第88話 No Need to Rush
5人で焼肉を食べて、家に帰る頃には日付が変わりそうになっていた。
時間も遅かったので、蓮と悠真もそのまま神代家へと泊まることにした。
「蒼真」
「ん?」
2階の寝室のベッドに寝転がる蒼真を麗華が見つめていた。
「長い間、お疲れ様。隣で見させてくれてありがとう」
「……でもさ…親父は越えれなかったよ」
麗華の言葉に蒼真は自嘲気味に答えた。
麗華に”親父を越えたい”、”隣で見ててくれ”と宣言した19歳の夜。
あれからずっと、麗華はその言葉を信じてくれていた。
信じて、帰りを待ち続けてくれていた。
「そうかな?」
麗華はベッドへ腰掛けると蒼真の肩へ手を置き、真っ直ぐ目を見ると口を開いた。
「蒼真は立派な総統だったよ。どんな時も」
「……うん」
蒼真は少しだけ俯いていたが、その表情はどこか晴れやかだった。
全て、やりきった。
総統として、やるべきことはやったと言う顔だった。
「後1年、許してくれてありがとう」
「だってダメって言っても、やるって顔してたもの。それに…総統としてじゃなくて、父親として、なんでしょ?」
麗華はクスッと笑うと蒼真はバレてたか…。と頭を掻いた。
「アイツらが楽出来るように復興の道筋は通しておいてやりたいのは、確かに親心かもな」
そう言うと蒼真は布団に潜り込みめを閉じた。
その時だった。
「……ここ1年位、死神の声聞こえてないよね」
麗華の言葉に蒼真はゆっくりと目をあけて麗華を見つめ、微笑んだ。
「うん……分かったから」
「そっか」
麗華も蒼真に微笑むと部屋の灯りを落とした。
式典と外食で疲れたのだろう、蒼真はすぐに寝息を立て始めた。
規則的な酸素の音と穏やかな寝息。
この時間を手に入れるためにどれだけ、自分を削ってきたか。
どれだけの事を乗り越えてきたか。
それでも帰し続けてきた夫が麗華は誇らしかった。
翌朝、麗華が目を覚ますと隣で寝ていたはずの蒼真はすでに起きていた。
耳を澄ますとリビングから話し声が聞こえてくる。
時計に目をやると、いつも蒼真が仕事の為に起きる時間をすでに過ぎていた。
焦りながら麗華がリビングに向かうと、不服そうな表情をしている蒼真と蓮がソファに座っていて、蒼志と悠真が腕をくんで仁王立ちしていた。
「どうしたの?」
「聞いてよ、母さん!この2人、今日は復興関係の会議ないのに、本部に行こうとしてるよ!」
「違う、間違えたんだ」
「そうだ」
悠真が訴えかけると、蒼真と蓮は真顔で答え、麗華は笑ってしまった。
何十年と続けてきた朝の習慣を1日で変えるのは確かに難しい。
けれど、息子達に捕まる蒼真と蓮がなんだか小さく見えた。
「仕方ないわよ。蒼真、蓮コーヒー飲むでしょ?」
「飲むか…」
「いただきます」
「ほら、新総統と新補佐官は仕事の準備!渚ちゃんとつむちゃん起こして」
麗華の声でいつもの朝が始まった。
いつもと同じだけど、少し違う。
見送られる側だったのに、”行ってらっしゃい”と息子達を見送る朝。
こんな穏やかな朝は初めてだった。
なんの予定もない。
緊急の連絡も来ない。
それが普通の事のはずなのに、心のどこかで何かを求めている。
悠真達を見送ると蓮も家に帰ってしまい、蒼真は暇を持て余した。
紬も学校に行って、家には蒼真と麗華の2人だけだった。
リビングのソファへ腰を下ろし、テレビをつける。
ニュース、天気予報、情報番組とチャンネルを変えてみるが、どれも頭に入ってこず、数分後には電源を切っていた。
「……」
時計を見るとまだ午前九時過ぎだった。
「蒼真?」
昨日の洗濯物を畳んでいた麗華が首を傾げる。
「ん?」
「どうしたの?」
「別に」
そう答えるが、落ち着かない。
スマホを開いて、予定表を見る。
当然、何もない。
もう総統ではない。
今日の予定も、明日の予定も空白だった。
「……暇だな」
