第83話 You Have to Come Back
黎明本部、地下格納庫。
巨大な空間に、無数の足音と怒号が響き続けていた。
「防塵高濃度酸素マスク、最終ケース搬入します!」
「医療用酸素、固定確認!」
「第一医療班、全員搭乗準備!」
マットブラックの機体後部では、隊員たちが次々と黒いケースを積み込んでいる。
その一つひとつに収められているのは、白嶺町で不足している防塵高濃度酸素マスクだった。
火山灰を遮断し、外気の影響を最小限に抑えながら、装着者へ高濃度酸素を供給する。
蒼真が何年も前から量産させ、保管し続けてきた装備。
使われないことを願いながら、それでも必要になる日に備えて作られたものだった。
「積載数、最終確認!」
「防塵高濃度酸素マスク、二千!」
「搬送用酸素、呼吸器治療薬、吸入器、簡易医療拠点用装備、全て積載完了!」
報告を聞きながら、蒼志は格納庫へ入った。
既に医療班の装備へ着替え、胸元には総統室で蒼真から託された零回線の端末が収められている。
その姿を見つけた第一医療班の隊員たちが、一斉に蒼志へ向き直った。
「班長!」
「状況は」
「全員、出動可能です」
「機内用酸素は」
「予備を含め確認済み。ただし、現地での消費量は予測できません」
「到着後は無駄に使うな。呼吸器症状患者と、火山灰の中で活動する隊員を優先する」
「はい!」
蒼志は並んだ隊員たちを見渡した。
これから向かうのは、白峰山の噴煙が空を覆い、火山灰が降り続けている場所だ。
通常の災害派遣とは違う。
現地へ着くまでの空路さえ、安全とは言えなかった。
「全員、聞いてくれ」
格納庫の喧騒の中、蒼志の声が響いた。
「白嶺町では、呼吸器症状を訴える住民が増え続けている。高齢者、基礎疾患患者、在宅酸素使用者への対応が最優先だ」
隊員たちの表情が引き締まる。
「現地医療班は既に限界へ近づいている。俺たちが到着次第、各避難所へ人員と装備を振り分ける」
「はい!」
「火山灰の影響は、住民だけじゃない。現地で避難誘導を続けている第一特務隊、警察、消防にも酸素マスクが行き渡っていない」
蒼志は一度、機体へ積み込まれた黒いケースを見た。
「この機体に積んだものは、ただの物資じゃない」
呼吸器症状に苦しむ者へ酸素を届ける。
火山灰の中で戦い続ける者たちの呼吸を守る。
そして、全員を帰す。
「命を繋ぐための装備だ」
誰一人、蒼志から目を逸らさなかった。
「必ず現地へ届ける。俺たち自身も、一人も欠けずに帰るぞ」
「了解!」
第一医療班の声が、格納庫に力強く響いた。
そのとき、操縦席側から操縦者が姿を現した。
「神代班長、航空管制から最終許可が出ました。確保された飛行経路は一つだけです」
操縦者が手にした端末を蒼志へ見せる。
白峰山から離れた位置を大きく迂回し、風上側から白嶺町へ入る経路だった。
だが、画面上では火山灰の分布が少しずつ広がり続けている。
「この経路も、いつまで使えるか分かりません」
「今は飛べますか」
「飛べます」
操縦者は即答した。
「ただし、飛行中に風向きが変わった場合は経路を変更します。降灰が想定を超えれば、本部へ引き返す判断もあり得ます」
「分かりました」
「現地へ降りられない可能性もあります」
「それでも、行けるところまでお願いします」
蒼志の言葉に、操縦者は小さく頷いた。
「そのために、この機体がある」
操縦者は踵を返し、操縦席へ戻っていき、蒼志は第一医療班へ向き直った。
「搭乗!」
「はい!」
隊員たちが次々と機内へ乗り込むと蒼志は最後に格納庫を振り返った。
地下格納庫の上には、黎明本部がある。
その統括室では、蒼真と蓮、奏たちが今も白嶺町の情報を追い続けている。
父は、本部に残った。
自らの戦場で、今も戦っている。
蒼志は胸元へ手を当てた。
服の内側には、零回線の端末がある。
「班長、準備完了です!」
「行こう!」
蒼志は機内へ乗り込んだ。
後部扉がゆっくりと閉まり、外の喧騒が遠ざかっていく。
