第77話 We Move First
白峰山火山観測センターから黎明本部に送られてくる観測データは絶えず統括室の大型モニターに表示され続けていた。
地震計、傾斜計、火山ガス濃度、地下のマグマ活動を示す各種数値の全てが共有されている。
そして、その全てが昨日よりも確実に変化していた。
「……増えてるな」
低く呟いたのは蓮だった。
観測データを映した大型モニターの前には本部の中枢が集まっていた。
「微小地震、前日比1.8倍」
日向がタブレットを操作しながら報告する。
「火山ガス濃度も上昇中。噴気量も増加傾向です」
「山体膨張は?」
奏が尋ねる。
「継続中」
報告を聞く奏の表情も真剣だった。
普段の軽い雰囲気はどこにもない。
統括室にいる誰もがモニターに映る白峰山を睨みつけていた。
映像だけ見れば確かに噴気が上がっている。
だが、その他の事は目に見えない。
だから、何も変わっていないように見える。
だが、数値は嘘をつかない。
静かに。
確実に。
山は目を覚まし始めている。
「第一からの報告」
モニターを睨みつけながら蒼真が口を開くと蓮が資料を一枚差し出す。
「避難経路確認完了、観光施設調査完了、宿泊施設収容人数確認完了」
そこまで言ってから蓮は僅かに口元を緩めた。
「高齢者先行避難を提案してきたぞ、悠真」
蒼志が少しだけ目を丸くする。
「悠真が?」
「ああ」
蓮は短く頷いた。
「噴火してからじゃ避難は間に合わない、だとよ」
その言葉に蒼真は小さく笑った。
「そうか」
たったそれだけ。
だが、その表情はどこか嬉しそうだった。
蓮も気付いている。
悠真は、総統の視点を確実に身につけた。
現場だけを見るのではない。
その後ろにいる数万人を見る視点を。
蒼真は再びモニターへ視線を向けた。
白峰山が静かにそびえ立っている。
だが長年災害と向き合ってきた勘が告げている。
嫌な流れだ。
非常に嫌な流れだ。
「奏」
「はい」
「警戒レベルの引き上げを再度、国に進言」
「……レベルは」
「警戒レベル4だ。現場が高齢者の先行避難を想定しているならそれに合わせて本部も進言する」
「現状レベル2への引き上げが本日発表です。時間は掛かるかも知れませんよ」
国との調整をしている奏は現実的な視点を入れてくれた。
そんな事は蒼真も分かっていた。
警戒レベル2では火口周辺の立ち入り禁止までしか制限できない。
しかし、現地に派遣した悠真たち第一が異変を感じ取り、先行避難を提案している以上、その提案を無視できない。しかし、住民説明にも理由がいるだろう。ならば、警戒レベルを引き上げてしまいたい。
「それでもいい、進言しろ」
「了解しました」
奏はそれだけ言うと国との調整に入る為に自身の執務室へと向かった。
「蓮」
「ああ」
「自治体との調整を始める」
短いやり取りだが、それだけで十分だった。
もし噴火するなら被害を最小限に抑える。
その為に動く、それが黎明。
それが神代蒼真達が二十年以上続けてきた仕事だった。
蒼真が噴火警戒レベルを4へ引き上げを進言した翌日の白嶺町内の高齢者福祉施設では、第一特務隊と自治体職員が施設長との打ち合わせを行っていた。
施設内には車椅子利用者や介助が必要な高齢者も多く、避難するとなれば一般住民より遥かに時間が掛かる。
「避難準備ですか……」
施設長は困ったように資料を見つめていた。
「まだ噴火した訳じゃないんですよね?」
「はい」
悠真は正直に答えた。
嘘をつく訳にもいかない。
「現時点では可能性です」
「ですよねぇ……」
施設長は苦笑したが、それは当然の反応だった。
職員不足、移送手段、受け入れ先など避難には多くの問題がある。
噴火する保証もないし、むしろ何も起きない可能性の方が高く、判断は難しい。
「ですが」
悠真はゆっくりと言葉を続けた。
「もし噴火した場合、一番時間が必要なのは皆さんです」
悠真の言葉に施設長が顔を上げる。
「歩ける人は自分で動けます」
「……」
「車を運転出来る人もいます」
「そうですね」
「でも、ここに居る方々は違います」
悠真は窓の外の中庭を見る。
車椅子で談笑している老人達や日向ぼっこをしている人達の姿。
穏やかな午後だった。
だからこそ守らなければならない。
「だから先に動いて欲しいんです」
施設長はしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「分かりました」
その言葉に自治体職員達の表情が僅かに和らいだ。
「受け入れ先との調整を始めます」
「ありがとうございます」
悠真は深く頭を下げた。
施設を出ると、夏の暑い風が吹き抜けた。
