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帰る場所を守るために―国家災害統括特殊救助機関 "暁" の継承者達―  作者: HANA
第9章 その先も、ずっと

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第98話 We’ll Stay With You


それから一週間後、蒼真は暁本部医療棟を退院した。

不整脈は薬で抑えられ、心不全の状態も落ち着いているが、酸素量と薬は以前より増えた。

一人での歩行は禁止。

体重、血圧、脈拍、酸素飽和度を毎日記録し、異常があればすぐに医療棟へ連絡する。

いくつもの条件を付けられたが、蒼真はようやく家へ帰ることができた。


車が神代家の前へ止まると窓の外には、見慣れた庭があった。

蓮と作った鳥の巣箱が、夏の日差しを浴びている。


「帰ってきたな」

隣に座る蓮が言った。

「ああ」

蒼真は小さく笑った。

本当に嬉しそうに。


玄関の前では、麗華と悠真、渚、紬と華凛と蒼空が待っていた。

「おじいちゃん!」

車から降りた蒼真を見て、紬と蒼空が駆け寄ってきた。

車からゆっくり降りて、車椅子に座った蒼真の膝に2人の手が乗る。

「ただいま」

蒼真がいつもと変わらない声で言うと、2人とも笑顔を向けた。

「おかえり、おじいちゃん」

「学校は?」

「今日は休み」

「俺の退院で休んだのか?」

「違うよ、夏休み!」

「……そうだった」

「おじいちゃん、忘れてたの?」

「入院してたから曜日が分かんなくなった」

「おじいちゃん、ボケた?」

「まだボケてないよ」

いつものやり取りに、家族から笑いが起き、蒼真も笑った。

以前より短く、呼吸が乱れない程度に。

いつもの神代家の空気だった。


麗華が車椅子を押してくれて家の中へ入る。

車を片付ける蒼志に代わり、荷物は悠真が持ってくれた。

「やっぱり家はいいな」

「まだ玄関だけだよ」

「玄関でも家は家だよ」

蒼真は安心したように息を吐き、先を歩く紬と蒼空の背中を見つめる。

その様子を麗華も華凛も渚も後ろから微笑んで見ていた。


リビングを通り、和室の襖が開いた瞬間、蒼真の目は見開かれた。

「……なんだ、これ」

和室の中央には、大きな介護用ベッドが設置されていた。

背中と足元の角度を電動で調整できるもので、転落防止の柵も付いている。

枕元には酸素濃縮器。

サイドテーブルには薬と測定器が並び、緊急時に必要な医療器具もまとめられていた。

以前、蓮が作った背もたれは部屋の隅へ置かれている。


「病院じゃねぇか」

「家だよ」

車を動かし終え、戻ってきた蒼志が後ろから答えた。

「聞いてねぇぞ」

「言ったら反対したでしょ」

「当たり前だろ」

「父さんが家に帰りたいって言ったから、家で安全に過ごせるようにしたの」

蒼志は介護ベッドのリモコンを手に取った。

「これなら自分で上半身の角度を変えられる。夜中に苦しくなっても、起き上がるために無理しなくていい」

「背もたれで十分だった」

「夜中に崩れたら危ない」

「蓮が作ったやつだぞ」

「信用してないわけじゃない」

「じゃあ使えよ」

「体調が安定した時に使えばいいでしょ。今はこっち」

蒼志は譲らなかった。

蒼真は不満そうにベッドを睨んでいたが、やがて諦めたように息を吐いた。


「……分かったよ」

蓮と蒼志に支えられ、ベッドへ移る。

蒼志がリモコンを操作すると、背中がゆっくりと持ち上がった。

「苦しくない?」

「もう少し上」

角度を調整すると蒼真は背もたれへ身体を預け、呼吸を整えた。

「これくらい」

「楽?」

「……楽」

素直な返事に、みんながほっと胸を撫で下ろしていた。

蒼志は父の呼吸状態を確認し、麗華は膝へ薄い毛布を掛ける。


家へ帰ってきた。

病院のベッドと同じ形だけど病院じゃない。


襖の向こうから家族の声が聞こえ、窓の外には自分の庭が見える。