機内灯が点灯すると、固定された大量の黒いケースと、向かい合わせに座る第一医療班の姿が浮かび上がった。
『全搭乗員へ。これより離陸準備に入る』
操縦者の声が、機内通信から響く。
『目的地、白嶺町。飛行中、激しい揺れが予想される。装備と身体の固定を再確認』
蒼志はシートベルトを引き、胸元の端末と医療装備を確認する。
隊員たちも互いの固定を確認し、最後に蒼志へ視線を向けた。
低い駆動音が機内へ響き始め、次第に音は大きくなり、機体全体が震え始める。
地下格納庫の上部隔壁が開かれ、零式統括機は黎明本部前へその姿を現した。
その先に見える空は、遠く離れた本部からでも分かるほど灰色に濁っている。
白峰山の噴煙が、空を覆い続けていた。
統括室に戻った蒼真は大型モニターに映し出された零式統括機を見つめていた。
その隣には蓮が立ち、奏が航空管制から送られてくる情報を確認している。
「離陸許可、出ました!」
日向の声が響いた。
蒼真はモニターから目を離さない。
機体には蒼志と第一医療班。
現地には悠真がいる。
自分の命令で、二人の息子が同じ災害現場へ立つことになる。
「総統」
奏が蒼真に声を掛けた。
「零式統括機、離陸します」
蒼真は頷いた後、短く答えた。
「必ず通せ」
「了解」
画面の中で、マットブラックの4基ローターが回り始める。
そして———
機体は地面を離れ、灰色の空へ飛び立った。
蒼真は飛び去っていく機体を、無言で見つめ続けていた。
その横で、蓮が静かに口を開く。
「行ったな」
「あぁ」
「蒼志なら大丈夫だ」
蒼真は僅かに目を細めた。
「分かってる」
それでも視線は、機体から離せなかった。
「分かってるから、行かせた」
マットブラックの機体は旋回し、確保された飛行経路へ入る。
大量の防塵高濃度酸素マスクと、命を繋ぐ第一医療班を乗せて。
白峰山の麓で戦い続ける者たちのもとへ。
零式統括機は、灰色の空を進んでいった。
零式統括機が離陸した同じ頃、白嶺町では火山灰がさらに濃くなっていた。
役場前の道路も、停車している車両も、薄い灰色に覆われている。
空から絶え間なく降り続ける火山灰は、足元へ確実に積もり始めていた。
「最終避難車両、町外へ出ました!」
現地対策本部へ飛び込んできた報告に、悠真が顔を上げる。
「高齢者施設は?」
「全施設、搬送完了!」
「自力避難困難者は」
「消防、警察の確認分は全員避難済みです!」
悠真は机の上へ広げられた避難区域図を見る。
各地区に配置された隊員から、次々と確認完了を示す報告が入っていた。
「第一特務隊、各班へ」
悠真は無線を握った。
「担当区域の最終確認。逃げ遅れ、残留者がいないことを確認後、順次役場前へ戻れ」
『第一班、了解』
『第二班、了解』
『第三班、了解』
応答が重なっていく。
避難開始から、長い時間が経っていた。
白峰山の活動が活発化した段階から先行派遣され、住民への説明と避難支援を続けてきた。
そして噴火後も、火山灰の中で誘
導を続けた。
ようやく、ここまで来た。
「悠真」
隣で無線を確認していた律が、端末の画面を見せてきた。
「一時避難、完了だ」
悠真は画面に表示された数字を見つめた。
すぐには言葉が出なかった。
「……終わった」
「避難誘導はな」
律が念を押すように言った。
「ここからは避難所支援と、残留隊員の撤収だ」
「はい」
「気を抜くなよ」
「分かってます」
そう答えた悠真の口元には、僅かな笑みが浮かんでいた。
誰も取り残さなかった。
少なくとも、今確認できている範囲では。
しばらくして、駿と謙が現地対策本部へ戻ってきた。
二人の装備も髪も火山灰に覆われ、灰色に変わっていた。
「西地区、最終確認完了」
駿が報告する。
「残留者なし。消防と警察も撤収に入ってます」
「お疲れさまです」
悠真が答えると、謙は防塵マスクを僅かに浮かせ、苦しそうに息を吐いた。
「これ、いつまで降るんだよ」
「火山に聞いてください」
