第84話 I’ll Bring You Back
白嶺町上空の灰色の空を零式統括機は進み続けていた。
機体の外では、細かな火山灰が窓へ叩きつけられている。
進むほど視界は悪化し、白嶺町の地形はほとんど目視できなくなっていた。
『着陸地点まで、あと五分』
操縦席からの声が機内へ響く。
『現在、視界不良。これより計器飛行を中心に進入する。全員、衝撃に備えろ』
蒼志がシートベルトを締め直すと、向かい側に座る第一医療班の隊員たちも、身体と装備の固定を再確認する。
機体が大きく揺れ、固定された黒いケースが、金属音を立てる。
「積載物、異常なし!」
「医療用酸素、固定維持!」
報告が飛び交う中、蒼志は窓の外へ目を向けた。
見えるのは、濃淡の違う灰色だけだった。
この下に、白嶺町がある。
以前来た時とは全く違う姿だ。
そして、そこには呼吸器症状に苦しむ住民がいる。
火山灰の中で活動を続ける隊員たちがいる。
そして、悠真がいる。
『着陸地点を確認』
機体がゆっくりと高度を下げ始めた。
『ローターによる火山灰の巻き上げが予想される。後部扉は指示があるまで開放するな』
高度が下がるにつれ、機体の揺れが激しくなる。
四基のローターが地面に積もった火山灰を巻き上げ、機体の周囲は完全に灰色へ染まった。
地面が見えない中での着陸。操縦席では、計器と地上誘導員から送られる情報だけを頼りに降下が続けられていた。
『高度五メートル』
機内の誰も声を発しない。
『三メートル』
蒼志はシート脇の手すりを強く握った。
『接地する』
次の瞬間、機体へ強い衝撃が走った。
車輪が地面を捉え、機体が僅かに傾いたが、すぐに姿勢は安定した。
『着陸完了』
機内の空気が僅かに緩んだが、蒼志はすぐにシートベルトを外した。
「全員、防護マスク確認!」
蒼志の声で第一医療班が一斉に立ち上がる。
「後部扉開放後、物資班はケース搬出! 医療班は現地医療責任者と合流!」
「はい!」
「呼吸器症状患者を各避難所ごとに再分類する。重症者は医療拠点へ集約!」
「了解!」
『ローター停止を確認。後部扉、開放する』
低い駆動音と共に、後部扉がゆっくりと開くと、外から灰を含んだ風が吹き込んでくる。
目の前に広がっていたのは、灰色に変わった白嶺町だった。
道路も建物も役場前に並ぶ車両も、すべてが薄い火山灰に覆われている。
「搬出開始!」
隊員たちが黒いケースを持ち上げ、次々と機外へ運び出す。
「防塵高濃度酸素マスク、第一便到着!」
「避難所別に振り分けろ!」
「在宅酸素使用者と呼吸器症状患者を最優先!」
待機していた現地医療班と黎明隊員が、ケースを受け取っていく。
その姿を確認しながら、蒼志が降機すると、足元に積もった火山灰が靴の下で乾いた音を立てる。
「神代班長!」
現地医療責任者が駆け寄ってきた。
「各避難所の状況は」
「呼吸器症状の報告は現在42名。うち重症化リスクが高い患者が11名です」
「医療拠点は」
「役場北側の保健センターへ移しました」
「第一医療班の半数をそちらへ。残りは各避難所に分けます」
「了解!」
蒼志は振り返り、第一医療班へ指示を飛ばす。
「第一班、保健センターへ! 第2班、各避難所へ防塵高濃度酸素マスクを搬送!」
「はい!」
「第3班は現地活動隊員への配布準備! 警察、消防にも必ず回せ!」
「了解!」
隊員たちが一斉に動き始め、大量の黒いケースがマットブラックから下ろされ、必要な場所へ運ばれていく。
蒼真が何年も前から準備してきたものが、ようやく現地へ届いた。
これで、守れる呼吸が増える。
だが蒼志は、役場前を見回して眉を寄せた。
そこにいるはずの銀髪が見当たらない。
「悠真は?」
近くにいた第一特務隊員へ問いかけると、隊員は一瞬、答えを躊躇った。
「悠真さんは……」
「どこにいる」
蒼志の声が低くなったそのとき、現地対策本部から律が出てきた。
蒼志と目が合った瞬間、律の表情が僅かに歪んだ。
「蒼志」
「律さん」
「よく来た」
「悠真はどこですか」
挨拶を返す余裕はなかった。