ポツリと呟くと、麗華が吹き出した。
「ふふっ」
「笑うなよ」
「だって、そんな真面目な顔で言うんだもの」
蒼真は不服そうに眉を寄せた。
本当に暇なのだから仕方がない。
会議もなくて、報告書もない。
国からの緊急連絡も入らない。
数十年ぶりに訪れた静かな平日だった。
今までは休みの日でも次の日の会議資料の確認や定時連絡が入った。
スマホの予定表もびっしり埋めつくされていたのに。
急に全てがなくなった。
「じゃあ手伝って」
麗華が洗濯物の入ったカゴを指差した。
「手伝う」
蒼真が即答すると麗華はまた笑ってしまう。
「そんなに暇なの?」
「暇だ」
「さっきからそれしか言ってない」
「本当に暇なんだから仕方ないだろ」
蒼真はそう言うとソファの前へ移動し、洗濯物を一枚ずつ畳み始めた。
タオル、シャツ、ハンカチ、どれも慣れた手つきで畳んでいく。
「意外と上手いのね」
「失礼だな」
「見た事なかったかも」
「昔は家に居なかったからな」
何気なく返した言葉に麗華の手が少し止まった。
蒼真も気付いたのか、一瞬だけ視線を落とした。
「……悪かった」
「謝らなくていいの」
麗華は優しく微笑んだ。
「今こうして居てくれるんだから」
蒼真は何も答えなかった。
代わりに手元のタオルを丁寧に畳んでいく。
静かな時間だった。
けれど不思議と気まずさはない。
窓から入る風がカーテンを揺らし、洗剤の匂いがほんのりと漂っていた。
「なぁ」
「なに?」
「毎日こんな感じなのか?」
「そうよ」
「そうか……」
蒼真は少し考え込んだ。
これまで知らなかった時間だった。
家で過ごす朝。
何も起きない昼。
誰も助けを求めない午後。
それが当たり前の生活なのだろう。
けれど、自分にはまだ慣れない。
慣れてしまうのも少し怖い。
「蒼真」
「ん?」
「ゆっくり慣れればいいのよ」
麗華はそう言って笑うと蒼真もつられて小さく笑った。
「そうだな」
畳み終わった洗濯物を見つめながら呟いた。
「そういえば…昔一度だけ、2人でゆっくり過ごしたよな……」
「……お義父さんの解任騒動の時?」
「そう……俺、あの時と同じ位、つまんねぇかもよ」
そういうと蒼真は少し笑った。
あの時の自分は今、思い出しても酷い。
ベットから起き上がる事もご飯を食べることも出来ない日が続いた。
大好きな車の運転も出来なくて、一緒に居てくれる麗華をどこにも連れて行けなくて…。
自分が嫌いだった。
今も運転が出来なくなって、やっと時間は出来たのに自分の力で麗華をどこかに連れて行くことが出来ない。
今の自分が嫌いな訳でもないし、受け入れてきたつもりだけど、どうしても何も出来ない事が嫌にはなる。
「つまんなくないよ?蒼真、よく笑うようになった」
「え……」
「なんかね、肩の荷が降りたんだろうなぁって。悠真達が白嶺町から帰ってきてから」
「………」
「今更つまんないなんて思わないよ。今朝も本部行こうとして止められてて面白かった」
「それは…間違えたんだよ」
「当たり前。私もそうだった。蒼真に黎明辞めてってお願いされて、辞めた次の日、行く準備しちゃってたじゃない」
そう言いながら、麗華は小さく笑った。
蒼真は洗濯物を畳みながら、そうだっただろうかと考えた。
「あ、俺がまだ入院してた時か…メッセージ麗華送ってきてて…そういえば笑ったかも」
そういえばと蒼真は思い出して笑った。
麗華から仕事に行く準備しちゃったから、お見舞い早く行くね。と来ていたかもしれない。
「私は、蒼真と一緒にぼーっとしてるだけでも平気だよ」
「……そんな女いるのかよ」
「ここにいる」
────チリン………。
リビングの開けていた窓から風が吹き込んで、風鈴を揺らした。
そして、蒼真と麗華の髪を揺らした。
急ぐ必要はない。
少しずつ慣れていけばいい。
これから先は、走る人生ではないのだから。




