第86話 黎明の空から、暁の空へ
白峰山噴火後、国から蒼真へ任期延長が打診された。
しかし、蒼真はそれを断った。
後継者を決めた以上、災害を理由に継承を先延ばしにはしない。
その代わり、蒼真と蓮は退任後の一年間、復興顧問として暁に残ることを決めた。
復旧計画の基盤を作り、次の世代へ完全に引き渡すためだった。
「父さん…本当に酸素無しで歩くの?」
総統室で退任式の準備をしながら、蒼志は不安そうに蒼真を見つめた。
「歩く」
短いが強い言葉を蒼真は呟いた。
蒼志達が持ち込んだ火山灰によって呼吸はあの後、不安定になっていて、日常生活でも高濃度酸素マスクを使う日もまだ多い。
そして、式典用の統括礼装は普段のスーツよりも重たい。
後遺症を抱え、呼吸も安定しない父を心配し、医師としても息子としても反対したが蒼真が譲らなかった。
────総統としての最後の公の場には、そのままの自分で立ちたい。
それが蒼真の希望だった。
壇上脇から演台までの僅か数メートル。
壇上脇に蓮と蒼志が待機する事を条件に蒼志は許可した。
蒼真もそれを受け入れ、蓮の承諾も得た。
あとはその時を待つだけだった。
「じゃあ俺、悠真と先に会場に行ってるね。蓮さん、よろしくお願いします」
「あぁ」
蒼志が総統室から出ると残された2人は自然と窓の外を見つめた。
鳥が二羽飛んでいく。
空高く、風と共にどこまでも果てしなく遠い空へと飛んで行く。
「なぁ、蓮」
「なんだ」
「……全部、やりきったよな」
「そうだな」
「そうか」
ただ静かに時間だけが流れていく。
この窓から晴れた空を見るのも今日で最後。
「時間だ、行くぞ」
「あぁ」
蓮はゆっくりと蒼真の車椅子を押し、総統室を後にした。
ざわめきが、静かに消えていく。
広いホールに整列した隊員達。
幹部、来賓。
全員の視線が、一点に集まっていた。
壇上脇からゆっくりと歩いてくる。
ホールのライトで輝く銀色の髪。
神代蒼真。
背筋を真っ直ぐに立っている。
名前が呼ばれると形式通りの拍手が起こる。
音が遠く感じた。
ー夜は、明けた。
演台には原稿。
それを見る必要はなかった。
視線を真っ直ぐ前だけに向けた。
立っているだけで体中が痛みだす。
だけど顔には出さない。
「第8代 黎明総統、神代蒼真です」
低い声がマイク越しに静かに通る。
空気が張る。
誰も動かない。
「全員、帰す」
視線が、ホールの全員をなぞる。
第一特務隊の中には悠真の姿が
第二特務隊
一般隊列
医療スタッフ列には渚の姿が
後方…家族席
澪と麗華、華凛、紬、蒼空
そして、壇上脇に車椅子と酸素を準備して控える蓮と蒼志
ーこれが俺の帰った場所だ。
「……そして、帰る」
マイクから音が落ちる。
誰も、息をしてないみたいに静かだった。
蒼真は動かず続ける。
「それが黎明だ」
蒼真が一礼すると一拍遅れて拍手が起きる。
最初は小さく、やがて、大きく。
波みたいに広がっていく。
背負ってきたものその全てを降ろして
蒼真は壇上脇へとゆっくりと戻っていく。
「無茶して…」
蒼志がすぐに車椅子に座らせ、蓮が酸素マスクを押し付ける。
「……最後だからな…」
「相変わらずクソ野郎だな」
蓮が鼻で笑う。
「…父さん、おかえりなさい」
「……ただいま」
波のように広がった拍手はいつまでも鳴りやまなかった。
戦い抜いた怪物たちをまるで祝福するかのように。
ホール近くの控室の扉が閉まるとホールから聞こえていた拍手も遠くなり、部屋には静寂だけが残った。
蒼真は車椅子に腰を下ろしたまま、静かに呼吸を整える。
「……無茶し過ぎだ」
蓮が呆れたように言う。
「最後だからな」
「毎回そう言う」
鼻で笑った蓮に、蒼真も小さく笑ったその時だった。
控室の扉が静かに叩かれた。
「入れ」
現れたのは統括礼装に身を包んだ悠真だった。
その姿に蒼真は少し目を細めた。
27年前の自分にそっくりだ。
「準備終わったのか」
「うん」
「……蒼志の様子見てくる」
蓮はそう言うと蒼志のいる隣の控え室へと向かった。
悠真のどこか落ち着かない様子に蒼真はすぐに気付いた。
「緊張してんのか」
「……そりゃするよ」
蒼真の言葉に悠真は苦笑する。
「これから総統になるんだから」
「そうか」
「父さんは緊張しなかったの?」
蒼真は少し考えると口を開く。
「した」
「え?」
「蓮と2人で逃げようとして橘さんにバレて、就任式直前にげんこつ2人で貰った」
「嘘だろ」
「本当だ」
思わず悠真が吹き出すと蒼真もつられて笑った。
そして少しだけ真面目な顔になる。
「悠真」
「うん」
「神代蒼真になるな」
その一言に悠真が顔を上げる。