律は数秒、何も言わなかった。
「律さん」
「……旧展望道だ」
蒼志の表情が変わる。
「何で?」
「観光客3人が、火山ガスの危険区域へ入った」
「まさか、捜索に?」
「あぁ。駿と謙も一緒だ」
「酸素マスクは」
律は答えなかった。
その沈黙だけで、蒼志には分かった。
「酸素マスクなしで行かせたんですか!?」
「止めた!」
律の声が響くと、周囲にいた隊員たちが振り返る。
「止めたよ! 指揮所に残れって言った! 装備が届くまで待てって言った!」
「だったら、何で――」
「止まらなかったんだよ!」
律の声には、怒りだけではないものが混じっていた。
焦りと恐怖、そして、自分を責め続けている男の苦しさ。
「隊員を危険に晒せない。自分1人なら被害は1人で済むって……」
蒼志の目が僅かに見開かれた。
聞き覚えのある言葉だった。
言った本人は違う。
だが、その考え方を蒼志は嫌というほど知っていた。
「お前の馬鹿弟……」
律は火山灰に覆われた旧展望道の方角を見る。
「マジで蒼真さんと同じだよ」
「……」
「同じ目で、同じことを言いやがった」
蒼志は唇を噛んだ。
父親が、これまで何度その考えで自分を危険へ追い込んできたか。
誰かを守るためなら、自分一人が傷つけばいい。
その結果、蒼真の身体に何が残ったのか。
蒼志は誰よりも知っている。
「出てから何分ですか」
「7分」
「捜索時間は」
「10分だ」
残り3分。
だが、時間を過ぎれば戻ってくるとは限らない。
「ガス濃度は」
「危険値を超えて、まだ上がってる」
蒼志は律の言葉を聞くと振り返り指示を飛ばした。
「第一医療班、第三班!」
「はい!」
「防塵高濃度酸素マスクを装着! 予備六名分を携行!」
「了解!」
「ガス検知器、救急資器材、搬送用担架を準備!」
しかし、律が蒼志の腕を掴んだ。
「蒼志」
「止めても行きますよ」
「分かってる」
律は蒼志を見つめた。
「だから頼む」
掴んだ手へ、力が入る。
「兄として、あいつを止めろ」
蒼志は何も答えなかった。
「お前の馬鹿弟、本当に蒼真さんと同じなんだよ……」
俯く律の声は掠れていた。
「俺じゃ止められなかった」
蒼志は律の手を振り払わなかった。
自分が到着するまで、この現地を預かっていたのは律だ。
悠真を止めようとしたことも。
行かせたくなかったことも。
それでも三人の観光客を見捨てられず、悠真へ指揮権を託されたことも分かっている。
「律さん」
「なんだ」
「悠真が戻ったら、一緒に説教してください」
律が顔を上げる。
「俺だけじゃ、たぶん止められないんで」
その言葉に、律の表情が僅かに緩んだ。
「……骨を折ってでも止めろ」
「父さんは右足をプレート固定されても止まりませんでした」
「そうだったな」
「だから、生きて連れて帰って説教します」
「あぁ」
蒼志は律の腕へ一度だけ手を置いた。
「必ず、3人とも連れて戻ります」
「頼んだぞ」
「はい」
「班長、出動可能です!」
蒼志は防塵高濃度酸素マスクを装着し、旧展望道へ続く灰色の道を見据えた。
「行くぞ!」
「了解!」
蒼志と第一医療班は、悠真たちを追って走り出した。
その背中を見送りながら、律は小さく呟く。
「……全員、帰ってこい」
灰色の空からは、今も火山灰が降り続けていた。
捜索開始から8分。
携帯用ガス検知器の警告音は、途切れることなく鳴り続けていた。
視界は悪く、火山灰が降り積もった旧展望道を、悠真、駿、謙は三方向へ視線を走らせながら進む。
「残り2分!」
駿の声に、悠真は端末の時刻を確認した。
「分かってます!」
ガス濃度は、すでに危険値を大きく超えている。
防護マスクを装着していても、喉が焼けるように痛み、目の奥が熱を持ち、呼吸をするたび胸が重くなっていく。
それでも、足は止めなかった。
「誰かいませんか!」
悠真の声が、灰色の景色へ吸い込まれていく。
返事はなく、火山灰が木々の葉に落ちる音だけが周囲に響いている。
「おい! 聞こえたら返事しろ!」
謙が叫んだ直後だった。
道の先から、僅かな物音が聞こえた。
