第89話 We Kept Our Promise
────チリン……。
風が風鈴をならした。
復興顧問として復興の道筋も立て終わり、最後の仕事は終わった。
スマホの予定表は完全に真っ白になった。
それでも、毎日は穏やかだった。
「おじいちゃん、宿題教えてよ!」
「んー?どれ?」
ソファに座る蒼真へ紬がダイニングテーブルから声をかけると、蒼真はゆっくりと立ち上がり歩く。
たった2m程度の歩行なのに酸素を投与していても息切れしてしまう。
呼吸を整えながら、椅子に腰掛けて紬の宿題を見てやる。
そんな毎日だった。
「……出来てるじゃん、教える所ないぞ」
「じゃあ明日の予習!おじいちゃんの教え方、分かりやすいから!」
キラキラと目を輝かせ紬は教科書を取り出す。
「頭の出来の良さは蒼志譲りか」
「俺がバカみたいな言い方すんな」
タバコを吸って、庭から戻ってきた蓮が紬の宿題の紙を手に取り眺めている。
蓮は特に用事もないのに、復興顧問が終わってからも毎日、家にやって来る。
でも、追い払う事もない。
何をする事もなく、時々お互い「暇だな」と空を眺めてみたり、テレビを麗華と3人で見たり、何も変わらない。
たまに来ない日があるとなんとなくソワソワしている蒼真をみかねて麗華が「今日は午後からよ」と声を掛けてくれる。
蓮が神代家にいるのが当たり前。
50年近くほとんど毎日一緒にいたから、居ない方が落ち着かない。
「麗華さん、何か手伝いますか?」
「じゃあ、洗濯物干してあるやつ取り込んで」
「わかりました」
そして家事まで手伝う蓮。
蒼真がやりたいと思う事の補助をしてくれる。
洗濯物を干したり、取り込むのはフラつきと息切れで禁止されている蒼真。
それでも、重たい物を麗華に持たせたくない気持ちを知る蓮が代わりにやってくれている。
だから、自分は座って出来る洗濯物畳みや、蒼志と悠真のワイシャツにアイロンをかけてやる。
精一杯、出来ることをやる毎日だ。
「ねぇ、おじいちゃんってさぁ」
「ん」
「頭良いから先生になれば良かったのに」
「どうだろ。でも……そんな人生もあったかもな」
「紬、蒼真が先生は無愛想過ぎる」
「えー?」
蓮が即座にツッコミを入れると蒼真は不服そうな顔をしている。
蓮は笑いながら洗濯物を持ってきて、蒼真が畳みやすいようにソファ前に置いてくれた。
そして、そんなやり取りを夕食の支度をしながら麗華がキッチンで笑っていた。
悠真も総統の忙しさから一人暮らしのアパートから神代家へ出戻りして、毎日賑やかだ。
麗華が微笑んでいて、蒼志と渚も仲のいい夫婦で紬は可愛くて、悠真は相変わらずうるさくて、蓮も入り浸っている。
それが、神代蒼真63歳の日常だった。
チリン……。
風鈴が静かに鳴る。
昼食を終えた神代家には穏やかな時間が流れていた。
紬は宿題を終えて遊びに行き、麗華は買い物へ出掛けている。
蒼真と蓮だけが縁側に座り、夏の風を感じていた。
「暇だな」
「だから何回目だ」
いつもの蒼真の言葉に蓮が呆れたように息を吐くと、蒼真は小さく笑って空を見上げた。
雲がゆっくりと流れている。
こんな風に空を眺める時間など、昔はなかった。
「なぁ、蓮」
「ん?」
「覚えてるか」
「何を」
少しだけ間が空けて、蒼真は空を見たまま呟いた。
「この国を守る」
蒼真の言葉に蓮は一瞬だけ目を細めた。
「誰も死なせない」
それは、2人が第一特務遊撃隊への配属が決まった日。
いつものように組み手をしながら、笑いながら交わした約束。
思想も理論もない、国家論も組織論もない。
ただの熱血バカの青臭い約束だった。
「覚えてる」
蓮が短く答えると蒼真は小さく笑った。
「出来なかったな」
風が吹く。
風鈴が鳴る。
どこか遠くで子供達の声が聞こえた。
「助けられなかった命もあった」
蒼真は今でも、護送任務の件を失敗だと言うだろう。
病室のベッドで虚ろな目をしていた蒼真。
——蓮、ごめん…約束、破った。
あの時の蒼真は本気で約束を破ったと思っていた。
だが、蓮にとっては約束が破られたなんて思ってもいなかった。
最善を尽くした結果だったからだ。
そして、蒼真は黎明総統の任命書にサインをした。
蒼真は権力も名誉も欲しかったわけじゃない。
——蓮、約束の続きをさせてくれ。
俺が補佐官の任命書にサインをした瞬間だ。
まっすぐ、強いまなざしを蒼真が向けてきた。