形は変わっても、ここは蒼真の帰る場所だった。


「ところで」

蒼真は和室の隅へ視線を向けた。

見覚えのある旅行鞄が置かれ、その隣には既に一組の布団が畳まれていた。

「なんで蓮の荷物があるんだよ」

「今日から泊まる」

蓮が当たり前のように答えた。

「は?」

「夜、麗華さん1人じゃ何かあった時に困るだろ」

「蒼志も悠真もいる」

「2人とも仕事がある」

「お前だって家あるだろ」

「独り身だ」

「帰れ」

「嫌だ」

「いや、待て。蓮まで和室に寝るのかよ」

「俺、泊まる時いつもここだったんだけど。むしろ盗られた側だ」

「……」

蒼真は何も言い返せなかった。

元々、蓮が神代家へ泊まる時に使っていた和室へ、自分が移ってきたのだ。


「でもここ、今は俺と麗華が寝てんだけど」

「知るか。俺の場所を取ったのはお前だろ」

「じゃあ別の部屋で寝ろよ」

「お前が夜中に勝手に歩かないよう、見張る」

「もう歩かねぇよ」

「信用できるか」

「トイレくらい1人で行ける」

「それで倒れたんだろうが」

蒼真が黙る。

蒼志は二人のやり取りを聞きながら、介護ベッドの柵を確認した。

「父さん、最近退化してない?」

「誰が」

「病院でも帰るって駄々こねるし、尿カテ嫌がるし、蓮さんに泊まるなって騒ぐし」

「全部正当な主張だ」

「どこが」

「最近、蒼志お前さ、父親に冷たくない?」

「患者として扱ってほしいのか、父親として扱ってほしいのか決めて」

「都合良く使い分けたい」

「最低だな」


その答えに、悠真が吹き出すと、神代家に久しぶりの笑い声が響く。

蒼真は不満そうな顔をしながらも、どこか安心したように背もたれへ身体を預けた。

「ねぇこれ、高さ変わるの楽しいね!」

「乗りたい!」

紬と蒼空が目を輝かせていた。

蒼真は蒼志からリモコンを奪い取ると2人がベッドに上がりやすい高さに調節し登らせてやる。

そして落ちないように自分の両脇に抱え込んだ。


その夜、介護ベッドの隣には麗華の布団、少し離れた場所には、蓮の布団が敷かれた。

「お前、本当に寝るのかよ」

部屋の灯りが消えたあと、蒼真が小さな声で言った。

「もう寝てる」

「起きてんじゃねぇか」

「うるせぇ。寝ろ」

「俺、子供じゃねぇぞ」

「夜中に1人で出歩く子供以下だ」

「……腹立つな」

静かな和室に、夏の虫の声が聞こえる。

窓辺の風鈴が、時折小さく鳴った。

「蓮」

「なんだ」

「悪いな」

暗闇の中で、短い沈黙が落ちた。

「今更だろ」


蓮はそれだけ答えた。

かつて蓮が歩けなかった時、蒼真は隣で蓮を支えてくれていた。

今度は蓮が、弱っていく蒼真の隣に残る。

それが当たり前で当然の事だと思えた。


「お前、俺の時、居ただろ」

「それとこれとは別だろ。お前は歩ける様になった。………俺はもう歩けねぇよ…多分」

「多分ってなんだよ。そして、別じゃねぇよ。利子付けて返す」

「いらねぇよ」

「黙って受け取れ」


蒼真は小さく息を吐き、介護ベッドの上で目を閉じた。

麗華の寝息が聞こえる。

少し離れた場所には蓮がいる。


もう1人で歩くことはできない。

以前と同じ生活に戻れない。

それでも、家にいる。


蒼志や蓮は蒼真を家へ連れ帰っただけではない。

蒼真が最後までこの場所で蒼真のままでいられるよう、帰る場所そのものを守り始めていた。


翌朝、蒼真が目を覚ますと、和室には朝の光が差し込んでいた。

窓が少しだけ開けられ、風が入るたびに風鈴が小さく鳴る。

病院とは違う天井と聞こえてくるのは機械音ではなく、台所から響く食器の音だった。

蒼真はしばらく天井を見つめ、それから隣へ視線を向けた。

麗華の布団は既に畳まれ、少し離れた場所では、蓮が布団へ横になったまま目を閉じていた。


「蓮」

蓮からの返事はない。

それでも、もう一度呼んだ。

「蓮」

「……なんだよ」

「起きてんじゃねぇか」

「お前が呼んだから起きた」