「……けて……」
悠真がこの微かな音に足を止めた。
「今、声が」
3人は顔を見合わせ、同時に走り出した。
旧展望台へ続く分岐の先の倒れた案内板の陰に、三人の姿があった。
一人は地面へ横たわり、残る二人も、その傍で身を寄せ合うように座り込んでいる。
「いた!」
悠真たちは駆け寄った。
見つけた。
帰せる。
その思いを3人は胸に抱いた。
「黎明です! もう大丈夫です!」
声を掛けながら膝をついた悠真は、横たわる観光客の首元へ指を当てる。
脈はあるが呼びかけへの反応は鈍かった。
「駿さん、意識レベル低下。呼吸あり」
「了解」
「謙さん、そっちの二人を」
「任せろ」
駿と謙が、持ってきた予備の防護マスクを観光客へ装着する。
「立てますか」
謙の問いかけに、一人が小さく頷いた。
もう一人は立ち上がろうとしたが、足へ力が入らず、その場へ崩れ落ちる。
「駄目だ。二人は担ぐ」
駿が意識のない一人を背負う。
謙も、立てない一人を抱え上げた。
「悠真、歩ける一人を頼む」
「はい」
悠真は残る一人の腕を自分の肩へ回した。
端末を見る。
捜索開始から、10分。
「戻ります!」
来た道を引き返しだしたが、先ほどまで見えていた道は、さらに濃くなった火山灰に覆われていた。
風向きも変わっている。
ガス検知器の警告音が、より激しく鳴り始めた。
「急ぐぞ!」
「はい!」
3人は観光客を支えながら進む。
駿と謙の呼吸が荒くなるのを感じながら悠真も、次第に足元の感覚が薄れていくのを感じていた。
視界が揺れる。
頭が重い。
足が重い。
「悠真」
呼びかけてきた駿の声が遠く聞こえた。
「大丈夫です」
「声がおかしいぞ」
「喉をやられただけです」
答えた直後、悠真の足がもつれ、支えていた観光客と共に倒れかけそうになり、咄嗟に踏み止まる。
「悠真!」
「大丈夫……です」
大丈夫ではないことくらい、自分でも分かっていた。
だが、ここで止まれば全員が危険に晒される。
────全員、帰す。
悠真は観光客の身体を支え直した。
「行きます」
「お前、その状態で――」
「俺が止まったら、この人も帰れない」
もう一度、足を踏み出した、その瞬間。
灰色の向こうから、複数の足音が聞こえてきた。
「悠真!」
聞き慣れた声に悠真は顔を上げると火山灰を掻き分けるように走ってくる、第一医療班。
その先頭に、蒼志がいた。
「……蒼志?」
蒼志は悠真へ駆け寄ると、その身体を支えた。
「何やってんだ、お前!」
「観光客……3人、保護した」
「見れば分かる!」
「全員…生きてる」
「お前も生きて帰るんだよ!」
第一医療班が、観光客と駿、謙へ防塵高濃度酸素マスクを装着していく。
蒼志も携行していたマスクを取り出し、悠真に装置しようとすると悠真は首を振る。
「先に、この人へ」
「全員分ある!」
蒼志は悠真の防護マスクを外し、防塵高濃度酸素マスクを押し当てた。
「父さんが用意したんだ!」
悠真の動きが止まる。
「父さんもいる! 本部で戦ってるんだ!」
蒼志はマスクを固定しながら、悠真を睨んだ。
「何年も前から、この時のために……父さんは倒れながら戦ってきたんだ!」
酸素の供給が始まるとシュー……と、一定の音が響いた。
その音は、幼い頃から聞いてきた、父の音だった。
「だから、お前がここで倒れるな、悠真!」
悠真はマスク越しに大きく息を吸った。
肺へ酸素が流れ込み、揺れていた視界が少しずつ戻ってくる。
数秒後、悠真は顔を上げた。
「駿さん、謙さん」
呼吸を整えていた2人が悠真へ視線を向ける。
「要救助者、担げますか」
駿と謙は、酸素マスク越しに笑った。
「誰に言ってる」
「こっちは問題ねぇよ」
悠真は頷くと、蒼志を見る。
「蒼志、一気に走る」
「は?」
「医療班、ついてこれるか」
蒼志は悠真の腕を自分の肩へ回した。
「どこの医療班だと思ってんだ」
第一医療班は搬送態勢を整えていた。
6人全員の呼吸が、確かに守られている。
悠真は旧展望道の出口を見据えた。
「帰ろう!」
「了解!」
灰色の道を、全員が一斉に走り出した。




