第78話 I Leave It to You
白嶺町役場の会議室には地域住民や観光関係者達が集まっていた。
悠真達、第一特務隊が先行派遣されてから数日後に突然開かれた説明会。
住民たちも見慣れない人間が町を回っているのに気が付いてはいたが、それが何の為なのかまで考える者はいなかった。
しかし、開かれたこの説明会の内容は白峰山の火山活動活発化についてと避難準備の要請だった。
当然、地元住民は困惑し、納得する者はいなかった。
「大袈裟じゃないですか?」
一人の男性が立ち上がり、声を上げた。
「警戒レベルもまだ上がったばかりでしょう?」
「そうだ!」
別の住民も声を上げる。
「この辺で生まれて60年だぞ!」
「昔もそう言って、噴火なんかしなかった!」
会議室がざわつき、最前列では観光協会関係者も難しい顔をしていた。
夏休み。
一年で最も人が集まる時期だ。
避難勧告が出れば観光業への影響は避けられない。
その不安も理解出来る。
理解出来るからこそ難しい。
誰だって生活がある。
仕事がある。
守りたいものがある。
だから避難をお願いするのは簡単じゃない。
「皆さん」
律が静かに口を開くと、ざわついていた会議室が少しだけ静かになった。
「私達も噴火すると断言している訳ではありません」
住民達が顔を上げ、律を睨みつけるような視線を向けていた。
「何も起きない可能性もあります」
律は正直に言った。
「ですが、起きてからでは間に合わない可能性があるんです」
会議室に沈黙が落ちた。
「だから準備をお願いします」
律が頭を住民達に深く下げ、第一も頭を下げた、その時だった。
ゴゴ……
聞き慣れない、不気味な音に誰かが眉をひそめた。
今のは何だ。
口々にそんな声が聞こえだし、一瞬だけ会議室の空気が止まる。
ゴゴゴゴ……
今度ははっきりと分かった。
会議室の窓がカタカタと音を立て出した。
「地震?」
誰かが呟いた、次の瞬間。
ゴゴゴゴゴゴゴ!!
建物全体が大きく揺れ、悲鳴が上がる。
「きゃあっ!」
「机の下へ!」
「落ち着いてください!」
第一特務隊が即座に動き、悠真も立ち上がり反射的に窓辺に駆け出した。
遠くに見える白峰山の山頂から
白い噴気が勢いよく吹き上がっていた。
それは昨日までとは明らかに違う。
誰の目にも分かる異常だった。
「……」
吹き上がる噴気に悠真は声が出ず、喉だけが鳴る。
会議室の誰かが震える声で言った。
「おい……あれ……」
全員の視線が窓の外へ向いた、次の瞬間だった。
轟音と共に白峰山山頂から巨大な噴煙柱が空へ向かって立ち上がった。
黒く。
高く。
どこまでも。
まるで空を貫くように。
「噴火だ!!」
誰かの叫び声が響くと会議室が一気に混乱した。
悲鳴。
怒号。
泣き声。
電話を掛け始める者。
立ち尽くす者。
走り出す者。
だが、その中で。
悠真だけは山を見つめていた。
つい数分前まで誰も信じていなかった。
誰も現実になるとは思っていなかった。
しかし現実になった。
白峰山は、噴火したのだ。
嫌な汗が悠真の背中を伝った。
動けなかった。
これが現実だとまだ体も頭も受け入れられなかった。
「悠真!」
しかし、律の声が悠真の耳に飛び込み、意識が戻った。
「はい!」
「住民避難誘導!」
「了解!」
悠真は即座に走り出した。
迷っている時間はない。
もう始まったのだ。
白峰山との戦いが。
同時刻、黎明本部・総統室のテレビではニュース速報が流れていた。
『速報です』
『本日、災害統括機関黎明の神代蒼真総統が正式に退任を発表しました。退任は1ヶ月後との発表で……』
会見映像が流れる。
長年、日本の災害対応を支えてきた男の退任。
本来であればこの日の全国ニュースのトップを飾る話題だった。
しかし、突然、横からテレビスタッフが走り込み、原稿を手渡すとアナウンサーの表情が変わった。
『き……緊急速報です』
『ただ今、白峰山の噴火が確認されました…』
即座に画面が切り替わるとテレビ画面には立ち上る巨大な噴煙柱が映し出され、速報テロップが次々と流れていく。
総統室に沈黙が落ちた。
蒼真はテレビを見つめ、蓮も同じくテレビを見つめていた。
そして、蒼真がぽつりと呟く。
「退任ニュース消えたな」
蓮は一瞬だけ呆れた顔をしたが、すぐに口を開いた。