断る理由も必要もなかった。
——走るぞ。
ただ、そう答えた。
俺も蒼真と同じだったから。
約束はずっと2人のドッグタグで結ばれていた。
だけど、災害救助に組織運営が変わり始め、俺達の約束の形も変わった。
総統なら変えられる。
総統なら守れる。
それでも、人の命にはいつかは最期がある。
名前も知らない多くの人達。
どれだけ手を伸ばしても届かなかった命があった。
どれだけ足掻いても救えなかった人がいる。
長く生きたからこそ知った現実だった。
だから、俺達は命を諦めず、全員帰して繋いでいく為に黎明の医療班も改革した。
それが、今の暁総統、悠真と補佐官、蒼志だ。
蓮は小さく息を吐きながら、首を横に振った。
「見捨てた訳じゃねぇ」
「……」
「その命は在るべき場所に帰った」
蒼真は黙って聞いていた。
「人の命の運命まで、俺たちだって背負えねぇよ」
その言葉に蒼真は苦笑した。
「……ガキの頃はそれも出来ると思ってた」
「青かったな」
「あぁ」
その言葉に2人は空を見上げながら同時に笑う。
若かった。
無茶だった。
自分達なら何でも出来ると思っていた。
でも、その青さがあったからここまで来られたのも事実だった。
しばらく沈黙が流れた。
やがて蒼真が静かに口を開いた。
「でもさ」
「ん?」
「後悔はしてねぇな」
蓮は少しだけ驚いた顔をして、それから笑った。
「あぁ」
迷いなく頷く。
「走りぬいた」
蒼真が言う。
「約束は守った」
蓮が続ける。
——この国を守る。誰も死なせない。
あの日の約束を、そのままの形で守れた訳じゃない。
それでも、命を繋いで、帰る場所を守り、次の世代へ託した。
2人が背負った時間は無駄ではなかった。
風が吹く。
チリン……。
風鈴が鳴る。
蒼真は空を見上げながら小さく笑った。
「あ、鳥来た」
「巣箱でも作るか?」
「暇だからそれもいいな」
そんな他愛もないやり取りをしながら。
二人は穏やかな午後を過ごしていた。
翌日。
「もう少し右じゃねぇ?」
「いや、こっちだろ」
神代家の庭では朝から奇妙な光景が広がっていた。
作業台代わりに持ち出された縁台の上には木材が置かれ足元には工具箱。
そして、その中心には元黎明総統と元総統補佐官。
「蓮、それ曲がってる」
「曲がってねぇ」
「曲がってる」
「気のせいだ」
「絶対曲がってるって」
63歳の2人が真剣な顔で木材を睨んでいた。
目的は鳥の巣箱の作成。
昨日、庭へ飛んできた小鳥を見て思いついただけである。
しかし、いい暇つぶしになるかもしれない、と設計図を作り上げ、早朝のホームセンターで買い物を済ませてきたのだ。
「何やってんの?」
縁側から寝ぼけた顔を出した悠真が首を傾げた。
「見りゃ分かるだろ」
「巣箱だ」
「それは分かる」
「なら聞くな」
「聞きたくもなるだろ!」
真顔で答える2人に悠真はツッコミを響かせリビングへ戻っていった。
ここ最近、元気はあるが悠真は忙しくてすこしイライラしているらしいと蒼志から聞いていた蒼真は静かにその背中を見送った。
いい年をしたオッサン2人にツッコミを入れれるなら大丈夫だろう。
しばらく設計図と木材と睨み合いを続けていると、神代家の前に見慣れた一台の車が止まった。
運転席から降りてきた人物を見て蒼真が眉を上げた。
「奏?」
「おはようございます」
奏は朝から呆れたような顔をしていた。
その手には大きなダンボール箱。
さらに後部座席にも何やら積まれている。
「何だそれ」
蒼真と蓮が首を傾げると奏は盛大にため息を吐いた。
「本部に残ってた2人の荷物です」
「……」
「……」
蒼真と蓮が気まずそうに目を逸らすと奏の額に青筋が浮かぶ。
「退任して一年です」
「……そうだな」
「一年です」
「……1年だな」
「なんでまだ本部に私物が残っているんですか」
庭に重苦しい沈黙が流れると、奏は次々と車から段ボールを運びだしていく。
「いや、こんなに私物置いてなかったって」
運ばれた箱の数を見て、蒼真が文句を口に出す。
蓮は箱の中身を確認しながら、呟く。
「……これ、私物と…悠真と蒼志に仕掛けたいたずらのやつだ」
「あーなるほど」
平然としている2人の様子に奏は頭を抱えて口を開いた。
「あんたらマジでなんも変わってねぇな!」
奏のひと言に蒼真と蓮の2人はニヤッと口角をあげた。




