第7話 Sleepless Nights
神代家へ戻ったのは深夜だった。
玄関の扉が開くと出迎えたのは麗華だった。
「ただいま…」
「おかえりなさい」
その声に蒼真は小さく手を上げたが、そのまま動かない。
「……蒼真?」
「……」
無言の蒼真に麗華が眉をひそめる。
蓮も本部を出るころには気付いていた。
「蒼真」
「……寒ぃ……ッ…ごほッ」
「あー…」
その一言に麗華は額を手で覆った。
数時間後、神代家は軽い騒ぎになっていた。
「39.5」
蒼志が体温計を見て呟く。
リビングのソファでは毛布に丸まっている蒼真がいた。
「…………」
「お父さん、大丈夫?」
華凛がおでこへ手を当てるとびっくりしたように声をあげた。
「熱い!」
「熱あるからな……」
蒼真の声は掠れていた。
麗華はため息を吐く。
「だから…雨に濡れたらダメなのよ、蒼真は」
過去の経験から蒼真が風邪を引くのは雨に打たれ、疲労の蓄積のある時であることを見抜いている麗華。
「…傘、なかった…」
「自分で準備しなさい」
「……はい」
「医療棟は?」
「行けって…」
「で、無視して帰ってきたわけ?」
「……はい」
蒼真は毛布を少しだけ引き上げると華凛が笑う。
「お父さん、毛布に埋まってる」
「寒ぃ……」
「かわいい」
「かわいくねぇ……」
その様子を見ていた悠真が吹き出した。
「さっきまで総統だった人どこ行った?」
「知らねぇ……」
「本人も分かってない!」
神代家に笑い声が響くその横で蓮はソファへ腰掛けながらお茶を飲んでいた。
「お前、風邪に弱ぇな」
「……寒ぃ」
「埋まってた時より情けないぞ」
「……寒ぃ」
「語彙力、死んでんぞ」
「……うるせぇ」
蓮が呆れたように笑うと蒼真は反論する気力もなく目を閉じた。
すると華凛の手が毛布を優しく引いた。
「お父さん」
「……ん」
「明日も居る?」
蒼真がゆっくり目を開くと華凛は真っ直ぐこちらを見ていた。
何気ない質問だったけれど蒼真は少しだけ笑う。
「居る」
「本当?」
「あぁ」
華凛は嬉しそうに笑った。
その様子を見ていた悠真は小さく視線を落とす。
数時間前、雨の中で自分が言った言葉を思い出していた。
――置いていかないでよ、父さん。
その時だった。
蒼真が毛布の中から手を伸ばす。
「悠真」
「……何?」
「お前も来いよ」
「は?」
「寒ぃから…」
「知らねぇよ!」
神代家に笑い声が再び響いた。
外ではまだ雨が降り続いていた。
けれど、その夜だけは。
誰も蒼真に総統をさせなかった
翌朝、雨は上がって眩しい朝日が神代家のリビングに差し込んでいた。
熱で蒼真は動けず、そのままソファで寝ると言い張りだし本当にソファで寝ていた。
「…39℃」
麗華は蒼真から体温計を受け取ると小さく息を吐いた。
「呼吸は?苦しくない?」
「……ん」
毛布に包まったまま蒼真は小さく頷くと自分のスマホを手に取りメッセージを蓮へ送る。
『今日、無理。寒い』
メッセージを送り終えると蒼真はスマホをテーブルに置くと、麗華の服の裾を掴んだ。
麗華は少し困った顔をしながらも蒼真の傍へ腰を下した。
それを確認すると蒼真は麗華の手を握り、麗華を毛布の中に引き込むと…。
ースン…スン…。
麗華の匂いを嗅ぐ蒼真のその姿は弱った犬のよう。
「何してるのよ」
「確認」
「何の?」
「麗華の」
「……バカねぇ。ちゃんといるよ」
「……ん」
安心したような蒼真の表情を見ると麗華はキッチンへと向かった。
蒼真は毛布に包まりながら静かに麗華を見つめていた。
「おはよー」
1番に部屋からリビングへ降りてきたのは華凛だった。
華凛は毛布で丸まる蒼真を見ると近くに寄っていく。
「お父さん、まだ寒い?」
「……寒ぃ」
「じゃあ待ってて!」
華凛は部屋へ戻ると自分の毛布を持って再びリビングへと戻ってくると蒼真に毛布を追加でかけてくれた。
「貸してあげる」
「……ありがと」
華凛は小さな頃から蒼真のひざ掛け担当だった。
酸素吸入する蒼真がひざ掛けをかけずにいると「パパ、寒いよ!」と夏でも強制的にかけてくれていた。