「まぁ、そうだな」
「よし、目立たなくて済んだ」
少しだけ嬉しそうな蒼真の声に奏は思わず吹き出しそうになり、蒼志は頭を抱えた。
「行くぞ」
蒼真はそう言うと、ゆっくり立ち上がった。
表情から僅かな笑みは消えている。
総統として最後の仕事。
いや、神代蒼真として最後の戦いが始まろうとしていた。
白峰山噴火から十分後。
統括室の大型モニターには現地から送られてくる映像が映し出されていた。
避難を開始する住民達の混乱。
立ち上る噴煙。
火山観測センターから送られてくる観測データ。
統括室の空気は張り詰めていた。
「現地通信、まだ不安定です」
奏が端末を操作しながら報告する。
「回線混雑に加え、火山活動の影響も出ています」
「繋げろ」
しかし、蒼真は短く言った。
「第一特務隊だ」
「了解」
奏が再び回線を開く。
『こちら黎明本部』
『第一特務隊応答せよ』
ザーッ……
激しいノイズだけが返ってくる。
返答はない。
統括室の誰もが通信回線に祈っていた。
奏がもう一度送信する。
『第一特務隊応答せよ』
『こちら黎明本部』
ザーッ……
ブツッ……
祈る気持ちも虚しく、通信は切れてしまう。
「ダメです」
「もう一度だ」
蒼真が即答すると、奏が頷き再び回線を繋ぐ。
『第一特務隊応答せよ』
『応答せよ』
数秒…いや、数十秒にも感じられる沈黙だった。
ノイズだけが統括室に響き渡る。
そして────
『……こちら……』
声が聞こえた瞬間、全員が顔を上げた。
「入った!」
奏が声を上げるが、スピーカーから激しいノイズが流れこむ。
『ザーッ……』
『……第一特務隊……』
『……黒崎です……』
駿の声だ。
蓮が僅かに息を吐き、蒼志も肩の力を抜いた。
蒼真がマイクを取り、口を開いた。
「駿」
『……はい!』
「全員無事か」
一瞬の沈黙と激しいノイズ音の後で、駿の声は統括室にはっきりと響いた。
『全隊員無事です!』
その言葉に統括室の空気が僅かに緩んだ。
誰も言葉にはしないが、全員が安堵していた。
しかし、蒼真は表情を変えなかった。
「悠真に代われ」
『了解!』
通信の向こうで駿が悠真を呼ぶ声が聞こえる。
サイレンと怒号。
避難誘導の声と人々の悲鳴が、現地の混乱がそのまま流れ込んできた。
『……悠真です!』
悠真の声が聞こえた。
ノイズ混じりでも、それでもはっきりと。
「聞こえるか」
『はい!』
「よく聞け」
蒼真は真っ直ぐ前を見たまま告げた。
「現時刻をもって」
ノイズが走る。
ザーッ……
それでも蒼真は続けた。
「白峰山災害対応現地統括責任者を神代悠真とする」
統括室の空気が変わった。
奏が息を飲み、蒼志も黙ったまま蒼真の横顔を見る。
蓮だけは静かに腕を組み、頷いていた。
通信の向こうも一瞬だけ沈黙した。
悠真も理解したのだ。
今、何を告げられたのかを。
『……了解ッ!』
短い返答だった。
だが、その声に迷いはなかった。
蒼真は小さく頷くと言葉を続けた。
「現場判断権限を委譲する。住民避難を最優先。必要な支援は全て本部で受ける」
『了解』
「以上だ」
それだけだった。
親子の会話はない。
激励もない。
心配の言葉もない。
ただ任務だけ。
ただ責任だけ。
それが今の二人だった。
『……父さん』
悠真が小さく父を呼んだ。
ノイズの向こうでこれから、息子は戦いに出る。
「なんだ」
『必ず全員、帰します』
その言葉は。
神代蒼真が黒瀬蓮が。
黎明が。
何十年も掲げ続けてきた言葉だった。
蒼真は僅かに目を細めた。
「任せた」
その一言だけを悠真に伝えた。
ザーッ――――
通信はそれで途切れた。
統括室に静寂が戻ったが、誰もすぐには口を開かなかった。
やがて奏が小さく息を吐く。
「現地統括責任者……悠真に任せるんですね」
蒼真は前を見つめたまま答えた。
「あいつしかいない」
蓮が静かに頷く。
「そうだな」
白峰山の噴煙が大型モニターに映し出される。
その麓には今、自分達の後継者達がいる。
蒼真は腕を組んだ。
退任会見から、まだ一時間も経っていない。
けれど、もう自分の時代ではない。
今、あの場所で戦っているのは悠真達だ。
そして────
悠真はもう次期総統ではない。
白峰山災害対応現地統括責任者
神代悠真として
最初の戦いに立っていた。