役場へ戻る車の中で運転席の悠真は黙ったまま前を見ていた。
律は助手席で資料を確認していたが、しばらくしてから口を開いた。
「大人しいな」
「いや……」
悠真は少し迷った後、正直に答えた。
「難しいなって」
律は小さく笑った。
「何がだ」
「避難です」
信号待ちで車を停めながら悠真は続けた。
「救助なら分かるんです」
「うん」
「怪我人を助けるのも分かる」
「うん」
「でも何も起きてない人に避難してくださいって言うのは……」
そこまで言って、言葉を探した。
この気持ちに当てはまる言葉はなんなのか。
「怖いです」
律は何も言わずに聞いてくれた。
悠真は続けた。
「もし何も起きなかったら」
「うん」
「俺達が騒いだだけになる」
静かな車内で律は資料から顔を上げて、窓の外を見ながら呟いた。
「そうだな」
否定しなかった。
だからこそ重い。
「でもな」
律は前を向く。
「何も起きなかったら、それが一番良いんだよ」
悠真は黙った。
聞いたことのある言葉だった。
何度も本部で引継ぎの中で父から。
蓮から、奏から。
「空振りで終わるなら、それでいい」
律が静かに続けた。
「外れたって笑われる方が、助けられなかったって後悔するより遥かにマシだ」
その言葉に悠真は思わず苦笑した。
「父さんも同じ事言ってました」
「だろうな」
律も笑った。
「蒼真さんがずっと言ってきた事だから」
そう言うと律は資料へと視線を戻した。
車が緩やかな坂道へ入ると、その先に白峰山が見えた。
悠真は何気なく山へ視線を向けた。
そして──
表情が止まった。
「律さん」
「ん?」
「……あれ」
律も顔を上げ、白峰山へと視線を向けた。
山頂付近。
昨日よりも明らかに濃くなった白い噴気が空へ伸びていた。
さすがに気のせいではない。
遠目からでも分かる、その噴気に律の表情が僅かに険しくなる。
「増えてるな」
「はい」
悠真は無意識にハンドルを握る手へ力を込めた。
嫌な予感。
その言葉だけでは済まなくなってきている。
夏空の下。
白峰山は何事もないように静かにそこにあった。
だがその静けさが、今は不気味で仕方なかった。
翌朝、白峰山火山観測センターからの緊急報告が本部へ届いた。
奏が受信したデータを確認しながら眉をひそめる。
「総統」
「なんだ」
「深夜から明け方にかけて火山性地震が急増しています」
奏の報告で会議室の空気が一瞬で変わった。
モニターへ表示されたグラフは誰が見ても異常だった。
右肩上がりに増加する観測データは昨日までの数値とは明らかに違う。
「噴気量も増加、ガス濃度も上昇しています」
「観測センターの見解は」
奏の報告に蓮が尋ねた。
「観測センターもレベル4への引き上げを国へ進言したそうです」
その言葉に蒼真は腕を組んだままモニターを見つめた。
静かな山の映像が映し出されているが、その内側では確実に何かが起きている。
長年災害と向き合ってきた勘が再び告げてくる。
時間はそれほど残されていない、と。
「自治体との調整状況は」
「現地対策本部設置準備完了」
蒼真が確認をすると蓮が即答した。
「避難所候補も確認済み。観光施設との連携も進んでます」
蓮に続いて奏も補足した。
「高齢者施設については受け入れ先の確認を開始しています」
蒼真はゆっくりと頷き、静かな声で言った。
「先に動くぞ」
だが、その一言で全員が理解した。
決断が下されたのだと。
「警戒レベル引き上げを待たない」
蒼真はモニターから目を離さない。
「高齢者、要介護者、医療依存度の高い住民から順次避難準備を現時刻から進めるように現地に通達しろ」
日向が確認をする。
「正式避難じゃなく、移送準備ですね」
「ああ」
蒼真は頷いた。
「何もなければ帰ってもらえばいい」
その言葉に誰も異論を挟まない。
黎明は昔からそうだった。
空振りで終わるなら、それが一番良い。
被害が出てから後悔するくらいなら、笑われる方を選ぶ。
その時だった、統括室に慌ただしく入ってきた職員が僅かに緊張した表情で報告する。
「総統」
「なんだ」
「気象庁から連絡です」
職員は手元の資料を差し出した。
「国が白峰山の警戒レベルを本日中にレベル4へ引き上げる方向で最終調整に入ったそうです」
会議室に沈黙が落ちた。
予想より早い動きだ。
それだけ状況が悪化しているということだ。
だが、今回は国もかなり警戒しているという事を意味していた。
蒼真は資料へ目を通し、小さく息を吐いた。
そしてモニターへ視線を向ける。
今はまだ穏やかな白峰山。
「間に合ってくれよ」
誰にも聞こえないほど小さな声だった。
しかし、その願いは統括室にいる全員の願いでもあった。