「死んでんのかと思って」

「死にそうだったのはお前だ」

蒼真は蓮の言葉を鼻で笑うと、枕元に置かれた介護ベッドのリモコンへ手を伸ばした。

指先が届く前に、蓮が起き上がってリモコンを渡す。


「自分で取れる」

「取れてねぇから渡したんだろ」

蒼真は何も答えず、背中の角度をゆっくり上げた。

上半身が持ち上がると、少しだけ呼吸が楽になる。

鼻へ伸びる酸素チューブを直しながら、蒼真は窓の外を見た。

「家だ」

「昨日も言ってたぞ」

「朝起きても家だったから確認した」

「一晩で病院に戻されると思ってたのか」

「蒼志ならやりかねない」

そんな話をしていると襖が開き、血圧計を持った蒼志が入ってきた。

「誰が何をやりかねないって?」

「朝から医療器具…」

「それが条件」

「補佐官の仕事してんのかよ」

「してるよ。父さんの診察が終わったら本部へ行く」

蒼志は慣れた手つきで血圧計を蒼真の腕へ巻いた。

「夜、苦しくならなかった?」

「平気」

「動悸は?」

「ない」

「眠れた?」

「蓮がうるさかった」

「一言も喋ってねぇよ」

「存在がうるさい」

「じゃあ帰るか」

「それはダメ」

即答した蒼真に、蓮と蒼志が同時に顔を向けた。

「……いろよ」

「我が儘じじぃだな」

「うるせぇ」

蒼志は呆れながら血圧計の数値を確認し、続けて酸素飽和度を測る。

「少し低いけど、昨日と大きく変わらないね。足、見せて」

「浮腫んでねぇよ」

「俺が判断するの」

掛け布団をめくり、蒼志が足の状態を確認する。

その間に麗華が朝食を載せたトレーを持って入ってきた。

「おはよう、蒼真。眠れた?」

「うん」

麗華を見た途端、蒼真の声が少しだけ穏やかになる。

トレーにはコーンスープと、小さく切ったパンが載っていた。

「朝は食べられそう?」

「……あんまり腹減ってない」

「少しだけでもいいよ」

麗華はベッドの上へテーブルを設置し、その上へトレーを置いた。

甘い香りのするコーンスープを前に、蒼真はスプーンを持つ。

一口飲むと、少しだけ目を細めた。


「甘い」

「蒼真、好きでしょ?」

「好き」

もう一口。

けれど三口ほど飲んだところで、スプーンが止まった。

麗華は何も言わず、蒼真の様子を見ている。

「もういらない?」

「いや……まだ」

蒼真は再びスプーンを動かした。

ゆっくりと時間を掛け、半分ほど飲んだところで手を止める。


「ごめん。もう無理」

「謝らなくていいよ。食べられたじゃない」

麗華はいつもと変わらない声で言い、トレーを下げようとしたが、蒼真はその袖を軽く掴む。

「どうしたの?」

蒼真は神妙な顔で麗華を見上げた。

「父ちゃんは羊羹が食べたい」

蓮が噴き出す。

「黒崎兄弟に乗っかるな」

「父ちゃん、コーンスープ半分食べた」

「自分で父ちゃんって言うなよ」

「麗華」

蒼真は蒼志を無視し、もう一度麗華を見る。

麗華は困ったように笑うと少しだけ考えた。


「お昼も何か食べられたら、ひと口だけね」

「ひと口って、どれくらい?」

「ひと口はひと口」

「俺のひと口、結構大きいけど」

「私が切ります」

「……はい」

麗華に言われると、蒼真は素直に頷いた。

「母さんが一番扱い上手いよね」

「40年以上一緒にいるからな」

蓮が答えると、蒼真は不満そうな顔をしながら、残っていたコーンスープをもう一口だけ飲んだ。


家へ帰って最初の朝。

測定器も薬も酸素も、入院時と変わらない。

自分一人では、ベッドから降りることさえ許されない。

それでも、麗華の作ったスープがあり、蓮の憎まれ口があり、蒼志の小言がある。

蒼真はスプーンを置き、窓辺で鳴った風鈴へ目を向けた。


以前と同じ生活には戻れない。


けれどここには、蒼真がこれから生きるための新しい日常があった。





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