「聞きに行ったら帰ってこられねぇだろ」
「絶対に行かないでくださいよ」
「行かねぇよ」
僅かな笑いが現地対策本部に広がった。
張り詰め続けていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ、そのときだった。
『現地対策本部へ!』
緊迫した声が無線から響き、悠真が即座に応答する。
「こちら現地対策本部」
『北東地区の規制線で、観光客の残留情報です!』
緩んだ空気が、一瞬で消え悠真の視線が鋭くなった。
「人数は」
『3名です』
「現在地は確認できるか」
『正確な位置は不明。ただ、避難中の住民が3人を目撃しています』
悠真が北東地区の地図を引き寄せる。
「最後に目撃された場所は」
『旧展望道入口付近です!』
悠真の手が止まった。
隣の律が地図の一角を指差す。
「ここか」
旧展望道。
現在は観光用道路としてほとんど使われていないが、白嶺湖を見下ろす展望地点へ繋がっている。
そして、白峰山から流れる火山ガスの影響が強くなると予測され、噴火直後から立入禁止区域に指定された場所だった。
「なぜ、そっちへ?」
『目撃者の話では、避難経路を外れた可能性があります。観光客は土地勘がなく、旧展望道を町外へ抜ける道だと思ったのではないかと』
「規制線は」
『設置前に入った可能性があります』
避難開始直後の混乱の中、普段使われている道路には避難車両が集中し、一時的に大きな渋滞が発生していた。
渋滞を避けようと地図を確認し、旧道へ入った可能性は十分に考えられる。
「観光客の特徴は」
『20代から30代の男性2名、女性1名。避難所の名簿と宿泊施設の確認でも、3名の所在が取れていません』
「端末へ位置情報を送ってください」
『了解!』
通信が切れると悠真はすぐに火山ガスの観測情報を画面へ表示した。
旧展望道周辺には、既に警戒を示す色が広がり始めている。
「ガス濃度が上がってる」
駿の表情が険しくなった。
「風向きが変わったら、さらに上がるぞ」
謙が空を見上げるが、降り続ける火山灰で遠くの景色はほとんど見えない。
「捜索班を編成する」
悠真が言うと、律はすぐに首を振る。
「待て」
「3人残ってます」
「分かってる。だが、現地に残っている酸素マスクは避難所へ回してる」
「隊員用の防護マスクはあります」
「防塵用だ。火山灰は防げても、高濃度の火山ガスや酸素欠乏には対応できない」
律は地図を指で叩いた。
「ここから先へ隊員を入れれば、要救助者が増える可能性がある」
「だからって、置いていけません」
「置いていけとは言ってねぇ。装備が届くまで待て」
「いつ届くんですか」
「本部から医療と酸素マスクを送ると連絡が来てる」
「到着時刻は?」
律は答えられなかった。
航空経路が不安定なことは、現地にも伝えられている。
本部から離陸報告が入った形跡はあった。
だが、通信は激しいノイズに埋もれ、正確な内容までは確認出来ていない。
しかし、装備が届くまで3人が無事でいる保証はなかった。
「ガス濃度、さらに上昇!」
観測情報を確認していた隊員の声が響いた。
「旧展望道周辺、危険値へ入ります!」
悠真は画面を見つめた。
———時間がない。
「俺が行く」
律が悠真を振り返る。
「何だと?」
「隊員を火山ガスの危険に晒せない」
「お前も隊員だ」
「俺は現地統括責任者です」
「だったら、なおさら指揮所にいろ!」
律の声が現地対策本部に響いた。
「お前が倒れたら、誰が全体を動かす!」
「律さんがいる」
「そういう問題じゃねぇ!」
「俺が行くのが、一番被害が少ない」
悠真はまっすぐに律を見た。
止められても、行く。そんな眼差しを律に悠真は向けていた。
律はその眼差しを見たことがあった。
神代蒼真だ。
「俺1人なら、危険に晒されるのは俺だけで済む」
1人で行かせてはいけない。
自分は見てきた。
今、目の前にいる男の父親が同じことをして自分を削ってきた事を。
「1人で捜索できるわけねぇだろ」