蒼真は真っ直ぐ息子を見ていた。
「俺になろうとするな」
「……」
「お前はお前だ」
静かな声だった。
だが、その一言は重かった。
「失敗してもいい、迷ってもいい。分からなくなったら周りを頼れ、止まれ」
蒼真はゆっくりと言葉を続けた。
「俺は、そこに辿り着くまでに何十年もかかっちまった。だからな、ただ一つだけ覚えとけ」
「うん」
「必ず帰れ」
悠真は目を見開いた。
「帰れ?」
「あぁ」
蒼真は笑った。
「帰って来れない総統にだけはなるな」
長い沈黙の後、悠真は唇を噛み、そして頷いた。
「了解っ」
その返事に蒼真は満足そうに笑った。
一方その頃。
隣の控室の蒼志は鏡の前で礼装の襟を整えていた。
慣れない服装に違和感しかない。
「似合わない……」
「いや、似合ってる」
扉の開く音と声がして、蒼志が振り返ると蓮が立っていた。
蓮はタバコに火をつけた。
「慰めですか?」
「事実だ」
蓮は壁に寄り掛かりながらタバコを吸い、蒼志を見つめ目を細めた。
27年前、自分もこんな感じだった。
真新しい着慣れない礼装服。
孫にも衣装という言葉が当てはまり過ぎていると思った。
「不安です」
「だろうな」
「蓮さんみたいには出来ません」
蓮は即答した。
「当然」
「……」
「俺じゃないんだから」
目を見開く蒼志に蓮は小さく笑いながらタバコをひと吸いする。
「蒼真は天音さんにはなれなかった。俺も橘さんにはなれなかった」
「父さんと蓮さんも…?」
「あぁ、誰も前の世代にはなれない。ならなくていい」
蒼志は静かに聞いていた。
「補佐官ってのはな、総統を支える仕事じゃない」
「え?」
「総統を1人にしない仕事だ」
蒼志が目を瞬かせた。
「蒼真が潰れる前に担ぐ、蒼真を孤独にしない、蒼真を帰らせる。それが全てだった」
蓮はタバコの灰を落としながら続けた。
「補佐官はな、総統を怪物のままにさせない仕事だ。人間に戻してやるんだ。……悠真は怪物世代じゃねぇ、だから…怪物にならないように1人にするな。お前なら出来る」
蒼志は少し考えたあと聞いた。
「根拠は?」
蓮は本当に少しだけ笑った。
「蒼真の息子で悠真の兄貴だから」
蒼志は思わず吹き出した。
「それ根拠になります?」
「なるだろ」
やがて会場入りの時間が来ると廊下で顔を合わせた悠真と蒼志。
二人とも少しだけ表情が固い
「行くか」
悠真が言う。
「行こう」
蒼志が答える。
2人が並んで歩き出した、その背中を見送りながら蒼真は小さく息を吐いた。
「大丈夫そうだな」
「あぁ」
蓮も頷き、しばらく二人でその背中を見つめた。
そして蒼真がぼそりと呟いた。
「俺達もういらなくね?」
蓮が吹き出した。
「今頃か」
「遅かったか」
「かなり」
二人は笑う。
それは寂しさではなかった。
安心だった。
託したものが、ちゃんと受け継がれている。
その確信だった。
やがてホールの向こうから司会の声が響く。
新しい時代が始まる。
蒼真と蓮は顔を見合わせ、静かにホール後方の家族席へと向かった。
薄暗い会場の静まり返った空気の中、一歩ずつ、青年が壇上へ向かう。
黒の統括礼装に身を包んだ銀髪の青年。
その背中を無数の視線が追っていた。
警察消防、自衛隊、政府関係者、医療機関。
そして――黎明。
いや…もう、その名ではない。
壇上中央で青年は静かに立ち止まった。
その目はどこか、かつての男によく似ていた。
後方席で車椅子へ深く腰掛けた男が静かにその姿を見上げている。
シュー……
微かに響く酸素音。
歳を重ねた銀髪。
だがその目だけは今も変わらない。
隣には黒髪の男。
こちらも年老いたはずなのに鋭さだけは消えていない。
青年がマイクの前へ立ち、大きく息を吸い込んだ。
そして静かな声が会場へ響いた。
「――国家災害統括特殊救助機関・暁」
空気が変わる。
“黎明”ではない。
誰もがその意味を理解した。
青年はまっすぐ前を見据えたまま続ける。
「初代総統を拝命します」
神代悠真
その名が会場へ広がると拍手の波が起こった。
後方、車椅子に腰掛けた蒼真は酸素マスク越しに静かに目を閉じた。
長かった。
本当に、長かった。
戦い続けた。
壊れながら、削れながら、それでも帰した。
仲間を。
命を。
帰る場所を。
その隣で蓮が小さく呟いた。
「……夜明けだ」
蒼真はゆっくりと目を開けた。
壇上には銀髪の悠真と隣には補佐官席へ立つ蒼志の姿。
壇上の奥には新たな暁の旗。
もう、自分達の時代ではない。
だからこそ。
蒼真は暁の旗を見つめながら少しだけ笑った。
「……やっと、朝になった」
その瞬間。
“怪物達の時代”が 静かに終わりを迎えた。




