遠のいたように感じられたが、安心して顔を上げることはできず、仁が両手で口を塞いだままガラスを見つめていると、広間の奥で畳がゆっくり沈み、人が裸足で一歩踏み出したような湿った音がした。
窓には仁の姿が映っていた。
その背後には、同じ作業着を着たもう一人の男が、俯いたまま立っていた。