大きくなってもその優しさは変わらなかった。
華凛は「お父さん、犬みたいで可愛いねー」と麗華に無邪気に声をかけながら朝の準備を始めた。
「……犬じゃあねぇんだけど…」
もぞ…毛布を頭から被りながら蒼真は呟いていた。
華凛は製菓学校に通いパティシエを目指している。
昔からお菓子が好きな子で、麗華とお菓子作りをすると蒼真の分は必ず別に置いてくれていた。その華凛が製菓学校を進路に選んだ事はとても自然で、元々甘党だった蒼真も「華凛の作ったお菓子、楽しみだな」と喜んだ。
ただ、華凛が製菓学校を選んだ理由はそれだけではなかった。あの本震以降、呼吸の影響から食が細くなって行く蒼真を見て育ち、父が食べると笑顔になる物を沢山作って食べさせたいと言う華凛の願いもあったのだが、その事を蒼真は知らない。
「「おはよー」」
リビングに蒼志と悠真の声が揃って響いた。
ーバサッ。
毛布から頭を出すこともせずにいた蒼真を蒼志が毛布を剥ぎ取り、顔を覗き込む。
「……寒ぃから、返せ」
「いや、顔色チェック」
「安心しろ…ゴホッ、今日は蓮に任せる」
「……酸素」
「……麗華に頼む。……寒ぃから毛布返せ」
蒼真は蒼志から毛布を剥ぎ取り返し、再び潜り込んだ。
「華凛の毛布じゃん」
悠真が蒼真に掛けられている毛布を見て、少し笑う。
「……野郎と違って女は優しい」
ぽつりと蒼真が呟くと神代家には朝から笑い声が響いた。
3人が学校、仕事へ行くと神代家のリビングでは静かな時間が流れていた。
静かに寝息を立てている蒼真の髪を麗華はそっと撫でる。
ここの所、蒼真が眠れて居ないことを麗華は知っていた。
忙しくて時間がない。と蒼真は白石や葛城には言っているようだが、麗華から見ると不眠症に近かった。
まるで、眠る事を恐れているようで…。
寝ていても時々、魘されている夜もよくある。
だから、静かに安心して寝れるのならば、と麗華はずっと蒼真の傍に寄り添い続けていた。
ーピンポン…。
玄関のチャイムがなると、麗華は立ち上がった。
麗華が立ち上がった事に気が付いた蒼真は薄く目を開けて、ぼんやりとその姿を追っていた。
麗華が玄関へ向かい、戻ってくると、その後ろには蓮の姿。
「……死んでんのか」
「……寒ぃ」
「生きてるな」
そんなやり取りに麗華は小さく笑いながら、コーヒーの準備をする。
「……何しに来た」
「白石さんから薬、預かった。飲めよ」
ガサッとテーブルに薬の袋が置かれると蒼真はげんなりした顔をする。
「……普段のでも多いのに…追加すんな」
「語彙力、死んでる奴が文句言うな」
「…で、本部、放っぽり出して、いつまで居座るつもりだ」
「奏と葛城さんに任せた。今日は大丈夫だ」
2人が話しているうちに麗華がキッチンから戻ってきた。
蓮にコーヒーを渡し、蒼真には水を差し出す。
麗華は蒼真の隣に座ると自分もコーヒーをゆっくりと飲む。
昔からこんな時間がよくあった。
ただ3人で静かにコーヒーを飲んで何を話す訳でもなく、ゆっくり時間が過ぎて行く時間が。
「……麗華さんと3人じゃないと話せないから、今話すが…」
しばらくして沈黙を破ったのは蓮だった。
「蒼真の不眠症の事」
蒼真は何も言わず、ただ俯いた。
そんな蒼真を麗華は見つめた。
「……今回で分かったろ、お前は寝ねぇと具合悪くなる。昔と同じ身体じゃねぇんだ。……不眠症の事、せめて白石さんにも相談すべきだ」
強く言う蓮に蒼真は毛布に潜り込んだ。
蓮はため息をつきながら、毛布から蒼真の顔を出させた。
「………言っても、分かんねぇ」
ぽつりと震えそうな声で蒼真が呟く。
麗華は静かに蒼真の声を聞いていた。
「死神が耳元で囁いてるなんて話して伝わるの、お前くらいだろ」
麗華は少しだけ、目を見開いた。
そこまで…
そこまで蒼真が追い詰められて居るとは知らなかったから。
共に歩んで来たからこそ。
死線を彷徨った経験のある蓮にしか
蒼真の例える死神はわからない。
だから、蒼真は麗華にも”死神”と言う言葉を伝えた事はなかった。