「それでも行きます」
「悠真!」
「3人が待ってるんです!」
悠真の声が、律の言葉を遮った。
「土地も分からない、なんで苦しくなってるのかも分からない。それでも助けを待ってるかもしれない」
指揮所にいれば、全体を動かすことができる。
それが現地統括責任者の役目だと、悠真も理解していた。
それでも、自分が安全な場所に残り、装備のない隊員へ行けとは命じられなかった。
「隊員には家族がいます」
「お前にもいるだろうが!」
「分かってます!」
「分かってねぇから、自分で行くって言ってんだろ!俺は蒼真さんに…お前の父親になんて説明すりゃいいんだ!!」
悠真と律の視線がぶつかる。
「俺達が行きます」
駿と謙の声に悠真と律が同時に振り返る。
「悠真1人では行かせません」
「駿さん」
「3人の捜索なら、最低でも3人は必要です」
その隣へ、謙も並んだ。
「3人見つけて、誰か歩けなかったらどうする。担ぐ人間が必要だろ」
「駄目です」
「何でだよ」
「危険だからです!」
「お前が言うな」
駿と謙の声が重なり、悠真は言葉を失う。
「隊員を危険に晒したくないのは分かる」
駿が静かに続けた。
「でも、俺たちも第一特務隊だ」
「……」
「現地統括責任者だけを危険な場所へ行かせるほど、情けない隊じゃねぇんだよ。それこそ、総統と補佐官にどやされる」
謙が防護マスクを締め直す。
「それに、俺たち3人で動くことに慣れてるだろ。3人で行った方が早い」
悠真は2人の顔を見た。
何を言っても、残るつもりがないことは分かった。
第一特務隊に配属されてから、ずっと2人は自分と一緒に歩いてくれて、育ててくれた。
止まれない時は殴って止めてくれた。
一緒に総統教育を受け、これまで苦楽を共にしてきた黒崎兄弟だ。
「……分かりました」
「おい、悠真!」
律の声に、悠真は端末を取り出した。
「現地統括権限を、一時的に律さんへ移します」
「勝手に決めるな!」
「俺たちが戻るまでです」
悠真は端末を操作し、指揮権限の変更を確定させる。
律の端末へ、承認を求める表示が現れた。
「避難誘導は完了しています。残留隊員の撤収と、避難所支援をお願いします」
「承認しねぇぞ」
「律さん」
悠真はまっすぐに律を見た。
「俺たちは、必ず戻ります」
「それを信じろって言うのか」
「はい」
「お前は、俺の命令を聞かねぇくせに?」
「……すみません」
「謝って済むと思うなよ」
「帰ってきたら、いくらでも怒られます」
律は奥歯を噛み締めた。
残された時間は少ない。
ここで言い争いを続ければ、3人を救える可能性がさらに下がる。
「捜索時間は10分だ」
律は端末に表示された承認ボタンを強く押した。
「ガス検知器を持て。濃度が限界値を超えたら、観光客を発見できてなくても戻れ」
「はい」
「10分だからな」
「短すぎます」
「だったらさっさとみつけてこい!」
「……了解!」
律は悠真の胸元を掴み、自分へ引き寄せた。
「絶対に、戻れ」
低い声だった。
「お前を行かせた責任を、俺に背負わせるな。蒼真さんに、ろくでもねぇ報告をさせるなよ」
悠真は律の目を見つめ、力強く頷いた。
「必ず戻ります」
悠真の言葉に律が手を離す。
駿と謙は、携帯用ガス検知器、救助用ロープ、予備の防護マスクを装備する。
だが、酸素を供給できるマスクはない。
今ある装備で、高濃度の火山ガスから身を守れる時間は限られていた。
「準備できた」
駿が言った。
「こっちも行ける」
謙が答えると悠真は防護マスクを締め直し、二人を見た。
「観光客3人を発見後、即座に戻ります。無理な捜索はしない」
「了解」
「誰か1人でも症状が出たら、その時点で撤退」
「分かった」
「行こう」
3人は現地対策本部を飛び出した。
灰色の空から、火山灰が降り続けている。
規制線の向こうには、火山ガスが流れ込む旧展望道。
その先に、取り残された三人がいる。
悠真、駿、謙は視界の悪い道を、旧展望道へ向かって走り始めた。




